映画レビュー
PRO
ベッソン、犬、そしてあの楽曲の組み合わせの妙
牛津厚信さん | 2024年3月26日 | PCから投稿
ベッソン新作と聞いても大して触手が反応しないほど、かつての勢いはすっかり霞んでしまったかに見える。だがこの久々の監督作には、プロデューサー目線の「プロットの面白さ」とは異なる、一時代前のベッソン監督作にあった「生き様」感がふたたび強く発露しているように思う。冒頭の箴言を地で行くように、幼少期のベッソンも犬以外とは言葉を交わさない子供だったとか。ならば主人公の人物像にもいくらか彼自身の内なるマグマが投影されているというのは言い過ぎだろうか。さながらアメコミ・ヴィランを主役に据えたかのような印象を受けつつ、犬との連携プレーを十二分に生かした小気味よいアクション場面には目を見張るものがあるし、やがてエディット・ピアフの楽曲が悠然と流れ出す頃にはベッソン作の新たな旗印と言うべき主演ケイレブの得体の知れぬ輝きがより深遠なものとなって迫ってくる。このユニークかつ豊かな組み合わせに思いのほか魅せられた。
PRO
聖俗の反転を象徴する主人公にケイレブ・ランドリー・ジョーンズの好配役
高森 郁哉さん | 2024年3月16日 | PCから投稿
GODの綴りを逆にするとDOGになるという言葉遊びは昔から知られさまざまな作品にも使われてきたが、本作では犬の檻に張られた「IN THE NAME OF GOD」の標語のスペルの一部が裏から見て「DOG MAN」になるショットで分かりやすく示されている。負け犬、権力の犬といった具合に犬は洋の東西を問わず卑俗なものの象徴とされがちだが、反転させると聖なる存在になる。社会の底辺で生きるダグラス・マンローにはほかにも、男性でありながら女装を好む、弱者でありながら犬たちを仲間のように操りギャングにも負けない強者になる、といった具合に属性の反転がいくつも重ねられている。
そんなダグ=ドッグマンに、繊細さと脆弱さ、純粋さと狂気を秘めたケイレブ・ランドリー・ジョーンズがまさに適役だ。狂気あるいは狂信の先にある聖性という点で、リュック・ベッソン監督はかつて「ジャンヌ・ダルク」でその生涯を描いた信念に殉ずる聖人を重ねたのかもしれない。その一方で、イタリア映画「幸福なラザロ」で描かれたような“聖なる愚者”を想起させもする。それにしてもベッソン監督、60代半ばにして新境地というか、新たな一面を見せてくれて嬉しいではないか。犬たちの名演技もほほえましい。