コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第39回
2026年1月27日更新

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、史上最も退廃的といわれるローマ皇帝カリギュラを描いた歴史大作を再編集した「カリギュラ 究極版」。実在したローマ帝国皇帝の暴君ぶりと乱行を約46億円もの製作費をかけ、世界的名優と豪華絢爛なセット、唯一無二の世界観で描き出した超問題作の製作の裏事情とテーマを考えます。
※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。
権力、そして欲望とは? なにをやっても許される立場は、なってからが意外とむずかしい 昔の超大作エロ映画を再編集「カリギュラ 究極版」を見て考えた

(C)1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
▼好き勝手なことだけをやった暴君を描く「カリギュラ 究極版」を見た
みなさんは王様になったら、どんなことがしたいですか?
国のためとか、国民の幸せを考えるような、そんな生ぬるい王や女帝である必要はないですよ。富は自分勝手に使い放題。誰もあなたを批判しない。反抗する奴がいたらバンバン殺していいわけです。
むかつく外国に喧嘩をふっかけるのも楽しそう。まあ戦争にはなるけどね。一兵卒じゃなく王様なんだから、それはそれで楽しそう。
それであなたが裁かれるとしたら革命っぽいことが起きて、あなたがいきなり無惨に殺されてしまうとき。その日が来るまでは好き勝手にやっていていい。それでこそ王。
ぼくだったら、どんな王様になるかな。国中のあらゆる美女や美青年と毎日セックスし放題ってのを一瞬、考えましたが、でもスイーツ食べ放題のこと考えるとね、やってるうちに義務化してきて、そのうち飽きるんだよ。やり放題は月イチくらいでいいや。
あと、ぼくの命令が絶対で、誰であろうとぼくとセックスしろと言われたらしなければならない法律のもとでするセックスは、そんなに楽しくないだろうなという予感もある。たぶん、やってるうちにだんだん寂しくなってきますよ。
なぜかというと結局のところ、ぼくは「愛されたい」からです。セックスはしたいですけど「人を無理やり命令に従わせてセックスしたい」のではない。多くの人もそうなんじゃないかと思うんですがどうですか。
でも愛されたいからといって、何をすればみんなが喜ぶのだろうなんてことを調査させて国民の顔色に媚(こ)びる、せこい王様にはなりたくない。そんなんだったら民主主義と変わらないし、さんざんマーケティングをしてから作られる映画と同じだ。封建的な王様になった意味がない。
人々の幸せとは関係なく好き勝手なことだけをやって、その結果として人々から愛されたい。愛されていたって、王という存在は殺されるときは殺されちゃうんだから。人々は幸せかどうかには関係なく、ぼくを、ぼくがやったことを、心から愛してほしい。でも「俺を愛せ」と強制することはできないんだよなぁ。
カリギュラくんは少なくとも美しい妹さんからは愛されていたようです。近親相姦もしてました。もうそれで充分だろうって気がしないでもないですけどね。映画を観て、彼はバカではなかったはずだとも思ったんですけど(いや、バカだったのかな?)どうして王様になってから、もっとうまくやれなかったんだろう? いきなり玉座に就くことになって、自分の欲望についてじっくり考えてる時間がなかったのかな。
なにをやっても許される立場というのは、なってからが意外とむずかしいことなのかもしれないですね。

(C)1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
映画を作るにはものすごくお金がかかります。「カリギュラ」制作にお金(46億円ですって)を出したのは、ていうか、こういう映画を作ろうと言い出したのはボブ・グッチョーネという人です。エロ雑誌を作って売って大金持ちになった人。「カリギュラ!」っていう音の響きもすごいですけど「グッチョーネ!」という響きもすごいですね。もう名前だけで、ただ者じゃないという感じです。なにしろ大金持ちですから、まわりには逆らう人はいなかったんでしょうね。小規模な王様といっていい。
グッチョーネさんはエロ本を作って小さな王様になったんですから(ぼくもエロいビデオをいっぱい作ったんですけど王様にはなれなかった……)立場的にセックスし放題だった、かどうかはわかりませんが、少なくとも美しい男女の裸体やセックスしてるところは見放題だったのはまちがいない。彼の財と権力に媚びて彼とセックスしたがってくれる人も何人か(何人も)いたのかもしれない。
そういう人が、こういう「カリギュラ」みたいな、自由すぎるセックスや不道徳すぎる行為をやってやってやりまくった神聖ローマ皇帝(それがグッチョーネさん自身のことだとしたらナルシシズムの臭いがしますけど)が最後に殺されてしまう映画を、作りたくなる気持ちはなんとなくわかるんですよ。いや、もしかしたら、じつはそんな複雑な感情ぶくみの動機じゃなく、たんに「どエロい映画を金をかけまくって壮大なスケールで作ったら、また儲かっちゃうぞ~」というビジネス上の計画だけだったのかもしれないですが。その思惑(おもわく)は当たります。

