映画レビュー
PRO
この日々、このやりとり、この彷徨を見続けてしまう
牛津厚信さん | 2023年6月29日 | PCから投稿
決して大きな出来事が起こったり、何かが劇的に変わるタイプの物語ではない。劇中に音楽はなく、観る者の感情を揺さぶったり、今この瞬間がハイライトだと強調することもしない。つまるところ全ては観客に委ねられている。光石研演じる主人公についても、本人は何かしら問題を抱えてはいるが、それが動力となって物語を牽引するわけではない。主人公はずっと喋っている。が、だからと言って心情が正直に詳述されることはなく、彼が何を考えているのかわからない顔つきで歩き、飯を食らい、定時制高校の教頭先生として学校で教職員や生徒と接するその「姿」を我々は絶えず目撃し続ける。彼はこれまでどう生きてきて、これからどう生きるのか。受け止め方は自由だ。誰も強制はしない。なのに不思議なもので、光石の一挙手一投足を見ているだけで、日常の一部を共有しているように感じ、彼のことがどこか気になり、この彷徨を見届けたいと感じてしまう映画である。
PRO
ひねったタイトルに想像をかき立てられる
高森 郁哉さん | 2023年6月21日 | PCから投稿
二ノ宮隆太郎監督の映画を観たのは、萩原みのり主演作「お嬢ちゃん」に続き2作目。どちらのタイトルも割とシンプルなのに予想がつきにくく、鑑賞後も「どういう意図でつけたのだろう?」と一層想像をかき立てられる。本作に関しては、アラ還世代の男が主人公と聞けば、バブル期の少し前に苦労せず就職して年金の心配もなく……といった“逃げ切り”のことかと思ったがそういうわけでもない。
2作の共通点としてもう一つ、冒頭の印象的な長回しを挙げておきたい。本作では光石研が演じる丁寧な言葉遣いの主人公・末永周平がある施設で受付を済ませ、室内へ歩み進むのに合わせ、光石を正面からとらえたカメラが徐々に後退するにつれてそこが高齢者向けの介護施設だと判明し、やがて車いすの老人に面会に来たのだと分かる。車いすに座る父親(実際に光石の父が演じたという)に正対しないまま語りかけるのは、周平がこれまで家族をはじめ誰とも本気で向き合わないまま生きてきたことをうかがわせる。
周平は北九州の定時制高校の教頭で、定年を前にして認知症の初期症状が出ているようだ。思い立って妻(坂井真紀)や娘との関係を修復しようと試みるが、まるでうまくいかない。酔って帰宅した場面で、LDKの中間のドア寄りに両ひざをついてだらだらと話し続ける周平と、リビングのソファに座る娘、ダイニングのテーブルそばで立ちすくむ妻、3人の位置で心の距離を象徴した構図が巧い。
自分自身のことや対人関係が、本当に今のままでいいのか、もっと何かできることがあるのではないか。そんな生き方についての内に秘めた焦りや葛藤も、二ノ宮監督作の「お嬢ちゃん」と「逃げきれた夢」に共通し、観客の心を揺さぶる重要な要素だと感じた。