「本心という難問に」書くが、まま R41さんの映画レビュー(感想・評価)
本心という難問に
# 本心と、失われなかったもの
映画を見終えたあと、私は少し困っていた。
何が描かれているのかはわかる。
言いたいことも見える。
タイトルにも作品の中心にも「本心」がある。
しかし、どうにも掴みきれなかった。
だから私は、いつものようにあらすじを書いた。
物語を追い直した。
十四歳の少女ひなの。
誰にも言えない思いをノートに書き続ける少女。
いじめ。
保健室。
家庭の問題。
音楽との出会い。
そして、自分の書き溜めた言葉が歌になるまで。
そうして一つひとつ拾い上げていくうちに、ようやく見えてきたものがあった。
この作品が描いているのは、本心なのだ。
人は思ったことをそのまま口にはできない。
感情はまず言葉へ翻訳される。
そしてその言葉は、相手との関係や場の空気によって加工される。
だから私たちが日常で交わしている言葉には、多かれ少なかれ体裁が含まれている。
ひなのは、その体裁に耐えられなかったのだろう。
だからノートを書く。
誰かのためではない。
自分の中に生まれた声を失わないために。
そんな作品だった。
しかし同時に、私はどこか距離を感じていた。
不倫騒動。
一晩で作られる楽曲。
ドラマとしては成立している。
でも少しだけ現実離れしているようにも見える。
嘘っぽい。
けれど不思議なことに、その嘘っぽさが嫌ではなかった。
なぜだろう。
考えているうちに、まったく別の記憶が浮かんできた。
五歳くらいの頃だった。
親戚の家へ弟を連れて遊びに行った。
たくさんのおもちゃがあった。
みんなそれぞれ遊んでいた。
ところが弟が欲しがったおもちゃを、親戚の子は何度も取り上げる。
ダメだと言う。
貸さない。
最終的に私は、そのおもちゃを手に取って親戚の子の頭を叩いた。
そして弟を連れて帰った。
激しく泣きながら。
今思えば、正しい行動だったとは言えない。
けれど、あの時の私は損得を考えていなかった。
空気も考えていなかった。
ただ、
「弟がかわいそうだ」
それだけだった。
思ったことと行動の間に距離がなかった。
そして気づいた。
私がひなのに感じていた距離は、作品との距離ではなかったのかもしれない。
ひなのは本心を守ろうとする。
自分の声を失わないように生きている。
私はそんなふうには生きられなかった。
中学時代にはもう、もっと複雑だった。
もっと打算もあった。
もっと濁っていた。
だから彼女を見ていると、どこか眩しい。
同時に、自分の中で失われたものを見ている気がする。
けれど本当に失われたのだろうか。
そう考えたとき、少し違う景色が見えた。
もし完全に失われているなら、私はこんなにも映画について考えない。
何日も引きずらない。
レビューも書かない。
わからなさを追いかけたりしない。
私がずっと考えているのは、
「自分が何者だったのか」
ではなく、
「何に心を動かされた存在なのか」
ということだった。
何を見て立ち止まったのか。
何を見て怒ったのか。
何を見て泣いたのか。
それは五歳の私にもあった。
十四歳のひなのにもあった。
そして今の私にも、まだ残っている。
形は変わった。
純粋さだけでは生きられないことも知った。
体裁も覚えた。
社会も覚えた。
それでも、何かに心を動かされる部分だけは消えていなかった。
『書くが、まま』は、本心についての映画だった。
しかし私にとっては、それ以上に、
失われたと思っていたものが、実は完全には失われていなかったことを思い出させる映画だった。
だから泣いたのだと思う。
ひなのにではない。
過去の自分にでもない。
まだ残っていたものに出会えたことに。
