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あらすじ: 東南アジアのタイにあるらしい小さなおもちゃ工場では子供たちが強制労働させられている。子供たちはミスをすると社長や工場長に棒で叩かれる。ある子供が作ったチェック柄の忍者着を着たニンジャ人形にカミナリが落ち人形に魂が宿る。そのニンジャは子供たちに苦しみを与える悪に復讐するためおもちゃ工場の社長を追ってはるばるヨーロッパまでやってくる。ヨーロッパのとある町で中学生くらいの主人公と出会い主人公とニンジャの友情が描かれる。学校のいじめっ子に無抵抗だった主人公は正義とは何かをニンジャから教わり成長する。
感想: 無料で昨日観たがとても感動した。小さなニンジャ人形が子供の味方となって悪を懲らしめる物語。「チャイルド・プレイ」のチャッキーのような呪いのニンジャ人形が「忍者ハットリくん」のように子供の味方となって悪を懲らしめる。この作品は二つの正義を描いている。ひとつは無知で無抵抗な子供たちを強制労働させ大人の金儲けに利用させないようにする正義。もうひとつは学校のいじめっ子などの脅しや暴力に屈しない正義だ。小さなニンジャは確固とした意志で正義を守ろうとするがそういうニンジャの姿勢に一番感動した。(感想終わり)
追記1: 令和8年(2026年)1月31日
このアニメが作られたデンマークという国は今はヨーロッパの小国であるがこの作品で登場する小さいが勇気あるニンジャはデンマークという国の比喩でもあると思った。デンマークはドイツ、ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど大国に囲まれるが正義をもっている国であるとこの作品は言っているようである。作中に登場する悪役の社長やいじめっ子はデンマークに圧力をかけ影響力を与えようとする横暴な大国のことであろう。小さなデンマーク(チェック柄のニンジャ)はそれらの大国に怖気づかず正義を貫くという信念がこの作品には込められていると思った。デンマーク国旗のデザインは赤と白のチェック柄なのでこの作品に登場するチェック柄の小さなニンジャはデンマークの比喩だと思った。
追記2:
この作品ではタイの工場でニンジャのおもちゃが作られていたり、ニンジャが復讐のため帰っていくのがタイだったりする。ヨーロッパの人々は東南アジアも日本も中国も韓国もみな同じに感じて見分けがついていないのだろうと思った。東アジアや東南アジアの人種は同じような顔で小柄だからヨーロッパ人には同じに見えるのであろう。仕方がないが少し悲しかった。だが私もドイツ人とデンマーク人とスウェーデン人の違いはあまり感じないのでお互い様なのであろう。
追記3:
切腹のシーンが良かった。劇中の終盤でニンジャは社長への復讐作戦のために拾った麻薬を体に縫い込むことにする。切腹のようなしぐさで麻薬を体にいれる。この時ニンジャは切腹のふりをしただけと視聴者に思わせておいて実は本当に自分の命を掛けていたのが後でわかる。ニンジャは自分の命をかけて正義を行ったのであった。Wikipediaを調べると日本の武士の切腹という刑罰は名誉という概念と関係が深かったと思われる。武士の切腹という刑罰は自分や一族郎党の名誉のために自分の命を社会に差し出したのだった。切腹は自分で自分に罰を与える刑罰である。この作品ではニンジャは罪を自覚していないので切腹の解釈が違うと思った。ヨーロッパ人が作ったアニメなので仕方がないが、とにかくも切腹のシーンは良かった。
追記4:
