軍服を着た神様

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劇場公開日:2026年8月1日

解説・あらすじ

台湾各地に存在する「日本人の神様」の謎を追ったドキュメンタリー。

かつて日本が植民地として統治していた台湾には、軍服を着た日本人が神様として祀られている場所が50カ所以上もあるという。文化人類学者の藤野陽平と記録映像作家の遠藤協が、台湾各地の「日本神(にほんがみ)」を訪ね歩く旅を、コロナ禍を挟んで足かけ6年にわたって記録。謎をたどっていくうちに、日本神がそれぞれひとりの人間として確かに存在した事実が明らかになり、彼らの数奇な運命と、台湾の民間信仰のあり方、そして日本が台湾に残してきた戦争の痕跡が浮かび上がる。異国の地でさまよい死後の世界を生きる日本人の魂と、その魂を慰撫し神として祀る台湾の人々、神となった先祖と出会いなおす日本の子孫たちの姿を通し、死者を悼み弔う心が生んだ、日本と台湾の知られざる交流を描き出す。

監督は民俗学的なモチーフを得意とし、「廻り神楽」で第73回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞を受賞した遠藤協。音楽ユニット「馬喰町バンド」のメンバーで美術家としても活動する武徹太郎が音楽とアニメーションを手がけた。

2025年製作/107分/日本
配給:三叉路フィルム
劇場公開日:2026年8月1日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

監督
遠藤協
プロデューサー
藤野陽平
遠藤協
旅人
藤野陽平
語り
中西レモン
作曲
武徹太郎
アニメーション
武徹太郎
演奏
馬喰町バンド
整音
黄永昌
アドバイザー
三尾裕子
陳梅卿
全てのスタッフ・キャストを見る

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© 2025 SANSARO FILM LLC

映画レビュー

4.0 日本の軍人、死して台湾の神様になる! 台湾の民間宗教の本質に迫る好ドキュメンタリー。

2026年8月6日
PCから投稿

久々の映画鑑賞。
暑すぎてなかなか休日にまで映画館に赴く元気が出ないのだが、長年の仏像愛好家として、このネタだけはどうしても見逃せない!(笑)
自分は30年くらいかけて、おそらく数千体は国宝・重要文化財の仏像を拝観して回っているので、まあまあ仏像には詳しいほうだと思う。
だが、台湾で「日本の軍人が神像として祀られている」という話は、お恥ずかしながらまったく知らなかった。
えええ、マジか。そんなことあるのか。
今回は純粋な知識欲に駆られて足を運び、
十二分に好奇心を充足することが出来た。

まず先に言っておくと、ドキュメンタリーとして不偏不党の中立的な立場の映画に仕上がっていたのは、作り手の高い見識がうかがわれて、大変に感心した。
この手のネタだと、
「やっぱり台湾は親日国じゃないか。ほら見ろ、植民地時代から日本軍人は感謝されてたんじゃないか」といった右派的な意見か、
「たとえ台湾で日本軍人が祀られていたとしても、植民地統治時代に現地の人に大きな負荷と犠牲を強いたことに違いはない!」といった左派的な意見が出てきて、ああだこうだと醜くうんざりするような言い争いを繰り広げるのが通例の展開だ。
だが、本作『軍服を着た神様』は、そういったイデオロギー闘争からは一線を引いて、あくまで「民俗学的に台湾の宗教的習俗の背景に迫る」知的エンターテインメントに徹している。これは明らかに意図的に選択された中立性であり、思想が先に立つ日本の愚かなドキュメンタリー業界においては、きわめて清々しく、かつ自制的な稀有なスタンスであるといえる。

そのうえで、「日本の軍人が神となる」台湾独自の宗教的風土について考えると、まず台湾の民間宗教の土台に「仏教」と「道教」の「雑食性」がある点は見逃せない。
仏教にせよ道教にせよ、宗教的発展の過程で、「外つ神」をしれっと眷属に迎え入れてはその神の体系を膨らませてきた経緯がある。ある程度の悪神や俗神も受け入れて仲間にするその度量の大きさは、たとえば仏教において、インドのブラフマン(梵天)やインドラ(帝釈天)、アスラ(阿修羅)、サラスヴァティー(弁財天)、ラクシュミー(吉祥天)といった神を「天部」として迎え入れ、仏敵と闘い、あるいは現世利益をもたらす神として曼荼羅の周縁部に位置づけていることからも理解できるだろう。

