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本作は、業界で神格化された「大物表現者」が、自ら演出と主演を私物化した結果、リアリティと倫理を完全に喪失した、
極めて質の低い「独善的ファンタジー」である。
1. 「型」に依存した、加齢臭漂う芝居
「実力派」という世間の洗脳を盾に、溜め息や意味深な沈黙を並べるだけの、記号的で臭みの強い演技が全編を覆っている。それは役を生きているのではなく、「思慮深い俺」という虚像を演じているに過ぎない。演出家を兼ねたことで、この自意識過剰な立ち振る舞いを止める者は誰もおらず、観客はただ、演者の自己陶酔を見せつけられる苦行を強いられる。
2. 「旧国営放送的」な役者たちの共犯関係
脇を固めるのは、公的な教育番組や安定したドラマで重宝されるような、いわゆる「安全圏」の役者たちである。彼らは、息子の死や幽霊の出現といった支離滅裂な設定に対し、毒のない「お行儀の良い演技」で同調する。このベテラン勢による互助会的な馴れ合いが、作品の異常さを「芸術という名のメッキ」で塗り潰し、救いようのない甘えを正当化している。
3. 倫理を無視した「屁理屈」の構成
「息子が死にかけているのに加害者扱い(少年院行き)の嘘をつく」という、人間として最低のプロット。これを、古典的な口上を引用した「自分を見つめるための脂汗」という身勝手な理屈で美談にすり替える。最後は花火を打ち上げればすべて浄化されるという、短絡的でご都合主義な結末は、現実の苦しみを知る生活者への冒涜でしかない。
【結論】
これは映画ではない。業界の頂点に居座る者たちが、高額な予算を浪費して作り上げた、中身のない「内輪受けのビデオ」である。演技という名の「虚飾」を剥ぎ取れば、そこには特権階級の怠慢と、現実逃避のファンタジーが残るだけだ。
ここにも、
イチかバチかの俳優と勘違い者が栄え、それが悪循環する。
追記
それを利用したジジイの妄想にも見える。
少なくとも、髭は剃るべきだ。汚い。