日本という国もこの映画のチェック柄のニンジャのように正義を行えるようなって欲しいと思った。大国の脅しに屈せず、経済の為に弱い立場の人々を騙したり虐待するようなことは許してはいけないのである。この映画は正義とは行動することであると説く。主人公の少年はチェック柄ニンジャとの交流を通じて正義の行動の大切さを学ぶ。最初、悪に見て見ぬふりだった少年は正義の行動の尊さを理解する。いじめっ子にいじめられている人や困っている人を見てみぬふりをしたり、凶悪犯罪をテレビの他人事として済ますのはいけないのである。正義を守る行動しようとこの映画は私たちに訴えかけていると思った。命を掛けてでもいちばん守らないといけないのは財産や安全ではなく正義である。悪は財産や安全が私たちの弱点であることをよく知っておりそれをうまく利用しようとする。私たちが正義を優先しなければならない理由はここにある。チェック柄ニンジャのように悪に毅然と対抗するためには財産や安全を犠牲にしなければならないかもしれない。それはとても難しい。だからこの作品が私たちに伝えようとしている正義を成すことの難しさや尊さは心に響くのである。世界中にはびこる悪は私たちの財産や安全をおどして自分たちの都合のいいようにしようとするが私たちはそれを毅然とした態度で対抗し正義の行動をする必要がある。目先の財産や安全を守ろうとして悪に屈し恐怖に支配された社会を未来に残すべきではない。この作品「リトル・ニンジャ 市松模様の逆襲」はそういう悪に対する毅然とした態度の大切さというメッセージをもっている名作であると思う。
追記5:
チェック柄ニンジャは自分の身を犠牲にしてでも正義を貫いた。タイのおもちゃ工場の悪徳社長はチェック柄ニンジャの活躍により悪事が暴かれて逮捕された。悪事は人の欲望につけこみ弱い者から餌食にしていく。悪徳社長は子供たちを強制労働させミスをすると暴力をふるい自己の利益をむさぼった。チェック柄ニンジャは世の中の悪事に見て見ぬふりはしない。学校のいじめっ子も自分のプライドのみを気にし、他の生徒たちを威嚇したり脅したりし、気に入らない弱い生徒に暴力をふるった。悪徳社長やいじめっ子には正義のお仕置きが必要である。
追記6:令和8年(2026年)2月1日
本作のデンマーク語の原題は「Ternet Ninja」で意味は”格子柄のニンジャ”である。本作の日本語の題名は「リトル・ニンジャ 市松模様の逆襲」だが厳密には劇中のニンジャは市松模様ではなく格子柄(チェック柄)である。日本のアニメ「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎の着ている服の模様は市松柄である。日本語の題名を付ける際に売り上げを伸ばせるようにあえて市松模様の表記にしたのだろうか。映画の題名を訳すという作業には売る側のいろいろな思惑が入っていると思った。例えばアメリカ映画「ショーシャンクの空に」は英語の原題は「The Shawshank Redemption」で"ショーシャンクの贖罪"という意味になる。
贖罪とは: キリスト教で,人々の罪をあがない,人類を救うために,イエス-キリストが十字架にかかったとする教義。和解。(AI回答より)
「贖罪」ではキリスト教の色が強すぎるので、宗教色を薄くするためにあえて「空に」としたのかもしれない。この日本題はショーシャンク刑務所の空に何をしたんだろう?何がいるんだろう?などと想像が膨らむ。 空に希望を抱いた、空にいる神に祈った、空にガッツポーズをしたなどいろいろ考えて楽しめる良い日本題である。空とは天国や神のことであり「ショーシャンクの空に」はショーシャンク刑務所の空の上に確かにいる神さまに救われたという意味なのかもしれないと思う。
追記7:
本作のニンジャは社長に復讐し子供たちの苦しみを救うために自分の命をささげる。このような自己犠牲の精神はキリスト教の贖罪の考え方である。イエス・キリストは人々の罪をすべて背負い、人類のためにみずからが犠牲となる。キリスト教でイエス・キリストが十字架に貼り付けにされているのは人類全員の罪をイエス・キリストがひとりで犠牲になって代わりに背負っているからである。本作のニンジャが子供たちのため自分の命を捨てるのはニンジャがイエス・キリストを比喩しているのかもしれない。本作がつくられたデンマークをはじめヨーロッパの国々はほとんどがキリスト教の国である。キリスト教は欧米の映画製作者などのクリエイターたちに多大な影響を与えていると思う。そもそもヨーロッパでは昔から芸術のほとんどがキリスト教の布教のために作られていたと思う。有名なレオナルドダビンチの絵画「モナ・リザ」も聖母マリアをイメージさせる。欧米の人々はキリスト教の呪縛から逃れられないのである。日本の作品が海外で受け入れられるときキリスト教の考え方に類似することが必要かもしれない。彼らは科学技術の発展した今日においてもキリスト教が生活や思想の根本を支配していると思われる。これは私が欧米の映画を観てきて思ったことである。
