ウインド・リバー

ウインド・リバー

3.8    107分 | 2017年 | G
ウインド・リバー

ウインド・リバー

3.8 107分 | 2017年 | G

アメリカの辺境を舞台に現代社会が抱える問題や現実をあぶりだした「ボーダーライン」「最後の追跡」で、2年連続アカデミー賞にノミネートされた脚本家テイラー・シェリダンが、前2作に続いて辺境の地で起こる事件を描いた自らのオリジナル脚本をもとに初メガホンをとったクライムサスペンス。第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞。主演は「ハート・ロッカー」のジェレミー・レナーと、「アベンジャーズ」シリーズのエリザベス・オルセン。ネイティブアメリカンが追いやられたワイオミング州の雪深い土地、ウィンド・リバーで、女性の遺体が発見された。FBIの新人捜査官ジェーン・バナーが現地に派遣されるが、不安定な気候や慣れない雪山に捜査は難航。遺体の第一発見者である地元のベテランハンター、コリー・ランバートに協力を求め、共に事件の真相を追うが……。

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映画レビュー

杉本穂高

PRO

本当の世界は法が規定する社会よりも広く深い

杉本穂高さん | 2018年12月28日 | PCから投稿

テキサス出身のテイラー・シェリダンが描く世界は、リベラルなハリウッドが見つめにくいアメリカの姿が映し出されている。

『ボーダーライン』ではメキシコ国境の街がいかに危険にさらされているかを描いている。国境は麻薬戦争の最前線であり、麻薬から国を守るためには法の枠内では対処できない。法が通用しない世界で正義を執行する、という価値観は西部劇の典型だが、シェリダンの作品には常にこの価値観がある。アメリカはある種、国際紛争に対してもこうした態度で臨むことがあるが、アメリカは法では裁けない脅威に対して異様に敏感で、超法規的措置に走りやすい傾向がある。

本作の主人公もまた、法の枠内で片付かない悪を暴力で倒す男だ。それは正しくない、だがそうでもしないと片付かない問題もある。法の枠内では正しくないが、本当の世界は法が規定する社会よりも広く深い。

シェリダンは、本作を現代のフロンティア三部作の最後と位置づけているそうだが、フロンティアとは未開拓の地であり、そこには法はまだない。そこでは生ぬるい法に守られた社会のルールは時に通用しないのだ。

高森 郁哉

PRO

その時、狙撃手は不可視の存在になる

高森 郁哉さん | 2018年8月11日 | PCから投稿

主人公のコリーは優秀なハンターだ。前半は基本的に彼の視点で進む。驚いたのは、銃撃戦が勃発する終盤。敵味方が至近距離で撃ち合うこの場面、遠方から狙撃の腕前を発揮する主役の姿は映らず、カメラはひたすら撃ち倒される者たちの姿を追う。この非凡な演出!

脚本家テイラー・シェリダンが自ら監督も務めた本作は、現代フロンティア3部作の第3弾。かつての辺境開拓は「より強く、より豊かに」というポジティブな意志と欲望を原動力とする運動だったが、その陰で原住民やメキシコ移民は虐げられ悪者にされた。シェリダンはそんな辺境の暗部に光を当てる。

コリーはネイティブアメリカンの妻との間にできた娘を悲惨な事件で失った。だが終盤での狙撃は、復讐や、仲間を救うといった個人的な動機を超えた行為、神の裁きとして描かれる。だから狙撃手は画面に映らない。神にすがりたくなるほど辺境の現実は暗澹としている、ということか。

村山章

PRO

苛烈な極寒の地で正義が揺れる

村山章さん | 2018年7月31日 | Androidアプリから投稿

テイラー・シェリダンは、リバタリアニズム系の作家だと思っていた。リバタリアニズムと「自分のことは自分で決める」という考え方で、国家権力からも可能な限り自由でいるべきだという思想。イーストウッドが描くヒーロー像や、『アウトロー』でトム・クルーズが演じたジャック・リーチャーをイメージするといいかと思う。

シェリダンが脚本を書いた『ボーダーライン』も『最後の追跡』も、法律に頼らない、もしくは頼れないから、自分自身の倫理観を基準に生きる人たちの映画だった。『ウインド・リバー』もまた、人間の作った法律など及ばない環境で正義を求める物語だ。

ただ、シェリダンが監督も兼ねた本作は、リバタリアニズムを感じる点は同じだが、人間の力がほとんど意味を成さない極寒の地が舞台であることによって、もはやリバタリアニズム的価値観は思想や信条というより「生きる手段」に近づいている。彼らを追い詰めるのは、人間や制度だけでなく苛酷な自然でもあるのだ。この映画が描く、屹立する現実の険しさに、ただ茫然としている。

牛津厚信

PRO

これは忘却されたアメリカの歴史や魂の物語でもある

牛津厚信さん | 2018年7月28日 | PCから投稿

これまで2度にわたり“世界の果て”とも言える場所から現代アメリカの姿に光を当ててきたテイラー・シェリダンが、フロンティア3部作の最終章となる本作では脚本執筆だけにとどまらず、ついに監督までを買って出た。それだけでも彼の意気込みが伝わってくる。

