力道山対ルー・テーズ世界選手権争奪戦
劇場公開日:1957年10月15日
劇場公開日:1957年10月15日
東映チャンネル(スカパー!)の放送にて。
映画.comの表記は「力道山対ルー・テーズ…」となっているが、「ルー・テーズ対力道山…」が正しい。
ルー・テーズは時のNWA世界ヘビー級チャンピオン。
当時は、NWAが認定する世界チャンピオンがプロレスリングで唯一の最高峰、文字通りの世界王者だった。WWWF(後のWWF、現在のWWE)も、AWAも、まだ設立されていなかったのだ。
そのルー・テーズが初来日し、日本の英雄 力道山の挑戦を受けた選手権試合を東映がフィルムに収めた記録映画が本作。
力道山を紹介する短い映像があり、大きな身体をツーシートのオープンカー(あれはフォードのサンダーバードだろうか)に押し込んだ力道山が羽田空港に颯爽と乗り付ける場面へと移っていく。
ルー・テーズ来日のその日、夫人を伴って羽田に到着したテーズは旅客機のタラップの途中に立ち止まって歓迎のギャラリーやマスコミに手を振る。
出迎えた力道山とにこやかに握手をすると、テーズはフラッシュと花束の歓迎を受け、(恐らく空港内での)記者会見に臨む。関係者と取材陣は割りと狭い部屋に詰め込まれていて、ルー・テーズと力道山は肩をくっつけあって隣に座っているのが面白い。
これはまだ、プロ・レス(当時は中点あり)がスポーツとして認識されていた頃であって、世界王座を争うトップアスリートの二人には紳士の振る舞いが当然だったことを示している気がする。
今のプロレスではあり得ない図ではないか。
続いて、力道山の夫人や息子たちがテーズに挨拶をする場面があって、紙吹雪が舞う都内でのオープンカーに乗ったパレード、各界の名士を招いたレセプションなど、プロレスラーを歓迎する催しとしては驚きのシーンが連続する。
力道山が日本でプロ・レスの興行を開始して以来、ルー・テーズに勝って世界チャンピオンになるのだと目標を掲げていたから、我らのヒーローがそれほど対戦を望むまだ見ぬ世界王者に対して畏敬の念と憧憬を抱くムードが、日本には出来上がっていたようだ。
試合は、1957年10月7日に後楽園球場の特設リングに3万7千人もの観衆を集めて行われたもので、実況アナウンスは恐らく映画用に後入れされたもの。この試合はテレビ中継されているが、映像も実況もテレビのものとは違うはずだ。
因みに、そのテレビ中継は視聴率87%だったというのだからほとんどの家庭で視聴されたことになるが、そもそもテレビの普及率が7〜8%の時代だ。街頭テレビや近所の裕福な家にお邪魔して観戦できた人も一握りだっただろうから、この映画に需要はあったと想像できる。
もちろん試合結果はみな知っていたはずで、それでも試合の映像を観たかったことだろう。
試合形式は61分3本勝負、挑戦者のフォール勝ち以外に選手権の移動はない(とアナウンスされているが、ノックアウト勝ち、ギブアップ勝ちでも移動するものと思われる)。
王者ルー・テーズは41歳、挑戦者力道山は33歳。
体型は対照的だが、どちらも鍛え上げられた立派な肉体をしている。
若かりし日の森繁久彌から力道山へ激励の花束が渡され、いよいよ試合開始だ。
力道山は相撲出身だが、グレコローマン出身のテーズに対してグランドレスリングでも対抗している。
意外と技の攻防が中心の試合展開で、タイトルマッチらしい厳粛さがある。
力道山の空手チョップ(アメリカでは“ジュードー・チョップ”と呼ばれた)に観客が沸き上がる場面もあるし、それにたじろいだテーズが立会人に向かって抗議したりして盛り上げる。実況は「空手打ちは反則である、禁じてもらいたい旨を申し入れましたが、これは受け入れられませんでした。かくて、力道山の空手はこれで世界公認…」と真面目に解説。
さすが連続無敗記録を持つ王者のテーズはパフォーマンスも巧みで、レフェリーはには見えないが観客には見えるように反則攻撃をしたりする。レフェリーがわざと見ていないような小芝居をしているわけではなく、リアリティがある。その反則も、拳で小突くようなもので、瞬間的な打撃だから、相手を怯ませる程度の効果はあるように見える。
レフェリーは現役プロレスラーのダニー・プレッチェスで、どのような経緯で彼がレフェリーに決まったのかは分からない。意外と厳正なレフェリングで、テーズが何かの抗議をして威嚇するポーズをとっても怯まず睨み返したりする。
