放浪記(1962)

劇場公開日:1962年9月29日

解説

東宝が創立三十周年記念映画の一つとして、林芙美子原作から「旅愁の都」の井手俊郎と「女ばかりの夜」の田中澄江が共同で脚色、「女の座」の成瀬巳喜男が監督した文芸もの。撮影もコンビの安本淳。創立30周年記念映画、昭和37年度芸術祭参加作品。

1962年製作/123分/日本
原題または英題:Lonely Lane
配給:東宝
劇場公開日:1962年9月29日

あらすじ

昭和の初期。林ふみ子は行商をしながら、母と駄菓子屋の二階で暮らしていた。彼女が八歳の時から育てられた父は、九州から東京まで金を無心にくるような男だった。隣室に住む律気な印刷工安岡は不幸なふみ子に同情するが、彼女は彼の好意を斥けた。自分を捨てた初恋の男香取のことが忘れられないのだ。母を九州の父のもとへ発たせたふみ子は、カフェー「キリン」の女給になった。彼女の書いた詩を読んで、詩人兼劇作家の伊達は、同人雑誌の仲間に入るようすすめた。まもなく、ふみ子は本郷の伊達の下宿に移ったが彼の収入だけでは生活できず牛めし屋の女中になった。ところが、客扱いのことからクビになったふみ子は、下宿で日夏京子が伊達にあてた手紙を発見した。新劇の女優で詩人の京子は、やがて伊達の下宿へ押しかけてきた。憤然と飛び出したふみ子は、新宿のカフェー「金の星」で働くことにした。その間にふみ子が新聞に発表した詩を高く評価したのは、「太平洋詩人」の福地、白坂、上野山らである。彼らは京子をつれてきて、ふみ子に女同士での出版をすすめ、今は伊達と別れた二人の女は、ふしぎなめぐり合わせの中で手を握り合った。こんなことからふみ子は福地と結婚したものの、貧乏と縁がきれない。ある日、新進作家の村野やす子をつれて、白坂と京子がきた。そして、「女性芸術」でふみ子と京子の詩を選択のうえ、どちらか一篇を掲載すると告げた。安岡が金を持って訪ねてきたことから、福地はふみ子と安岡の仲を邪推した。ふみ子は再び婦らぬ決心で家を出た。その後、ふみ子の力作「放浪記」が「女性芸術」にとりあげられ、彼女は文壇に第一歩を踏み出した。そんなとき、彼女は画家の藤山武士を知った。「放浪記」出版記念会の日ふみ子の眼は感激の涙で濡れていた。林ふみ子という人生をのせた機関車は走り出した……。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0 高峰秀子は上手い、本当に上手い

2026年1月16日
スマートフォンから投稿

普通、役者は監督によって輝くが
高峰秀子の場合はすでに輝いている。

底辺を生きる女の一生
背中を丸めて下品に歩く
下から見上げる女の視線
職にも金にも男にも運が無い
未来の見えない女の姿を表す
やっぱり高峰秀子は上手い。

もちろん監督の成瀬巳喜男も上手い
構図の取り方、人物の気の置き方、
見ている人を、その場に引きずり込む
成瀬流の映画の作り方は素晴らしい。

60年代初頭の撮影なのに
ロケ地もスタジオセットも衣装も
設定に近い30年以上前を見せる。
時々見せる情け無い男の姿
放浪する女に心の安らぎは無い
弱いけど、強い女の放浪記

女を書き綴った
女の生きた道。

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星組

3.5 やさぐれ秀子

2025年8月25日
iPhoneアプリから投稿

悪態を吐き続ける。あまり付き合いたくもないキャラクター。魅力を含ませるのは難しいところ。失敗を怖れずノーガードでぶち当たって、ダウンしても直ぐ立ち上がる。それが芙美子の生きる道とばかり演じ通す。

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Kj

3.5 しぶとい、しつこいっていうのは強いねえ

2025年8月9日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:TV地上波

好きな男に寄り添い捨てられ、嫌なことの繰り返し。
貧乏しながら、工女、女給などで食いつなぐ。
本は好きで、読み、詩を書き、散文を書き。
書いて書いて書きまくる。
懲りない、好きなことを続ける。
何があっても続ける。
しぶとい。これやんなあ。生き様。成功の秘訣。
多くのダメな男、負ける女が登場し、林の人生に幅を持たせている。
最初とつながる最後のシーンは、必要なのかな。

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nyaowan

3.0 【林芙美子という巨大ななにか】

2025年7月14日
PCから投稿

 「僕は林芙美子の作品『放浪記』の中で、世にも卑劣な、世にも女々しい男として肴にされた福地貢です。その『放浪記』に対して僕はなんと言えばいいのか。褒めるかけなすか、要は作品の出来栄えいかんだ。僕達はかつては夫婦でも今は他人、林芙美子が作家ならこの僕も痩せても枯れても作家の一人だ。赤の他人である作家として批判しようじゃないか。おふみ…いつか、白坂が君の作品を嫌ってゴミ箱の中のゴミを棒で突っつき散らしてぶちまけたような作品だと言ったことがある。僕も同感だった。だが僕が今あらためて憎しみをもってあの作品を読んだとき、僕はあの中にゴミ箱の中身のぶちまけられたうそも隠しもない真実の美しさを見いだした。おふみ…『放浪記』はいい作品だよ。ただ少し泣きすぎる。君自身を泣かせたいために僕を悪者にしたようなところもある。お前の言葉じゃないが泣いたってどうにもならないんだよ…。『放浪記』おめでとう。僕は君の才能と努力に敬意を贈る。おめでとう」