舞台はネイティブ・アメリカンの保留地。いつもながらに、登場人物にも増して強烈な「土地」の持ち味がそこに住む人々の人間性を決定づける。苦しみや悲しみと共に生きる主人公(レナー)、経験は浅くても胸の内に強いものを秘めたヒロイン(オルセン)、二人が巻き起こす化学変化が力強く物語を前に進ませていく。前作『最後の追跡』と同様、本作もまたアメリカ映画が描いてきた「西部劇」が現代の視座、関係性の元でアップデートされたかのよう。シェリダンが描きたかったのは、忘れ去られたアメリカの歴史と魂なのだ。いま彼の作品が米映画界で大きな注目を集める理由もそこにあるのだろう。

映画レビュー

杉本穂高

杉本穂高さん PRO
2018年12月28日 | PCから投稿

本当の世界は法が規定する社会よりも広く深い

テキサス出身のテイラー・シェリダンが描く世界は、リベラルなハリウッドが見つめにくいアメリカの姿が映し出されている。

『ボーダーライン』ではメキシコ国境の街がいかに危険にさらされているかを描いている。国境は麻薬戦争の最前線であり、麻薬から国を守るためには法の枠内では対処できない。法が通用しない世界で正義を執行する、という価値観は西部劇の典型だが、シェリダンの作品には常にこの価値観がある。アメリカはある種、国際紛争に対してもこうした態度で臨むことがあるが、アメリカは法では裁けない脅威に対して異様に敏感で、超法規的措置に走りやすい傾向がある。

本作の主人公もまた、法の枠内で片付かない悪を暴力で倒す男だ。それは正しくない、だがそうでもしないと片付かない問題もある。法の枠内では正しくないが、本当の世界は法が規定する社会よりも広く深い。

シェリダンは、本作を現代のフロンティア三部作の最後と位置づけているそうだが、フロンティアとは未開拓の地であり、そこには法はまだない。そこでは生ぬるい法に守られた社会のルールは時に通用しないのだ。

高森 郁哉

高森 郁哉さん PRO
2018年8月11日 | PCから投稿

その時、狙撃手は不可視の存在になる

主人公のコリーは優秀なハンターだ。前半は基本的に彼の視点で進む。驚いたのは、銃撃戦が勃発する終盤。敵味方が至近距離で撃ち合うこの場面、遠方から狙撃の腕前を発揮する主役の姿は映らず、カメラはひたすら撃ち倒される者たちの姿を追う。この非凡な演出!

脚本家テイラー・シェリダンが自ら監督も務めた本作は、現代フロンティア3部作の第3弾。かつての辺境開拓は「より強く、より豊かに」というポジティブな意志と欲望を原動力とする運動だったが、その陰で原住民やメキシコ移民は虐げられ悪者にされた。シェリダンはそんな辺境の暗部に光を当てる。

コリーはネイティブアメリカンの妻との間にできた娘を悲惨な事件で失った。だが終盤での狙撃は、復讐や、仲間を救うといった個人的な動機を超えた行為、神の裁きとして描かれる。だから狙撃手は画面に映らない。神にすがりたくなるほど辺境の現実は暗澹としている、ということか。

村山章

村山章さん PRO
2018年7月31日 | Androidアプリから投稿

苛烈な極寒の地で正義が揺れる

テイラー・シェリダンは、リバタリアニズム系の作家だと思っていた。リバタリアニズムと「自分のことは自分で決める」という考え方で、国家権力からも可能な限り自由でいるべきだという思想。イーストウッドが描くヒーロー像や、『アウトロー』でトム・クルーズが演じたジャック・リーチャーをイメージするといいかと思う。

シェリダンが脚本を書いた『ボーダーライン』も『最後の追跡』も、法律に頼らない、もしくは頼れないから、自分自身の倫理観を基準に生きる人たちの映画だった。『ウインド・リバー』もまた、人間の作った法律など及ばない環境で正義を求める物語だ。

ただ、シェリダンが監督も兼ねた本作は、リバタリアニズムを感じる点は同じだが、人間の力がほとんど意味を成さない極寒の地が舞台であることによって、もはやリバタリアニズム的価値観は思想や信条というより「生きる手段」に近づいている。彼らを追い詰めるのは、人間や制度だけでなく苛酷な自然でもあるのだ。この映画が描く、屹立する現実の険しさに、ただ茫然としている。

牛津厚信

牛津厚信さん PRO
2018年7月28日 | PCから投稿

これは忘却されたアメリカの歴史や魂の物語でもある

これまで2度にわたり“世界の果て”とも言える場所から現代アメリカの姿に光を当ててきたテイラー・シェリダンが、フロンティア3部作の最終章となる本作では脚本執筆だけにとどまらず、ついに監督までを買って出た。それだけでも彼の意気込みが伝わってくる。

舞台はネイティブ・アメリカンの保留地。いつもながらに、登場人物にも増して強烈な「土地」の持ち味がそこに住む人々の人間性を決定づける。苦しみや悲しみと共に生きる主人公(レナー)、経験は浅くても胸の内に強いものを秘めたヒロイン(オルセン)、二人が巻き起こす化学変化が力強く物語を前に進ませていく。前作『最後の追跡』と同様、本作もまたアメリカ映画が描いてきた「西部劇」が現代の視座、関係性の元でアップデートされたかのよう。シェリダンが描きたかったのは、忘れ去られたアメリカの歴史と魂なのだ。いま彼の作品が米映画界で大きな注目を集める理由もそこにあるのだろう。