力道山の立ち技は空手チョップと首投げくらいで、グランドでは脚や腕に対して多彩な攻めをみせる。
プロレスの関節技は逆関節を取らない。絞り上げるような、我慢すれば耐えられる力比べ的な攻防になる。だから、かなり力を込めて絞り上げている。
一瞬、後々にマサ斎藤が開発したというオリジナル技 ”監獄固め” の体制に入る。こういう脚の攻め方も力道山は知っていたのだ。
テーズは、力道山の力攻めのグランドに苦戦するが、やはり体勢を入れ替えるテクニックには長けていて、攻めさせてはいるが時々上手くかわしている。
ルー・テーズの立ち技で驚く場面が3つあった。
1つめ、テーズの代名詞バックドロップの場面。正に一瞬の出来事で、真後ろに投げられた力道山は真っ逆さまにマットに落ちる。恐るべきスピードだった。一瞬昏倒した力道山も、程なく回復するのだから頑丈だ。
実況は「岩石落とし、パイルドライバー、脳天逆落とし」と誤ったアナウンスをしている。
それ以降、力道山は足をテーズの脚の内側に入れて“内掛け”で防御し、二度とバックドロップを食らわなかった。
2つめ、力道山が一回だけ両脚タックルを見せるのだが、それに反応して上半身を前傾にして両脚をサッと後ろに引いてかわす。グレコローマンにはない動きだ。今は総合格闘技でレスラー対策の基本動作の一つになっている。素晴らしい反射神経。
3つめ、顔面へのドロップキック。綺麗に両足が揃って、的確に顔面を捉えている。テーズの身体能力の高さを示している。
後半で力道山がしつこく見せる、腕に絡む技 “キーロック” は、相手の肘関節の内側に自分の腕を挟んで、畳んだ相手の腕を両脚で締めつけることで手先への血流を止める技だ。攻め側の腕があたかも鍵穴に差し込んだ鍵のように見える。
前述のとおり、一瞬で極まってしまい我慢すると折れたり外れたりする逆関節技をプロレスでは使わない。アマレスでは厳格に禁止されている。
だから、力と我慢、体力と耐力の攻防がクラシック・プロレスの特徴でもある。
延々と繰り返す力道山のキーロックと、テーズの手を変え品を変えての防御の展開を見ていると、本当に引き込まれていく。
試合は両者一本も取らず、フルタイムのドローで終わる。
グランド中心の展開で膠着状態もあったりして、リアリティのある試合だったが、時にオーバー・パフォーマンスを織り込んで試合を主導したのは、やはりルー・テーズだった気がする。地元のヒーローの強さを見せながらスコアでは負けない試合をする、ベテランの世界王者だった。
終盤でテーズは何度もダウンしては立ち上がる。これを時間切れを狙った行為と見たのか、レフェリーのプレッチェスが数えるダウンカウントがだんだん早くなるのが可笑しい。最後は1カウント0.5秒くらいになっている。少なくともレフェリーは時間切れを望んではいなかったように見えた。
当時のプロ・レスのステータスが分かる貴重な映像もあって、記録映画として充分に価値のある作品だと思う。
試合終了で映画も終了するのだが、試合後の両選手の様子も見せてほしかった。
この後、大阪で再戦が行われている。
今度はお互いが1本ずつ取った後の決勝ラウンドで両者リングアウトの引き分け。
タイトルマッチはこの2戦だったが、その後も福岡→広島→神戸→名古屋→仙台とノンタイトル戦で巡業をしている。
福岡では再び時間切れの引き分けたが、1・2ラウンドは一本ずつのイーブンだった。
広島と神戸ではテーズが勝利。
名古屋と仙台では1対1からの引き分けと、全7戦を戦い抜いた。
その直後、テーズはアメリカ領の沖縄に渡り力道山を招聘してタッグマッチとシングルマッチの2試合を行なっている。
米兵も多く観戦したこの興行で、2試合目のシングルマッチが、セメント試合だったという伝説が残されている。
16歳でプロデビューしたルー・テーズは、41歳のこのときはもうピークを回っていた。
日本のサーキットを終えた直後に世界王座から陥落。彼の業績を称えてインターナショナル王者という特別なタイトルを与えられる。
そして、力道山はついにルー・テーズに勝利する悲願を達成し、そのインターナショナルのタイトルを奪取する(1958年8月)。
それが、長きに渡って日本の至宝タイトルとなるのだ。