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この映画での、エイドリアンが、醸し出す悲壮感は、
何なんだー!!!!!!!
エイドリアン・ブロディと同棲するジョージナ・チャップマンは、かつてハーヴェイ・ワインスタイン(元夫)が他者の人生を搾取して築いた「毒」(彼女がしがみついているブランドや財産は、多くの人を傷つけた結果として得られた利益)を、自らのブランド「マルケーザ」や多額の慰謝料という形で保持し続けています。しかし、2025年から2026年にかけて、その虚飾の城は崩壊しつつあります。
ニューヨークの高級コンドミニアムは住宅ローン滞納により差し押さえられ、事業は深刻な赤字と返金トラブルに喘いでいます。
彼女は一度も被害者へ直接謝罪せず、「自分も被害者である」というポーズを崩していません。彼女が富にしがみつけばつくほど、世間の視線は冷淡さを増しています。
エイドリアン・ブロディが、この「世間から見捨てられた悪女」をあえて庇護し続けるのは、単なる愛を超えた、表現者としての凄まじい業です。
彼女が「クリーンでない」ままであればあるほど、それを支える彼の「聖人」としての光は際立ちます。彼は私生活さえも、自らの重厚なイメージを完成させるための「役作りの現場」に変えてしまいました。
彼は自らが石を積み上げて作ったニューヨークの「城」(ストーンバーン城 80エーカーの敷地 東京ドーム7個分)に、家を追われかけた彼女、その子供たち、そして病の母親までもを囲い込みました。
俳優としての自分を重厚に演出するための、完璧な舞台装置として。
映画『クリーン』でゴミを清掃する男を演じながら、現実では「ハリウッド最大のゴミ(不祥事の残滓)」を一人で片付けている自分。この現実と虚構の残酷なリンクこそが、彼という俳優を「偉大なる化け物」へと押し上げています。
エイドリアン・ブロディは、ジョージナを本当の意味で自立(浄化)させることよりも、「闇を抱えた彼女の盾となっている自分」という物語を完成させることに酔いしれています。
彼女が清算しきれない罪と没落の匂いを漂わせ続ける限り、エイドリアンの表情には一生消えない重厚な陰影が約束されます。その徹底した欺瞞と、私生活を犠牲にした「ポーズ」にこそ、表現者としての彼の真の戦慄すべき偉大さがあるのです。
「人を救うことで、自分が救われる」
この映画のラストの独白はこのことへの懺悔です。
僕は称賛します。
そして、ジョージナが、改心することを願います、エイドリアンが壊れる前に。
現実の人生は映画のようにエンドロールでは終わりません。彼女が甘え続け、彼がそれを支え続けるという「共依存の連鎖」が続けば、彼はいつか、自分の人生が「ハーヴェイ・ワインスタインの罪の隠れ蓑」でしかなかったことに気づき、その虚無感に押しつぶされてしまいます。
で、↑の確信は、すでに起こっていた。皮肉で笑えないほど、
どうやら、メソッド演技を少年期から突き詰めすぎて、エゴ剥き出しの人だ、認識が変わった。彼の背負う属性が無敵なので、ポリコレも批判できません。
突き詰めたメソッド演技を子供の頃からさせると危険です。
自分を騙して自分に苦行させると、自分を愛せないし、他人へも配慮ができなくなる。ジョージナの子供が心配になった。