劇場公開日 1973年9月15日

「「仕事」に対する非情なまでのストイックさ」ジャッカルの日 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 「仕事」に対する非情なまでのストイックさ

2026年6月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

「依頼の政治的背景には関心がない」と言い切って、請け負った自分の仕事にただ向き合おうとする孤高の暗殺者・ジャッカル―。
 彼が請け負った大統領暗殺計画を察知したフランス政府と、ストイックに「その仕事」を実行しようとする「ジャッカル」との息詰まる攻防が、手に汗握ります。

本作では、本名不詳の暗殺者のコードネームが、その題名にもなっている「ジャッカル」。
もちろん、モノホンのジャッカルも、自ら狩りをして捕食もするようですけれども。
しかし、多くは、自らは狩りをせず、他の猛禽(もうきん)類が狩って、それらが食べ残した死肉を漁(あさ)る習性もあることから、「死」や「死神」の概念と結びつけられる狡猾な肉食動物ということです。

本作の「ジャッカル」も、自らの身元が知れることを防ぎ、身の安全を保持するために必要とあらば、身分証の偽造屋を始末することも少しも躊躇(ちゅうちょ)せず、自らの行動に足跡を残さないがために利用した貴婦人や市井の市民の命も、虫けらほども顧(かえり)みず、ただただ非情なまでのストイックさで「自分の仕事」を執り進める―。

その狡猾さは、まさに野生のジャッカルそのものと言えたのではないでしょうか。

その設定も十分に活かされている点で、政治ドラマとしては、十分に楽しめる作品だったばかりではなく、けっきょく「ジャッカル」の素性は不明のままという結末は、サスペンスものの一本としても秀逸だったと、評論子は思います。

佳作としての評価に間違いのない一本だったとも、思います。

(追記)
評論子の記録では、本作は2009年8月29日に、TV放送からの録画を鑑賞し、今回は二観目ということになりますけれども。

実は、本作を再観する動機になったのは、鑑賞済みの別作品『アクシデント/意外』(2008年/87分/香港/ソイ・チェン監督)、『プロット殺人設計者』(2024年/99分/韓国/イ・ヨソプ監督 前記作のリメイク)のレビューの起草に行き詰まってということでした。

両作とも「暗殺」をモチーフとする作品なのですけれども…。
これらは「チームによる暗殺」のストーリー。
苦肉の策(?)として思い出したのが、両作との対比で「単独犯によるストイックな暗殺もの」という本作だったというわけです。

「ストイックな単独犯」と「チームプレー」によるそれぞれの暗殺ストーリー。

その視点から、本作の二観目を終えた今は、上記2作品についても、なんとか評論子なりのレビューが書けそうな気が、ようやくしてきています。

(追記)
本作は、周知のとおりスリラー小説「ジャッカルの日」(イギリスの作家:フレデリック・フォーサイス著 1971年刊)の映画化作品ということですけれども。

そして、原著作とその映画化作品との関係性については、当サイトのレビュアーのみなさんにも、それぞれの一家言があることとは思いますけれども。

実は、評論子は「映画を観たら原著作は読まない」「原著作を読んだら映画化作品は観ない」ということを、ずっと信条にしてきていました。

それは、どうして忘れることができましょう、ノンフィクション作家の大御所・柳田邦男氏の大著「零戦燃ゆ」(飛翔篇、熱闘篇、渾身篇の三部とも読了)の映画化作品『零戦燃ゆ』(1984年/128分/日本/舛田利雄監督)を観て以来、ということです。

すなわち、柳田氏の原著作ではしっかりと描かれていたゼロ戦=海軍零式艦上戦闘機の設計者である故・堀越次郎氏(三菱内燃機製造、現:三菱重工業)のストイックなほどの「立ち位置」が、映画化作品ではグズグスになってしまっていた―。
評論子は、これで、癒しがたいトラウマをしっかり抱えてしまったという次第。

この点、本作は、原著作を読み、その映画化作品も観たという評論子としては「稀有な作品」になります(原著作は、大学一年生の頃の入院時に、病床で読んでいます。病棟に回診に来た主治医も読んで面白かったということで、回診時の療養指導はそっちのけで二人して話題が盛り上がり、随行の看護師にも呆れられた。)。

そういう意味では、今回の本作の二観目を契機として、評論子の上記のトラウマを克服すべく、もう一度だけ上掲映画化作品の『零戦燃ゆ』も、再観してみようかとも、思うことができました。

ほんの余談ですけれども。
本作の再観は、評論子には、そんなことの契機にもなりました。

talkie