少なくとも現世利益の神仏というのは、仏教においては「もともとはブッダに対して敵対的だった存在」が「調伏」されて配下になったというケースが多い。
それはまさに「日本の軍人」にも当てはまる属性であるとはいえまいか。
かつては台湾を攻撃し民を支配した「強い敵対的存在」が、やがて戦争に敗れて地縛霊として台湾の地に残り、民衆に対して「祟りを為し」もしくは「助けを求めて」くる。それを現地の神が「調達」「徴用」し、新たな神としての神格を与えて、「修行」させる。台湾の民衆はそれを受け入れて、まずはスポーツくじのアタリといった現世利益の祈りを捧げるようになる……。
そう、日本軍人は「尊敬され、愛慕されていたから」台湾で神になったわけではない。
その逆だ。台湾人にとって「もともとは敵対的存在」だったからこそ、「孤霊として残されて祟る可能性があった」からこそ、日本軍人は神になり得たのだ(もちろんそこに日本が統治時代に苛烈な軍政を敷いたりせず、土地開発や治水に注力し、文明的な国としての憧れを台湾に抱かせたといった「プラス」の要素が受容の底流にあったことは否定しない)。

第二に、「新参の神様が俗神の体系のなかで地方神から『修行』を重ねて、序列を少しずつあげながら偶像や廟をゲットして、広く民から崇拝される大神としての神格を高めていく」という考え方の根底には、アジア南部の仏教に一般的な「小乗」の思想があるはずだ。
誰しも仏にすがりさえすれば成仏を果たせるとする大乗仏教(日本における浄土教やその延長上にある真宗、時宗、日蓮宗など)と、自身の修行と精神修養をもって解脱を希求する小乗仏教(日本における禅宗――臨済禅や曹洞禅)は、中国で発達した二潮流であり、日本では主に大乗仏教が定着した一方で、東南アジアや中国南部には小乗仏教が広まった。
「神が修行して上位の神格を目指す」という台湾民間信仰の考え方は、そもそも「菩薩が修行と功徳を重ねて如来(=解脱者)を目指す」という仏教の根本と通底しているし、かつ調伏された異教神が「天部」として形成するヒエラルキーとも相似を成す。

第三に、台湾の宗教が日本のそれよりもよほど土着的で、道教をベースとした「人ベース」「巫女ベース」の生っぽい民間信仰であることは、「日本の軍人」が神になれた基層として見逃せない要素だ。
「死んだ人間が祟って、慰霊ののちに神へと祀り上げられる」といえば、日本の菅原道真信仰や平将門信仰、あるいは平家落人の慰霊としての琵琶法師の活動などが想起される。とくに天神信仰はまさに「もともとは優秀な支配階級として権勢をふるったものの、のちに国家の敵対的存在として排除され、やがて死に追いやられた魂が恨みと呪いの力で都に災いをもたらし、それを慰撫し鎮魂するために神として祀られるようになる」という経緯をもった「人→神」の典型的事例である。
台湾の場合、道教が民間信仰の基底を成しているので、「人→神」のクラスチェンジは日本以上に容易に発生しうると思われる。さらには、台湾ではいまも庶民と信仰の距離が、日本とくらべても格段に近い。日本でも花祭りや地蔵盆は各地で行われているが、ここまで民衆が当たり前のように神に祈り、神にお供えし、神を語るような風土はもう失われたのではないか。とくに街中でシャーマン(台湾ではタンキー=童乩という)が大手をふって神降ろしを行い、周りの人々もそれを奇異ととらえずにふつうに相談事を持ちかけている様子には、ちょっと度肝を抜かれた。
すなわち、台湾では今も神の意志を語る童乩(シャーマン)が市民権を得ていて、彼女たちは身近で「感得」した霊魂の想いを代弁し、神へと導く「説得力」を今も有しており、言い換えれば「新しい神」を生み出す原動力になっている。