(C)1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
▼大当たりした超大作エロ映画版「カリギュラ」
超大作エロ映画版「カリギュラ」(1979)は、たいへんな悪い評判とともに興行的には大成功し、日本でも1980年に(性器にはボカシがかけられまくってたんでしょうけど)公開されて大ヒット。以降、エンタメの世界では「こんなもの見ちゃダメと言われると人は見たくなって、売れる」という現象が、カリギュラ効果と呼ばれるようになったそうです。
もちろんグッチョーネさんがどんだけ金持ちでエロ好き親父でも、大作映画の撮影現場を仕切ることは技術的にできません。そもそも脚本が書けない。そこで脚本家として起用されたのが小説家のゴア・ヴィダル氏、監督を(いったん)まかされたのがティント・ブラス氏。
王様が三人いたんですわ。そりゃ混乱するわ。ヴィダル氏が書いた脚本は同性愛描写が多すぎて、ブラス監督はそれを削って残虐エロ史劇を撮った。そしたらグッチョーネさんは監督にないしょでモブのセックス本番シーンをメチャメチャ撮り足して勝手に編集しちゃった。編集から追い出された監督は怒って降板、主演俳優たちも劇場公開されてから自分が出てる映画のあまりの下品さを知ってショックを受けたんだそうです。
三人の王様が、それぞれ作りたい映画が違ったのね。79年に公開されたのがグッチョーネ版で、ヴィダル氏のシナリオも別の作家によってノベライズされて小説として出版されてるそうです。そしてブラス氏が撮ったけれども本編で使われなかった膨大なフィルムが、新しいスタッフの甚大な苦労によって復元され、それが最大限生かされて今回の「カリギュラ 究極版」が誕生したとのこと。

(C)1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
▼主人公カリギュラを演じるマルコム・マクダウェルの目に注目
ズッコンバッコン場面は45年前のより少なくなってる。そうすると何が前景に出てくるかというと、主人公カリギュラくんの表情です。ぼくは残念なことに昔のエロ版カリギュラを観てなくて、あれ、この役者さん誰だっけ? ぜったい見たことある人なんだけど???って最初わかんなくて、でも途中で気がつきました。衣装があまりにも違うからわかんなかったんだけど、この人、あのスタンリー・キューブリック監督「時計じかけのオレンジ」(1971)の主人公、「雨に唄えば」を歌いながらリズムに合わせて老人を楽しげに蹴りまくるアレックスくんを演じた、マルコム・マクダウェルだ。
若いときのマクダウェル氏の表情、もちろん俳優としての演技なんですけど、これ何なんでしょうね。アレックスくんが弱者に暴力を振るうとき、カリギュラくんが暴政三昧の日々を送るとき、いじめっ子の残虐な目と尊大きわまる不快な顔つきをしていて、でも、それは不安そうな、寂しげな目でもあるんです。

写真:Album/アフロ
誤解を招くといけないので断っておきますけど、ぼくは「いじめっ子は、ほんとうは寂しいんだ」なんて言うつもりはありません。現実のいじめっ子は(ぼくは子どものころ見たことがありますけど)ただただ冷たい、非人間的な目をしています。
でも、そういう子どもがそのまま大人になってしまったようなアレックスくんや、それがさらにとんでもない権力を持ってしまったカリギュラくんという映画の中のキャラクターを演じるとき、マルコム・マクダウェルがやったのは、目の異様なギラつきの奥を寂しさで色づけることでした。
全権プロデューサーであるグッチョーネ氏は監督を怒らせ(その前に監督も脚本家を怒らせてるんですけどね)お金の力で無理やり「カリギュラ」を自分が思うようなエロ作品にして公開します。彼は遠くにいたお客さんであるポルノ愛好家たちや、ポルノを見たことがなかったけど見たかった人たちを映画館に呼び、旧「カリギュラ」はその人たちの欲望によって愛されたのでしょう、とにかく興行的には大成功したんですから。しかし、ものすごく近くにいた映画のクルーやキャストたちからは愛されなかった。
ぼくは、いじめっ子のことも現代の権力者たちのことも嫌いですが、グッチョーネ氏やカリギュラくんのことはなんだか嫌いになれないんですよね。もちろんそんなプロデューサーや皇帝が自分の近くにいたら絶対にイヤですけど。

(C)1979, 2023 PENTHOUSE FILMS INTERNATIONAL
筆者紹介
二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。
Twitter:@nimurahitoshi









