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現実を無視した「嘘」の塗り固め
日本経済は沈黙の10年と言う時代。そして、リーマンショックは翌年。そして、2011年東日本大地震。
さて。
1. 「うるさすぎる」演技が招く、不自然な生命力
母親役の演技は、日常的なリアリティからは遠く離れた、過剰で舞台的なもの。制作側はそれを「キトキト(活きが良い)」と呼び、美点として描こうとしたが、普通の生活者から見れば、ただの「近所にいたら迷惑な、声の大きい勝手な女性」にしか見えない。
その「うるささ」に耐えてまで見る価値がある人間ドラマかと言われれば、甚だ疑問である。
2. 社会的常識(法)を軽視した、身勝手な脚本
「寒いから家に火をつけた」という祖父のエピソードに象徴されるように、この映画は重犯罪を「個性」や「笑い話」にすり替えている。
5年以上の実刑を食らい、保険も降りない放火という暴挙を、あたかも生命力の象徴のように扱う演出は、法を守り、平穏な日常を守ってきた人間に対する侮辱です。この一点だけでも、本作は「家族の絆」を語る資格を失っていると言わざるを得ない。
3. 都市と地方に対する、浅はかな偏見
「パソコンを買うために東京へ行く」という不自然な設定や、東京の象徴として「ホストクラブ」という極端な風俗営業を持ち出す手法は、あまりに短絡的。
東京・千葉で68年暮らして、ホストにも髭面の怪しい男にも縁のないまっとうな日常を送ってきた僕からすれば、「映画監督が見ている東京」がいかに狭く、偏っているかが露呈している。
結論
この映画は、「まともな社会性」や「地に足のついた生活感覚」を犠牲にして、わざとらしい感動やエネルギーを演出しようとした、虚構の物語です。
つまり、感動ポルノ。
そして、
死して全ての免罪符ってこんなご都合主義許されてよいのか?
あ~魚津の水族館行きたい。50年前に行ったきりだが。