ラルジャン

劇場公開日:2026年4月18日

解説・あらすじ

「抵抗(レジスタンス) 死刑囚の手記より」「少女ムシェット」などの名作を残したフランスの名匠ロベール・ブレッソン監督の長編第13作。撮影時すでに80歳を超えていたブレッソンは1999年に他界し、本作が遺作となった。

原作はロシアの文豪トルストイの中編小説「にせ利札」。偶然手にしてしまった偽札を、そうとは知らずに使ってしまったことから、一家惨殺事件を引き起こし転落していく人生を歩む燃料配達人の青年イヴォンの姿を描いた。タイトルの「ラルジャン(L'argent)」は、フランス語でお金の意味。

1986年に日本初公開。2011年に、ブレッソンの名作をニュープリントで上映する「映画の國名作選III ロベール・ブレッソンの芸術」にてリバイバル。2026年には、ブレッソンの名作をレストア版で上映する「ロベール・ブレッソン傑作選」にて、2Kレストア版でリバイバル公開。

1983年製作/85分/フランス・スイス合作
原題または英題:L'argent
配給:エタンチェ、ユーロスペース
劇場公開日:2026年4月18日

その他の公開日:1986年11月29日(日本初公開)、1995年6月、2011年6月25日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第36回 カンヌ国際映画祭(1983年)

受賞

コンペティション部門
監督賞 ロベール・ブレッソン

出品

コンペティション部門
出品作品 ロベール・ブレッソン
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(C)1983 Marion’s Films

映画レビュー

3.0 『スリ』のミシェルと『ラルジャン』のイヴォンの運命を分けた、伴走する女性のあり方。

2026年5月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ロベール・ブレッソン鑑賞の10本目。
『スリ』から続けざまに観る。

「身震いするほど恐怖することと、
打ち震えるほど感動することは両立する。
信じられない人は、ブレッソンのたどり着いた極北
『ラルジャン』を見てほしい。ただし大画面と、大音響で。
――――濱口竜介」

ここまで煽られて、おそるおそる観たわりに、あんまり感動できなかったのは、きっと俺が悪いんだろうな(笑)。ごめん、濱口さん!

てかさあ、たしかに衝撃的なエンディングではあるよ?
でも、あんなふうになるか??
ふつうはあんなことやんないだろ(笑)。

少なくともリアルなエンディングだとは、僕は毛ほども思わない。
人はどんなに追い詰められても、99%はああはならない。
序盤であんな感じだった人が、ああいう壊れ方はしない。
そこの部分で、僕はブレッソンに説得されなかった。

「人は誰しも堕落する可能性がある」という。
まあ、そうでしょう。一般論としては正しい。
でも実際には、それは程度問題だ。

「どんな人間でもちょっとしたことで足を踏み外す」という言い草は、まことしやかではあるし、もっともらしくもあるが、実は必ずしも現実に即していない。

そりゃあ、貧乏なら泥棒くらいはするかもしれない。
いじめや、会社の悪行に加担することだってあるかもしれない。
そういうある程度の「闇」は誰しも抱えている。
だが、人殺しは、別だ。
もともとまともだった人は、妻を殺されようが、子供を殺されようが、殺人鬼にはならない。不幸の累積の上で全てを喪ったからといって、憎しみを他人にはぶつけない。
投げやりになったからといって、ああいうことはしない。
(それこそ「本当に誰もがおかしくなる可能性」として挙げ得るのは「集団心理」の影響がある場合で、戦争や革命や学生運動や体育会系部活といった「信頼している仲間が全員で信念をもって暴力を用いた変革を妄信している」状況下においては、個人は容易に集団の論理に屈する可能性を有するが、それはここでは別の話である。)

少なくとも僕の認識では、足を踏み外す人間というのは、たいてい本人の性質か、生育環境に問題がある。「遺伝」という話は深入りすると危険だし、なんなら記事が削除されかねないのでやめておくが、結局「闇に傾斜する人間」というのは、放っておいても堕ちるべくして堕ちるような「何か」を抱えている。
それは「弱さ」だったり、「流されやすさ」だったり、「恨みがましさ」だったり、「命の重さへの鈍感さ」だったりするが、そういう人は逆に「堕ちないように頑張らないと」簡単に堕落してしまう。そうでない人が闇に堕ちるとすれば、たいていは若いころにつるんでいた「仲間」に決定的なよろしくない影響を受けている。
会社でも学校でもそうでしょう。構成員の9割は、何があろうがまともに生きていく「普通の人々」だ。だが、一握りの平気で悪いことをするやつがいる。くだらないことで怒れる沸点の低いやつがいる。信頼を裏切っても意に介さない道徳観の歪んだやつがいる。
結局のところ、ふつうの人間が「ろくでなし」に堕ちる様を描くには、それなりの「ロジック」が必要であるように僕は思う。逆にいうと、「どんな人間でも悪に堕ちる可能性がある」という均質化された人間観には、どこかマルクス主義的な大いなる誤解と悪しき平等主義の悪臭が付きまとう。