追記8:
本作はアニメ映画であるがアメリカのアニメ「サウスパーク」などのアメリカのコメディ作品によく登場する下品なネタを豊富に含んでいる。暴力的でホラーやサスペンス要素もある。大人が観て子供が真似して欲しくない要素も多い。しかし日本の少年雑誌などにも下品なネタは多いので下品なネタは子供たちが大好きな要素なのだろう。
追記9:正義とは何か
正義とは何なのかAIにチャットで聞いてみました。
「「正義」という言葉は、シンプルに見えて実はとても奥深い概念です。ひと言でまとめるなら、正義=人や社会にとって“公平で正しい状態”を実現しようとする考え方や行動
正義は「社会をより良くするためのコンパス」のようなもの。
ただし、みんなが同じ方向を指すとは限らないので、議論が生まれるわけです。」
(AI回答より)
という回答であった。これを見ると社会をより良くするための切磋琢磨が正義の正体なのであろう。本作「リトル・ニンジャ 市松模様の逆襲」では社会をより良くするため努力を惜しんではいけないというメッセージが含まれていると思う。主人公の少年は日和見的な態度で悪に見て見ぬふりをしていた。それに対してニンジャは自分の身を惜しまず悪を許さなかった。社会をより良くするため、正義のためには身を惜しんではいけない。しかし正義は個人個人微妙に違いがあり、都市や地方や国が違うとまた正義も微妙に変わってくる。時代によっても正義は変化する。
「正義は視点によって変わる。ここが面白いところで、正義は人や文化、時代によって解釈が変わることがあります。ある人にとっての正義が別の人にとっては不公平に見えることもある」(AI回答より)
正義が必要なのは人類が社会的な生物だからであると私は思う。動物には正義はなく力のみが彼らの行動規範である。力の強弱がすべてを決定するのが動物である。正義は人類が自分たちで勝手に作ったものである。しかし人類の正義は長い年月をかけて切磋琢磨して築き上げてきたものである。動物の強弱も同様に長い年月をかけ切磋琢磨してきて作られている。両者の違いは何なのだろうか。本作の悪徳社長は無知で無抵抗な子供たちを強制労働させ棒でいためつけ財力で従わせ現地の大人を支配し富を得ている悪党であるが彼にもまた正義があるのだろう。本作の主人公を脅す学校のいじめっ子は自分の地位やプライドを守ることに執着し気に入らないと暴力や脅しに訴えほかの生徒たちを恐怖で支配しようとしたがその彼にもまた彼の正義があるのであろう。悪徳社長もいじめっ子も動物ではなく人類の一員である。人類は長い年月をかけても一般的な正義を今もなお模索中なのだと思う。正義は長い年月をかけて切磋琢磨して磨かれるものであると思った。正義はときに暴走する。その時代その国でいくら絶対的に正しいと信じられる正義であっても再考の余地がいくらでもあると思う。正義は絶対的な神ではなく人類の切磋琢磨で磨かれるものである。切磋琢磨の為には人類は財産や安全をあえて犠牲にしなければならないのかもしれない。そうしないと財産や安全を人質に取られてしまい恐怖で言いたいことが言えなくなる。人類のために切磋琢磨し正義という美しい宝石を磨くことをやめてはいけないのだと思う。本作のニンジャは自分の財産も安全も捨てて地球の万民に利益のある正義を人類のために示したのだと思う。正義は自分の財産も安全も顧みないことによって初めて万民に共通するものが見えてくるのだと思う。正義は宗教に少し似ているがやっぱり少し違うと思った。