昭和40年代、石炭から石油へのエネルギー革命が起きていたちょうどその頃・・・嘗ては石炭の採掘により潤っていた炭鉱の町が、今や炭鉱閉鎖の危機を向かえ、人々は次々と職を失い、希望を失ってうろたえていた。今から40年以上前の田舎の炭鉱町の雰囲気が素晴らしい。炭鉱の山を背景にしたうらぶれた町のオープン・セットと美術、1960年代半ばの小雪がちらつく真冬の雰囲気が良く出ている。近年の日本映画には無かった説得力のある地に脚が付いた作風に好感が持てた。
こんな危機的な状況を打開する為、この死に掛かった北国の町をなんとハワイに変えようとする余りにも無謀な、しかし起死回生とも言える一大プロジェクトが持ち上がっていた。
常磐ハワイアンセンターの建設だ。しかし町の人々は、雇用確保の意味では多少の効果を認めるものの、東北の田舎町をハワイに変えるなど鼻から馬鹿にして相手にもしないのだった。
そんなハワイアンセンター側の抱える一番の問題は、如何にしてフラダンスショーを踊るハワイアンダンサーを育成し確保するかなのであった。
そんな時、町を救う為、失業した父母の代わりに生計を支える為、そして何よりも旧態依然としたこの世界から脱出したいと言う自らの夢の実現の為、ベタベタの東北弁を話す炭鉱娘たちがこれに立ち上がったのだった。
東京では一流になれず、しかも旬を過ぎた訳ありの過去を背負うダンサーの平山まどか(松雪泰子)を教師として迎えて。
食べていく為、嫌々ながらこの仕事を引き受けた平山と、純情で真剣な炭鉱娘たちとの葛藤が始まる。
極めて閉鎖的且つ保守的で、裸同然の姿でフラダンスを踊るなどとんでもないことと考える嘗ての炭鉱町を支えていた親世代と娘たちとの対立。
そんな場違いな町に突然やって来た突っ張ったダンス教師と炭鉱で働くクマのような男たちとのやはり葛藤。
相反していて互いを受け入れ得ない対極を成す状況が無数に混在した形で提示されていく。そしてそれらがこの映画のドラマチックな原動力になっていく。
初めは馬鹿にしていてヤル気の無かった平山も、余りに純真でひたむきな少女たちの姿を前に、嘗ては自らも持ち合せていた筈のダンスに対する情熱とプロ意識に次第に目覚めていくことになる。
家を飛び出してしまった娘、紀美子(蒼井優)の真摯なダンスレッスン姿に目を覚まされた母、千代(富司純子)も陰からハワイアンセンター・オープンに力を貸し、住民たちに語る。炭鉱ではなくもっと明るく楽しく働ける。そんな時代が到来したんだと。
真冬の炭鉱から常夏のハワイへ。モノクロームに近い寒色系からトロピカルな暖色系へ。暗く澱んだ炭鉱内を舞台にした採掘現場から南海の楽園を彷彿とさせる若さとエネルギーに満ちたハワイアン・ダンスナンバーへと。
忘れてはならない戦後日本が抱えた歴史の検証であると同時に、いつの時代にも通じる旧世代と新世代との対立、世代交代、時の移り変わりに飲み込まれていく人々の人生の悲哀をも感じさせられ、作品は予想以上に深い。
「どんなに暗くて辛くても、いつもスマイルで踊ること!」・・・平山のこの言葉をモットーに、ド素人だった少女たちはレッスンを重ね、最後にはプロダンサーとしてセンター・オープンの舞台に立つ。そして華麗なミュージカル・ナンバーとも言えるダンスナンバーが展開しつつ、映画は大団円を迎える。
夢と希望に満ちたフィナーレ。「やれば出来る!やったらやれる!」嘗ての黄金時代のアメリカ映画、フランク・キャプラ監督作品などで学んだあの精神!淀川さんがアメリカ映画を語るとき、目を輝かせていつもいつも繰り返しては私たちに語ってくれたあの心意気が、この映画にはしっかりと息づいているのだ。