以上の世界認識に立って『ラルジャン』を観ると、個人的にはどうも得心のいかない部分が多いんだよね。
体感的に、あの結末に導かれる話になっていないというか。積み上げてきた内容からすると、突飛すぎるというか。
たとえばこのあいだ観た『火葬人』にしても、出だしの様子と終盤のギャップは激しいんだけど、あの映画には「影響を受けやすい俗物」としての主人公と「ナチスという強烈な触媒」という「理屈」が一応用意してあった。しかも、その結末に向けて、序盤から映画を「組み立てている」気配がちゃんとあった。
『ラルジャン』の場合は、主人公の「堕落曲線」が連続線になっていない。比較的唐突に、数段飛ばしでおかしくなっていく感が強い。狂い方が仮想のロジックを備えていない。

強いて言えば、この結末に至ったのは、100%イヴォンのせいなのだ。
嫁に捨てられようが、子供に死なれようが、
人間の善なる部分は本来的には揺るがない。
そこが揺らぐのは、社会のせいではない。
どちらかといえば、個人のせいである。
(本人が悪いと言っているわけではなく、彼の内側にアプリオリに、もしくはアポステリオリに、闇に傾斜する傾向が最初からあったことが、最大の原因だと言っている。)
そこを、作品としてあたかも「社会が悪い」かのように描いているから、たぶん僕は得心が行かないのだと思う。
(書いていてなんとなく自分の中でクリアになってきたんだけど、要するに僕は、左派的な個人と社会に対する感覚が垣間見えて、そこに違和感を感じ、他責的すぎるように思えて気にくわないだけなのかも。)
「世間に負けた」というのは、言い訳だ。
イヴォンは、自分の内なる悪魔に負けたのだ。

いや、あれは別にリアリティを狙ったエンディングじゃない、ある種のシュルレアリスティックな「ありえない転調」として仕掛けられた、きわめて「映画的なエンディング」だ、と考えることもできる。
そうだとしても、やっぱりあれではさすがに「作為的」に過ぎるのでは?
ああいう「びっくらかし」は、B級映画なら「なに考えてんねん」と笑い飛ばして終わりの「ネタ」だけど、ここまでネチネチと深刻なドラマを紡いできた末にこれで終わられると、個人的にはなんだかとてもバカにされたような気分になる。作り手の誠実さについて買いかぶりすぎていたっていうか、逆に「安易」な(投げやりな)着地点のエンディングを見せられたという気すらしてくる。

もう一点、観ていてずっと納得いかなかったのが、「贋札を使った」だけで犯罪者のような扱いをされる(イコール贋札犯みたいに思われる)一連の流れだ。
気づかずに渡された贋札を、つい出しちゃうこととか、普通にあることだと思うけど。
僕だって昔、500円の代わりに500ウォン硬貨で払おうとしたことあったよ(笑)。
なんでババ抜きみたいに、みんなで贋札を無理やり押し付け合ってるのかよくわからないし、なんで警察があんなに高圧的に出られるのかもよくわからない。
贋札使用の疑いというのは「恒常的にあちこちで使ったり両替したりして、消費しようとしているのが明らか」なときだけかけるべきで、一回使ったくらいなら、むしろ大元まで辿る証拠として、官憲は「下手(したて)に」協力を申し出るのが普通じゃないのか?
日本の警察捜査や司法でも、「贋札を使っちゃった人間」ってあんな扱いを受けるのだろうか? ちょっと信じられないんだけど。

結局、このお話は「資本主義のこわい寓話」としてとらえるべきものなのだと思う。
今の世の中、とにかく金、金、金。何よりも金が優先される時代だ。
そういう世の中では、小さな悪は「金」という養分を吸っていつの間にか肥え太り、取返しのつかない巨大な悪へと成長してしまう。
要するに、悪いのは資本主義なのだ。
資本主義が人間の心を金の力で堕落させ、悪に対する忌避感を麻痺させる。
資本主義経済のなかで、善良だった若者はいつしか悪事に手を染めるようになり、挙句にははるかにそれを超える大それた「悪」を体現する存在になる。
みんな悪いのは、金と資本主義だ。
そういう(今の時代となっては若干薄気味の悪い)「思想を体現する」ために、この映画は撮られている、と考えたほうが、むしろいろいろな細部に納得がいく。
ただ、僕にとって『ラルジャン』は、無理やりそういったストーリーにもっていくために、「無理をし過ぎた」映画になっているように思える。結果的に、しょっぱなの贋札の扱いにもひっかかるし、終盤の主人公の行動にもひっかかる、「作為性の強すぎる映画」に見えてしまった、ということだ。