僕はこの映画を見始めるまで、ここで語られることはもっとフォークロア的で民俗学的な、「敗戦後に日本の軍人が『軍神』として台湾で崇拝を集めるまで」を描いた「過去」の分析だとばかり思い込んでいた。
だが見始めて驚いたのは、日本の軍人が「神」になったのは、けっして戦後すぐ――50年代の話などではないということだ。
いずれの「神」化も、もっと最近の出来事であり、なんなら2000年代に入ってから「見出された」神様までいる。日本軍人の「神」化は、まさに「今なお現在形で」進行している民俗学的事例なのである。

たとえば、冒頭に出てくる龍安寺先鋒祠の樋口勝見先鋒は、1944年にルソン島エンガノ岬沖海戦で戦死した英霊であるが、台湾で見出されたのは70年代になってからである。ルソン沖で遺族が慰霊のために流した位牌が台湾に流れ着いて、そこから信仰が始まったのだ。
台南の飛虎将軍、空軍パイロットの杉浦茂峰にしても、墜死したのは樋口と同じ1944年だが、台湾人が祠を建てて祀り始めたのは1971年のことだ。
東龍宮に祀られる田中綱常と北川直征は、1874年の台湾出兵に参加した古株の霊だが、今も現役バリバリのシャーマンである石さんが田中将軍を「神として見出して」デビューさせたのは1980年代。北川将軍に至っては、感得されたのはさらにあとのことかと推察される。
なにせ、舞台となっている東龍宮の創建は、1998年だというのだから。

要するにこの映画に登場する「神様」は大半が神になってまだ還暦を迎えていない、本当に産まれたてほやほやの神様であり、さらには、この神化現象には「今まさに生きて活動している信心者」が一役を買っていて、この映画ではその「言い出しっぺ」の人たちがちゃんと画面に出てきて「自らの口で神の来歴を語っている」ということだ。
なかなかに凄い映画ではないか。

― ― ― ―

●僕は奈良の生まれだが、母は東大阪の石切や額田で小学校教師をしていて、あのあたりにはいろいろと地縁があった。奈良・大阪県境の生駒山~石切神社にかけては、知る人ぞ知る強烈な霊的スポットであり(龍脈が通るとされ、石切神社参道には怪しげな占い店がひしめき合う)、実は数百人ともいわれる韓国系のシャーマンが山に住まって、今も神降ろしや託宣を行っている。僕は小学生時代、生駒山にある母親の教え子の家に2週間お世話になったことがあるが、そこのお母さんはまさにシャーマンだった(僕らの前ではふつうにやさしいおばさんだったけど)。なので、石さんの神降ろしを見て、台湾の街中に生駒山の霊的環境と同じ空気が顕現していることに興奮を禁じえなかった。やっていることはしょうじき大川隆法と変わらないが(笑)、別段大金を稼ぐためではなく、純粋に神を宿す自らの能力を信じて、大衆への功徳のために活動する善良なシャーマンの姿には、どこか胸を動かされるものがある。

●台湾は、人生で一度だけ台北に行ったことがあるが、どちらかというと故宮を観てすぐ帰るような弾丸旅行だったので、台湾南部の街中や田舎の風景はとても新鮮だった。「日本に似ているようで日本と違う」のは、人の在り方も宗教も風土も同じなんだな、と。

●火をつけたタバコを祀る、というのは、まさに我が家の祖父の墓参りでも毎年励行されていた儀式だった。神様へのお供えというよりは、タバコの好きだった「ご先祖様」へのお供えに近い感覚だよね。

●飛虎将軍廟で奉納されている杉浦茂峰が神になるまでを描く人形劇もすげえ興味深かった。というか、これ虚淵玄が『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』で真似てた「布袋戯(ポテヒ)」だよね!? 100年も経っていない時期の戦史的エピソードが、今まさに伝説として「でっちあげられていく」生々しさ(笑)。これがまさに「寺社縁起」ってやつなんだな!

