映画レビュー
『人』
2022年の作品。
2022年といえば、どうしてもコロナ禍を意識せずにはいられない時代だ。
そんな時代に付けられたタイトルが「人」。
物語の中にコロナは一切登場しない。
それでもこの作品は、コロナ禍で失われかけた人間性を、もう一度手触りとして取り戻そうとしているように思えた。
冒頭で、この物語のモチーフが「霊」であることが示される。
霊が見える母。帰宅した健一はその事実に驚くが、さらに驚かされるのは、自宅に父がいたことだった。
どうやら父は、ずっと家にいたらしい。
久しぶりと挨拶を交わした瞬間、健一が父に触れたことで、父は消滅してしまう。
霊になっても、霊界のことは何一つわからない。
自分がどういう状態なのかさえ、実感がない。
だが、葬儀の場に立ち、自分の死を目の当たりにして、否応なく理解させられる。
いつまで母のそばにいなければならないのか。
どうすれば成仏できるのか。
母の愚痴を聞きながら、何もできない苛立ちが健一を覆う。
成仏=塩=海。
そう考えた健一は入水を試みるが、母が追いかけてくる。
「置いていかないで。一緒に行く」
その言葉は、健一をさらに追い詰める。
口論は尽きない。
やがて健一は、決着をつけなければならないと悟る。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
同時に、この「生」は、いつか必ず終わる。
準備もないまま終わる未練と、準備して逝けること。
その違いは、確かに存在するように感じられた。
食べることのできない健一の前で、母は一人オムライスを食べる。
ハート型に描いたケチャップを、ぐちゃぐちゃに崩す。
「オレ、もう行くから」
その一言が、母の心を大きく揺らす。
無理やり語られる地獄の説明。
そして、「最後にタバコを吸いたい」。
浜辺で、たまに見かけていた爺さんの霊と、三人でタバコを吸う。
今日で最後と決めた健一。
「先に逝く方も、残された方も、平等に辛いですよ」
そう言い残し、爺さんの霊は消える。
母と健一の話は、結局、決着などつかない。
「死ぬまで話しても、話したりなかったと思うよ」
父が信じていたネイティブアメリカンの信仰。
「死はない。生きる世界が変わるだけ」。
そして健一は、最後の言葉として「おやすみ」を残す。
生者にも、死者にも使える言葉だ。
海へ向かって歩き出す健一。
母は、いつまでも手を振り続ける。
振り返らない健一は、防波堤を一気に走り、ジャンプする。
母は、それ以上、彼の姿を追えなくなったのだろう。
自宅に戻り、写真を見る母。
逝ってしまった健一と夫の写真を前に、号泣する。
しかし、海にはまだ健一が佇んでいた。
「今日で最後」と決めたその日は、日没までの猶予だったのかもしれない。
それでも彼は、自宅には戻らない。
無になる瞬間を、一人で迎える覚悟を選んだ。
翌朝、海岸には石川と母の姿がある。
母は石川に、写真を撮ってほしいと頼む。
そこに健一が写ることを、どこかで期待していたのだろう。
しかし写真には何も写らず、霊感のある母でさえ、健一の気配を感じることはできなかった。
それでも母は、吹っ切らなければならないと悟ったのだと思う。
それが、健一からの最後の優しさだったと理解したからだ。
この物語に、コロナは登場しない。
では、「人」とは何なのだろうか。
おそらくそれは、この映画を観た人が、それぞれ思い出せばいい。
監督は、そう言っているように感じた。
観ているときよりも、書いているときに零れ落ちる涙。
それは、別々の世界に行かざるを得なくなった人々が背負う、
平等な寂しさだったのかもしれない。