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1. 登場人物
ココ:
カラスの羽根を身に纏い、自らを「地球を作ったパパとママ」の延長として位置づける。死すら自分が定義したルールの一部であり、双子の妹を殺した過去(首締め合いゲームで「本物」になった)は、彼女の「本物」証明。
最終的に「やっぱりあたしが死ななきゃダメみたい。あたしがアンタの罪洗い流してあげる」と宣言し、自身に引き金を引く。
→世界が終わらないことを知りながら、つむじのために「世界が終われば罪は消える」という希望を守り抜き、自死をもって彼の罪ごと自分の世界を終わらせた。
つむじ:
雨がトリガーとなり、トラウマ(お絵描きの先生による虐待・殺害の過去)を再生・暴走させる。
聖書(神父からもらった黙示録)を読み込み「7/10に地球が滅亡する」と宣言するが、神からの救いは得られず。
「神様が許してくれても、あいつ(被害者)は俺を許してくれない」「俺一人だけ天国かよ、なんか寂しいな」という言葉に、第三者からの承認・許しへの渇望が凝縮。
ココのキスと身体の提供でトラウマのループ再生を強制中断される瞬間が、彼にとっての唯一の「救い」。神ではなく、ココの自己犠牲が彼を「救った」。
さとる:
「信じるから俺を救ってよ」「ずっと前から好きだった」と他者に縋る純粋さと弱さ。
境界線(塀の上)を維持する力が最も弱く、7/10の探検で最初に「地面」へ脱落。
死の間際まで「塀に登らなきゃ」と足掻く姿は、現実(地面)を拒絶し、唯一の生存圏である境界線への必死の回帰願望。
→ 彼にとって塀の上は「生きられる唯一の場所」。落ちる=現実世界に殺されること。
2. 「塀」の意味
- 施設と外界の狭間:有刺鉄線の向こうに「地球(現実)」が見えるが、降りると罰(注射・隔離)。塀の上なら「外に出ていない」→ 3人にとって唯一のハビタブルゾーン。
神父 vs さとるの対比
神父:「塀から降りられないのかぁ。天使が舞い降りたか?」「僕がそっちへ行くっていうのはどうかな?」→ 社会的基盤を持つ大人ゆえ、境界を「降りる」自由も「登る」自由も持つ。一度は登ってきてくれるが、最後は地面に戻る(現実世界を生きる選択)。
さとる:塀の上しか生きられない。降りる=死。神父の「自由」と正反対に、現実を受け入れられないが故の死。
- 犬と並走するココ:塀の上から外の世界(犬)と互いの存在を認め合う唯一の瞬間。
3. 世界の終わりと「身代わり」の救済
- 人形の投影:教会の女の子たちに道端で拾った人形を投げるが、怯えられて拒絶。人形は放置され、ココ(彼ら自身)の社会からの疎外を象徴。
- 太陽とピストル:海に辿り着き、ピストルで太陽を3発撃つが大爆発なし=世界は終わらない。
ココの決断:「私が死ななきゃダメみたい」→ 自らの頭を撃ち抜く。
これはつむじの罪を「洗い流す」ための身代わり。ココは世界の終わりを「自分の死」で代行する。
4. 結論
- 現実社会(地面)には彼らを許す場所はない。教会の子供たちには拒絶され、神父は境界を越えても最終的に「降りる」。
- しかし、境界線の果て(海)で「互いの痛みを受け入れ、命を差し出す」という極めて私的・身体的な形でしか、彼らは救済に辿り着けなかった。
- つむじ:神ではなくココの犠牲でトラウマが止まる。
- ココ:自死で「世界の終わり」を完遂し、つむじの罪を肩代わり。
- さとる:最初に落ちたことで、残る2人に「境界の限界」を突きつける役割。
- 地球は滅亡せず、ココの死でようやく「終わり」が訪れる。でもそれは救いではない。