幸福なラザロ

   127分 | 2018年 | G

第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、脚本賞を受賞

死からよみがえったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、無垢な魂を抱いたひとりの青年の姿を描いたドラマ。

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「夏をゆく人々」などで世界から注目されるイタリアの女性監督アリーチェ・ロルバケルが、死からよみがえったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、何も望まず、目立たず、シンプルに生きる、無垢な魂を抱いたひとりの青年の姿を描いたドラマ。「夏をゆく人々」に続き、2018年・第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、脚本賞を受賞した。20世紀後半、社会と隔絶したイタリア中部の小さな村で、純朴な青年ラザロと村人たちは領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、昔のままタダ働きをさせられていた。ところが夫人の息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることとなる。これをきっかけに村人たちは外の世界へと出て行くのだが、ラザロだけは村に留まり……。

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映画レビュー

杉本穂高

PRO

現代に聖人が現れたら

杉本穂高さん | 2019年9月28日 | PCから投稿

前半、この物語は何を描こうとしているのか判然としなかったのだが、後半は一気に引き込まれた。小作農を違法に就労させていた、隔絶された村が解体され、人々は散り散りになり貧しい生活を強いられている。主人公のラザロはかつて崖から落ちて死んだはずだったが、時を経て当時の若い姿で息を吹きかえす。「復活のラザロ」そのままに蘇った彼は聖人なのか、現代にもし聖人が現れたら、我々は聖人をどう扱うのだろうか、との問いを投げかける。
聖人は社会のルールに縛られない存在だ。社会には多くの理不尽があり、不当な制度がある。そのルールに従いながら生きる現代人は、聖人を受け入れることができるのか。受け入れることができるとすれば、同じく社会からはじき出された存在であるホームレスの人々だけだった。大変巧みな構成の物語で、新たなクラシックとなり得る可能性を秘めた作品ではないかと思う。クストリッツァのアンダーグラウンドが好きな人なら必ずハマるだろう。

高森 郁哉

PRO

宗教要素が苦手な人でも割といける

高森 郁哉さん | 2019年4月30日 | PCから投稿

私自身いわゆる宗教映画が苦手で、信じる者は救われるといったたぐいの話を大真面目に語る作品は避けたいクチだ。それでも本作は、死から蘇った聖人ラザロと同名の青年を主人公にしているものの、決して説教臭くはない。むしろラザロは触媒として機能し、彼の存在によって周囲の人々の本性が露わになり、あるいは変化を促される。ラザロは何も変わらない。

寓話のようだが、イタリアの人里離れた村で現実に起きた事件を題材にしたストレートな告発でもある。1980年代にもなって地主が大昔のしきたりで住民たちを搾取していたという詐欺事件。別世界の出来事のようだが、私たちにある問いを投げかけている気もする。普段常識だと思っていること、当たり前の事実として受け止めていることが、実は壮大な「嘘」だとしたら。私たちもあの村人たちのように権力者から騙されているのかも。そのことを、ラザロは私たちに気づかせようとしているのかもしれない。

牛津厚信

PRO

胸の内側をゾワゾワさせるほどの快作にして怪作。本当に呆気にとられた

牛津厚信さん | 2019年4月27日 | PCから投稿

ネタバレ

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清藤秀人

PRO

ドラマに深みを持たせる宗教や奇跡という概念

清藤秀人さん | 2019年4月17日 | PCから投稿

太陽と大地の恵みを受けて荒れた大地に作物を植え、僅かな収穫を言い値で領主に献上する農民たち。日々の食料にも事欠き、農場を離れていく若者たちもいるが、そんな土に根ざした生活と、民主主義が導入されて以降のイタリアの近代史を、年を取ることなく跨いでいく聖人、ラザロ。彼の目を通してすべてが描かれる。激変する価値観に踊らされていく人々と、何も望まないラザロを対比させることで、人間の醜い素顔があからさまに浮かび上がるという手法だ。これは、宗教や奇跡という概念がドラマに深みをもたらすイタリア映画伝統の技。現実には起こり得ない現象を用いて、描くテーマに普遍性をもたらす。映画にのみ許された特権が、久々に巧く行使された例だ。