●遠藤監督と藤野氏が、石さんに連れられて北川将軍を感得したという「蝙蝠洞穴」を進んでいったら、向こう側に抜けた先があって、そこはなんと旧日本軍のトーチカだった――というオチにはガチで衝撃を受けた。こんなことあるんだ? 本当にずっと居たんじゃないの、ここに地縛霊として……?? なお、蝙蝠は中華圏では「蝙蝠」の発音が「福」が「偏」ると同じということで、古来めでたい「吉祥」の動物として考えられてきた象徴的存在である。

●台湾民間信仰における人物肖像彫刻の造形が、どこか江戸期の日蓮像や弘法大師像と面相において似通ったところがあって、何か似たルーツでもあるのかと興味深かった。

●今回の映画で紹介された「軍服を着た神様」は6例に過ぎなかったが、台湾では南部沿岸地域を中心に50箇所を数えるらしい。ぜひ他の祠や廟の様子も知りたいものだ。と思ったら、終演後のトークショーで「続編は必ずやります」とおっしゃっていたので、とても楽しみだ。

●トークショーでは遠藤監督と、音楽を担当した武徹太郎氏が登壇。映画でずっと鳴り響いていた民謡調の音楽の実演などがあった。「六線」(桶太鼓のボディとギターの六弦を、三味線のようなフレットのない形で組み合わせた自作楽器)を弾くだけでなく、映画内のアニメーションも手掛けているという才人。トークショー後、映画で案内人を務めていた文化人類学者の藤野陽平氏と遠藤監督のミニサイン会があった。

●僕はポレポレ東中野の公開二日目に足を運んだが、前日は2回上映とも完売。僕が観た昼の回も満席。このマニアックな題材でこれだけの人をちゃんと集めているのは立派だと思う。
ていうか、ポレポレでの単独上映でしょ。しょうじき危惧してたんだよね。日本軍部の悪行と台湾に残る戦争の傷跡を声高に難詰するような政治的内容のドキュメンタリーを、狐憑きみたいな顔をした共産党シンパの残党と一緒に見させられたらどうしよう、って(笑)。
そんな映画じゃなくて、本当によかったです。
凄く面白かったので、続編も期待します!

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じゃい

4.0 分かろうとすればするほど、分からない。

2026年8月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

知的

斬新

台湾で命を落とした日本軍人が、台湾で「神」として信仰の対象となっていることを解明しようとする内容。信仰している人たちは、生前の日本軍人と何かの関わりがあった訳じゃなく、すでに他界してからの言い伝え、噂話なんかが基になっていて、かつ対象者が亡くなった時期は、日本が台湾を統治し始めた頃から、統治が終わる直前までと、特定の時期ではなく、いろんな年代であることがおもしろいです。
シャーマンとか亡霊とか、オカルトチックなことが出てきますが、信仰する人たちは、生前に関わりがなかった割に、対象者ことを詳しく知っているのが不思議で、そういうオカルトチックなことが真実だと考えないと、この状況が説明できない感じがあります。
台湾では、故人が亡霊となって悪さをする可能性があるため、故人を手厚く葬ることでそれを防ぎ、故人の方も手厚くされたことに対して、遺族たちの得となる手助けをすると信じられてきているそう。また、特定の宗教ではなく、地域毎の宗教もあるそうで、そういう風習をベースとして知っておいてから見ると一層おもしろいと思います。

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豊島区のはずれ

5.0 台湾で戦死した日本兵が、神様として祀られ、シャーマンまでいる。。。

2026年8月2日
PCから投稿

戦後日本の教育で、日本がアジア諸国の民を苦しめた悪い国 との 洗脳教育が 嘘だったことが わかる。 むしろ 軍神として 50か所の廟で 祀られていた。

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東條ひでき

3.5 神が人を作るのではなく人が神を作る

2026年6月18日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

知的

驚く

台湾各地に50カ所以上あるといわれる、日本軍人を祀った神の発祥や由来を解き明かしていくドキュメンタリー。
日本神が祀られているのは台湾が日本の統治下にあった国の中でも親日的だから、という単純な理由ではない。祀られているのもそれぞれに背景があったりする。「神様とは人が作るもの」と言ってしまうと身も蓋もないが、崇められる理由も案外単純だったりするもの。本作で取り上げられる日本神もそうした面があるのは否めない。だが、戦没した先祖もしくは身内が台湾で神となっている事実に子孫や遺族達が驚くも、そこから小さいながらも国際交流が生まれているのもこれまた事実。死は全てを奪うだけでなく、遺された生者達に与えるものもある。
8月は否応にも戦争をテーマにした映画が多く公開される。当然本作もその類に入るが、ヒロイック要素満載のお涙頂戴ドラマ劇とはベクトルが異なるため、興味深く観られる一本。

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regency