緋牡丹博徒 お竜参上のレビュー・感想・評価
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橋の上、藤純子と菅原文太が立っているだけで泣けてくる。
1970年加藤泰監督作品。
出演は藤純子、菅原文太、嵐寛寿郎、若山富三郎、等々。
緋牡丹博徒シリーズ第6作目。
京都文化博物館フィルムシアターにて鑑賞。
本シリーズを私は観たこと無いが、この時代の映画ファンなら誰もが知るタイトルであり、藤純子のイメージとビジュアルは時代に深く焼き付いたシリーズと言えるであろう。
よってシリーズ的な経緯など分からない部分はあるが、そんなのは野暮で気にはならないし、唐突に若山富三郎がトボケたキャラで現れてもただただ楽しむだけである。
藤純子、演技が上手いか下手かはよく分からないし、アクションのキレが有るか無いかは何とも言いがたいが、ただ絵になるし、かっこいい事この上ない、これがスターと言う事だろう。
菅原文太、ただただかっこいい、驚くほどに渋い、そして絵になる、銀幕に映えるとは正にこの事だ。
藤純子と菅原文太が橋の上で立っているだけで涙が出てくるのだ、コレは何なんだろう、ノスタルジーもあるだろう、当時に観ていたらかっこいいで終わっているのか、それともやはり涙は溢れただろうか。
嵐寛寿郎、貫禄とはコレを言うのだろう、誰がどう見ても本物の貫禄がそこにある。
過去も現在も重鎮はいてその存在感を見せてはいるが、背負ってきたものスケールの違いが明らかでお見事でしかない。
古典的でシェイクスピア的な話だが、ケレン味たっぷり、ダイナミックな画作りに魅了されグイグイ引き込まれる。
シリーズならではお約束事、主題歌や決め台詞を存分に楽しめたかは一見さんで不安だし、本作がシリーズファンの間でどの様な語り位置にあるかは知らないが堪能させていただいた。
※やはり人気シリーズで平日お昼にかなりの鑑賞者がいました。
私の後ろには外国人女性のマダム二人連れ、かなり日本映画通のようで、上映前の会話でハラセツコなんて聞こえたり、藤純子、菅原文太、若山富三郎のファーストシーンにナイスなリアクション、当然字幕無しの日本語上映だが「死んでもらいます」の決め台詞に小声でオ~ッと歓声が漏れてました。
素敵な映画体験でした。
雪の橋に転がる蜜柑
日本映画専門チャンネルで鑑賞(4K版)。
「緋牡丹博徒」シリーズを観るのは今回が初めてであった。藤純子(現、富司純子)の美しさと男も怯む啖呵の鋭さに惚れ惚れさせられた。その美貌は4K画質でより際立ち、色褪せぬ魅力を放つ。
シリーズの中で加藤泰が監督した3作目、6作目である本作、そして7作目が、名作だと言われているらしい。加藤監督の持ち味は映像の格調高さにあるとのことだが、確かに、雪の橋の上でのお竜と青山のシーン(転がる蜜柑)の切なさは、文芸映画のような文学性を放っていたように思う。
もう時代劇でもお目にかかれない女壺振り師
浅草が舞台の王道任侠モノ
映像美と緊張感に痺れました
任侠映画史に残る傑作
『緋牡丹博徒』シリーズの中でも屈指の傑作だった。個人的には山下耕作の『博奕打ち 総長賭博』や本作と同じく加藤泰による『明治侠客伝 三代目襲名』に匹敵するほどの出来だったように思う。
物語の筋立てそれ自体はいつも通りで、不義理なやくざ者の政治的圧力に藤純子演じるお竜と助っ人の二枚目俳優(今回は菅原文太)が立ち向かうというもの。若山富三郎演じる熊虎親分の助太刀や、二つの敵対勢力の間で育まれる若者たちのロミジュリ的ロマンも健在だ。よく言えば様式美、悪く言えばマンネリ。物語がここまで形式化していると、当然ながら映画としての出来の良し悪しは撮影や演出の巧みさに依存してくる。その点本作は完璧だ。
たとえば藤と菅原が離別を果たすシーン。いかにももったいぶった足取りで雪降る浅草の街を歩く二人の側方には、水滴をポタポタと垂らす取水口や郵便ポストが奇妙な存在感を湛えて坐臥している。それらが二人の内面に湧き上がる情念や後悔の表出であることは疑いようがない。橋の上で最後の会話を交わすシーンでは画面の右半分以上を橋の欄干が覆い、左半分のわずかなスペースに二人の姿が極限されている。画角の端で別れの言葉を交わし合う二人は密室で睦言を囁き合う恋人たちのように官能的だ。「電車の中で召し上がって…」と藤が手渡した風呂敷から落ちたミカンが雪の上を転がり落ちていくカットなどはほとんど奇跡のように美しい。
橋の上のシーンばかりが取り沙汰されがちだが個人的には序盤の、嵐寛寿郎演じる鉄砲久の親分のもとに窃盗の罪で君子が引っ張り出されてくるシーンが忘れられない。シンメトリーで幾何学的な画角の右に鉄砲久の親分、左に君子と彼女を捕まえてきた子分らがいて、襖を跨いだ奥でお竜が話を聞いている。はじめは君子と鉄砲久の若衆が彼女の処遇についてやいのやいのと左右から言い合っていたが、会話の流れから君子が昔世話になった渡世人の娘であることを察したお竜がやにわに立ち上がり、襖のこちら側へやってきて君子の肩を抱く。話題はすっかり君子の処遇の決定からお竜と君子の再会へと移り変わり、鉄砲久の親分はいつの間にか背景と化している。カットを一度たりとも切り替えることなく、人物の配置とセリフだけで三次元的で躍動感のある映画空間を出現させてしまう加藤泰の手腕に恐れ入るほかない。個人的に彼は当時にしては異常なくらい長回しを多用する映画作家だが、そのどれもが自然であり、時には長回しであることを忘却してしまう。
構図やカッティングがバチっと決まっているがゆえか、登場人物たちが次々に吐き出す「ザ・60年代任侠映画」的なセリフにはまるで歌舞伎の見得のような爽快感がある。特に凌雲閣で最後の戦いに臨んだお竜が放った「死んで貰います」は完璧としか言いようがなかった。当時の映画館がどれだけこのシーンで湧き上がったことか、想像に難くない。阿佐ヶ谷ラピュタあたりでまた上映してほしいなあ。
美しすぎてどうしようもなく切なくて・・・意味なく泣けた。
日本人の美意識を総動員してできる世界です
痺れました!物凄い傑作です
藤純子の美しさをその名の通り純粋に引き立てる為に何もかも存在し動員される脚本、演出、美術、衣装、配役
素晴らしいです
ことに広重の浮世絵を想わせる大胆な構図の撮り方が幾つもあります
これは驚嘆すべきもので美術品です
ハッキリ言って芸術品に仕上がっています
画面右半分を今戸橋の橋票を巨大に配して、左画面に薄暗闇の欄干に寄りかかる蛇の目傘の見事な構図と色彩には感嘆するばかりです
日本人の美意識を総動員してできる世界です
それは映像だけでなく、プラトニックな淡い男女の大人関係にも反映されています
ラストシーンですら抱き合わず節度を守る二人
それなのにエロチックなのです
なんとも耽美な痺れるようなラブシーンであるのです
菅原文太、本当に男前でした
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