― ― ― ―

●下でレビュアーのどなたかも書かれていたが、この映画はとにかく「ドア」を開け閉めするシーンの多い映画だ。観終わってみると、ほとんどそれだけで出来ていた映画に思えるくらいに、ずっとドアが出て来ては、それを開け閉めしている(たまに「窓」ということもある)。
単にドアを出入りするだけでなく、必ず「ドアに近づくまで」と「ドアから出て行った後」をセットで撮っているのがミソで、特に後者に関しては、登場人物がヒケてしまった後に延々何もないドアを映しているので、かなりの風変わりなインパクトを残す。
ドアは世界と世界を往来するための切り取られたフレームであり、人生で何度も経験する選択と決断のメタファーでもあるのだろう。
心残りでもあるかのように映り続ける、誰もいない部屋のドア。それは、選択の結果の苦さとのしかかる不安の象徴なのかもしれない。

●続けざまに観たから特にそう思うだけかもしれないが、『スリ』と『ラルジャン』には兄弟作のようなところがある。
どちらも素人が職業犯罪者になってとっ捕まるまでを描いていて、ブレッソンのフィルモグラフィにおいて、犯罪者が主人公の映画はそもそもこの2本しかない。
『スリ』と『ラルジャン』は主人公にも類似性がいろいろとある。ミシェルもイヴォンも、どちらも口数が少なく無表情、生き方に不器用なところがあって、他者との距離感のとり方がおかしく、ストレスに対して怒りをため込むタイプで、総じて不幸に対して他責的、他罰的な思考をとる。ろくなことをしていない割にプライドと気位が高く、奇妙な全能感に基づいて行動しては、失敗して捕まったりプライドを傷つけられたりする。
今の視点から見れば、ふたりとも「こじらせたASD気質」としかいいようがなく、周辺が相手をするには、いちばん面倒くさいタイプだともいえる。
二人で「異なる」要素は、それでも女性に見初められたか、そのせいで女性に見捨てられたかの違いだけ、といってもいい。
『スリ』のミシェルは堕ちるところまで堕ちたけど、ジャンヌが見つけてくれて、ジャンヌが無償の愛を捧げてくれて、ジャンヌがそれでもかたわらに居続けることを選んでくれたから、立ち直ることができた(まあ、それでもまたスリはやると思うけどね、こういう輩は)。
一方、『ラルジャン』のイヴォンは、軽挙としかいいようのない強盗の幇助で捕まったあと、娘に死なれ、妻に逃げられ、運命に見捨てられた。そうすると、絶望して、怒りを増幅させて、挙句ああいう人でなしになった。
結局、なんだかんだで「女が愛を捧げてくれたら救われる」「捧げてくれなかったら地獄に堕ちる」という極端なグッドエンドとバッドエンドが「びっくりするくらい唐突に」訪れる点でも、両作品は奇妙なまでによく似ている。
こういうワーグナー的な女性を隷属させるような神格化って、俺すげーきらいなんだよね(笑)。

●監獄の中のシーンは、なかなかリアリティがあって、本作のなかでは一番面白かった。すぐ物にあたり、かっとなっては物を投げ、いらつくといっては変な音を鳴らし続けるイヴォン(笑)。たぶん、脱獄に失敗してから3年くらい監獄の中で経過しているって話なのかと思うのだが、全然そんなふうに感じさせない演出が、ある意味異様だ。

●出所後の演出については、僕もとても面白かったと思うし、とくに例の衝撃的なシーンは、細かいアイディアがてんこ盛りで見ごたえがあったのは確か。
特に犬の使い方がうまいんだけど、そんな犬もまた、肝心のシーンで微妙にシッポを振っていたりして、どこかやり慣れない「素人くささ」がにじみ出ているところが、ブレッソンらしいといえばブレッソンらしい(笑)。
でも、このエンディングが来ることがわかってて、ブレッソンはその前に老婆とイヴォンのゆったりとした癒しめいた時間をじっくり撮ってるんだよね。本当に意地悪。
あの、イヴォンが摘まんで老婆に食べさせた実って、なんの実だったんだろう? 観終わった後でも、妙にあのシーンが目に焼き付いていて忘れられない。

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じゃい

4.5 世界のドラマはドアで出来ている

2026年4月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ドアが次々と出てくる。結局のところ人の行動はドアに伴うのではという仮説から撮られてるように思う。音がデカくて、音とノーモーションアップで暴力を描くので隣の人は途中から声を上げて仰け反っていた。ジャンプスケア的というか。フリがないままに向き合って次のカットでは吹き飛ばされたり血が出ていたりする。

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タカシ

1.0 観るんじゃなかった

2026年4月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

この作品が映画史上に屹立する最高傑作って、信じられない。ほんとかね!
何しろ演出家のせいか俳優のせいか、歩き方さえ演技してるのが見え見えで全ての行為が技とらしくて、恥ずかしくて身てられなかった。
しかも顔がみんな同じに見えて、区別がつかず誰が何をしてるのかさっぱり分からず、なので映画の意図もストーリーも皆目見当がつかなかった。
そう言う意味では、難解な映画だった。
こんなものを、有り難がって見なけりゃいけないのかね。
やだね。

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びーこ

5.0 手が語る、顔は黙る

2026年4月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

斬新

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manabu