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インド・グジャラート州のとある田舎町を舞台に、映画の魔力に取り憑かれた少年サマイの成長を描いたジュブナイル・ストーリー。
日本でも近年盛り上がりを見せているインド映画だが、多言語国家であるインドでは作られる地域によって用いられる言語が異なる。例えば、『バーフバリ』(2015-)や『RRR』(2022)は南東部で用いられるテルグ語、『タイガー』シリーズ(2012-)や『ガリーボーイ』(2018)は北部のヒンディー語、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995) や『ジガルタンダ』(2014-2023)は南部のタミル語、『K.G.F』(2018-2022)は西部のカンナダ語で製作されている。一口に「インド映画」といってもその体制は作品ごとに大きく異なるのである。
本作は、インド北西のグジャラート州で主に用いられるグジャラート語で製作された作品。全く聞き馴染みのない言語だが、このグジャラート語映画が日本で一般公開されるのはなんと本作が初なのだという。これは文字通り“未体験ゾーンの映画“なのだ。
言語も異質だが、その作風も異質。インド映画といえば、「歌とダンスのエンタメど真ん中」という印象が誰の頭にもあるだろうが、本作はそれらの作品とは全く異なり、詩的で繊細なタッチで少年の喪失と成長を瑞々しく映し出す。
監督のパン・ナリンはグジャラート州出身であるが、現在はフランスに在住しているらしい。フランスのオレンジ・スタジオが製作に携わっているのはそのためか。このヨーロッパ映画を彷彿とさせるアーティスティックな雰囲気は、グジャラート語映画だからというよりはパン・ナリン監督自身の持ち味なのだろう。どちらにせよ、インド映画にはラージャマウリ監督作品の様なエンタメ大作だけではなくウェルメイドな小品もあるということを知れただけでも、本作を鑑賞した甲斐があった。
ジャンルとしては『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)、近年では『サマーフィルムにのって』(2020)や『バビロン』(2021)に代表されるような「映画愛映画」。映画に出会った少年がその魔力に魅了され、やがて自分も映画作りを志す様になる云々といった、まぁありがちなやつではあるのだが、本作の特徴はこれが監督の半自伝的作品だということ。時代設定こそ1980年代から2010年に変更しているが、それ以外はかなり忠実に自身の少年時代を再現しているらしい。撮影場所には監督の本当の故郷が使われており、そこに暮らす現地の子供たちをスカウトして映画に出演させた。主人公サマイですらプロの子役ではないのだ。また、「ギャラクシー座」も本当に初めて映画を観た映画館をそのまま使っているなど、ナリン監督の本作への思い入れは尋常ではない。
インドは言わずと知れた映画超大国で、年間制作本数(約2000本)と年間観客動員数(約20億人)はぶっちぎりの世界一である(アメリカの制作本数は約700本、観客動員数は約12億3,000万人)。インド人の映画愛の強さは並大抵ではないが、その中でもパン・ナリン監督は常軌を逸している。なんて言ったって、「インド映画以外でお気に入りの映画は何がありますか?」という質問に勅使河原宏監督の『砂の女』(1964)を挙げる人だもん💦彼の狂気にも似た情熱は、本作を観ればよくわかることだろう。
ジャンル自体はありがちなのだが、その内容はこれまたかなり異質。普通「映画を作りたい!」となったら、ビデオカメラで自主映画制作を始めるとか、脚本を書き始めるとかするものだが、サマイは違う。廃材を集めてきて、仲間と共に自前の映画館を制作してしまうのだ。いやそっちっ!!?
このツイストは予想の斜め上を行っていたが、とはいえ考えてみれば、サマイたちが暮らしているのは本当にこの世の果ての様な場所な訳で、どれだけ田舎でも一応コンビニはある日本やアメリカとはやはり感覚が違う。本当に何もないからこそ、ソフトではなくハードから作るという発想こそが自然なものなのかもしれない。
彼らのDIY精神は凄まじく、簡単なヒントで映写機の仕組みを解明しそれを作ってしまうどころか、その映像にサウンドまで付けてしまう。これらもナリン監督の実体験だということだが、さすがにちょっと盛ってない…?これが本当なのだとすれば、この人は本当に映画の申し子である。
舞台を2010年にしたのは、フィルムからデジタルへ、映画の上映形式が変わった瞬間を描き出すため。インドでは映画がデジタルへ移行したことにより10万人以上の映写技師が職を失ったと言われており、監督の友人もそのために失職したのだとか。技術の進歩は切り捨てられた職人の上に成り立っていることを忘れてはならない。
ここでもまた監督の特殊性が光る。捨てられた映写機とフィルムがどの様な末路を辿るのか、その顛末をきっちりと映してみせるのである。ドロドロに溶かされた映写機はスプーンに、フィルムはカラフルな腕輪になりました、という即物的なリサイクルには無常感を覚えるが、その腕輪を身に付けた華やかな女性たちの愉しげな様子が映し出されるエンディングには安らぎと希望が宿る。フィルムが終わっても、それは別の形で人々に寄り添うのです。
原題『Last Film Show』は、後半になってその意味がわかる素晴らしいタイトル。“Film“って「映画」のことじゃなくて本当に「フィルム」のことだったのね。これを『エンドロールのつづき』としてしまうと、このタイトル回収の気持ちよさが死んでしまうような…。原題ママでも良かったんと違うかね。
2010年という時代の再現性については、正しいのか誤っているのかはよくわからん。日本人の感覚からすると戦後まもなくかよっ!とか思うんだけど、まぁライオンが住んでる様な辺鄙なところだから割とこのくらいがリアルなのかも。それでもスマホや携帯を誰1人として持っていないなんてことがあるのだろうか…🤔
9歳の男の子をひとりで都会に行かせて、その後の学費とか生活費とかどうすんの?親父の店は近いうちに潰れるのに…とか、そういう細かいところが気にはなるのだが、全編にわたって溢れる美しい光と豊かな時間が観るものの心に深い感動を残すウェルメイドな1作。なんでこんなオッさんと結婚したんだ!?と疑問を抱かずにはいられない程美人なお母さんが作るお弁当がとにかく美味しそうなので、鑑賞後はインド料理屋に駆け込みたくなるぞっ!
掘れば掘るほどお宝が見つかるインド映画界隈。まだまだ金脈はたんまりありそうだ。