 『放浪記』出版記念パーティーにふらりと現れた元夫、肺病病みのイケメン作家福地(宝田明)がふみ子に祝意を伝えたスピーチです。自分の小説が売れない苛立ちを妻のふみ子にぶつける癇癪持ちのダメ男として『放浪記』の中に描かれた自分の姿を読んで、彼はどう感じたのでしょうか。妻を殴り、悪態をつき、威張り散らしていたのに、気がついてみれば結局食われたのは自分の方だったんじゃないか、そう気づいていたかも知れません。自分が虐げていた元妻はいまや売れっ子作家の仲間入り、完全に立場が逆転してしまいました。学歴がなかろうがゴミ箱だろうが、売れたが勝ちの世界です。男も女も関係ありません。成功した元妻の前に自分の惨めな姿を晒しにやってきた福地の姿が哀れを誘います。ただ、祝辞の内容は今ひとつでした。福地がふみ子の作品の中に見いだした「真実の美しさ」とはなんのことなのか。小説の中に真実などあるのか、あるとしても果たしてそれは美しいのか。こんな抽象的なことしか言えないところが、彼が売れない原因なのでは。読者が求めているのは「真実の美しさ」などではなく、何が何でも生き抜いてやるというふみ子のバイタリティと曝露話です。パーティー参加者のひそひそ話にそれが表れています。「泣いたってどうにもならないんだよ…」って、ふみ子はもはや泣いてなどいません。泣いているのは自分の方です。夫婦で共に作家というのも、煮詰まったりして色々やりづらそうです。これに懲りたのか、次の夫は画家を選んだふみ子でした。

 当初売れない詩や童謡を書いていたふみ子は、食うために小説を書くようになりました。小説家というのは自分のフィクション世界の創造主です。題材は日記を元にした自分の実体験。『放浪記』はフィクションですが、そこに登場する人物は実在の身の回りの人たちです。母も夫も友人も、みんな小説の登場人物にされてしまいました。作品の中に取り込まれた人間は、自分の影を失ってしまうように自分の実存を失ってしまいます。夫は魂を吸われたみたいにやせ細り、母は自分の意志を失ったみたいにふみ子の”着せ替え人形”になってしまいました。

 自分が誰かの作った物語の登場人物に過ぎない、という感覚は気持ちの悪いものです。登場人物として作者の内的世界に飲み込まれてしまう、というのは嫌な事です。作家の周囲にいる人達はたまりません。私生活を漫画にして発表し続ける西原理恵子という漫画家も、娘さんとの確執が話題となり、かっちゃんも痩せてしまいました。

 ”全てを丸呑みしながら肥大してゆく巨大ななにか”、林芙美子という人はそんな大きな存在だったのではないかと想像します。本作の高峰秀子は大熱演ですが、どうしても本来の愛らしい素顔が垣間見えてしまい、”底の知れない怪物感”は出せませんし、小説が売れる前と後で、主人公の人物像にもあまり変化を感じられませんでした。

 木賃宿に逃げ込んできた女を庇い、自分も警察に引っ張られてしまうふみ子。「面白い。なんでも経験だ!」彼女はどんな悲惨な現実でもそれを日記に記し、小説に昇華します。誰にも彼女を止めることはできません。彼女自身にも。

 林芙美子は売れるために手段を選ばなかったという話もあります。本作にも、親友から託された原稿を締め切り日までに届けなかったエピソードが語られます。文士というのは実に業の深い存在です。

 加東大介演じる安岡さんというキャラクターは特殊な人です。邪心を持たず、ただふみ子に尽くすことに歓びを感じる忠犬のような男です。詩人であるふみ子の前で石川啄木の『はたらけど…』の歌を諳んじてみせますが、相手にもされません。彼はその純朴さゆえ、ふみ子に取って食われることを免れました。

 『放浪記』を映画化した本作、演技も演出も秀逸ではありますが、結局林芙美子の手の上からはみ出すことはできなかったのではないでしょうか。”南天堂グループ”の面々の様子をもっと盛り込んでいたら、林芙美子を外から見る目線にもなり当時の文壇の状況も分かり、もっと面白くなったかも知れません。

【南天堂グループ】
南天堂書房を中心とした男女文士のグループ。同書房は当時ダダイストやアナーキストの巣窟になっており、反骨の精神に凝り固まった同グループには不倫を戒めるようなモラルなどないに等しく、カップルの組み合わせは変わり放題だった。平林たい子は「芙美子は初恋に破れた痛苦を味わってから、男女関係が行き当たりばったりになった」と述べている。

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jin-inu

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