星の時のレビュー・感想・評価
全12件を表示
40年経っても鮮烈な不憫ヒロインの女王
なんとなく「ちいかわ」はかわいい生き物が不憫であることを愛でる作品のように感じているが(詳しい人、違ったらごめんなさい)、生身の人間に置き換えたらこういうことではないかと思うくらい、もはや洒落にならない不憫さが19歳の少女マカベーアに凝縮されている。誰を責めることもなく、というより、あまりにも世間知らずすぎて、責める対象があることにも気付いてないマカベーアがたどる悲劇は映画にしてみるとかなりシュールだが、決して珍しいものではなく、80年代のブラジルでは、そしておそらく今の世界でもありふれたものなのだろう。ブラックコメディのように終わっていくが、このちっぽけなキャラクターが現実の社会に投げかけている問いかけは今でもとても重く感じる。
ブラジル版「keiko」
マカベーア、サンパウロへ。
大都会サンパウロへやってきたマカベーアはタイピストとして働き始める。安月給だからコーラとホットドッグを食べて3人の女と一緒に下宿している。
この映画はなにも起こらない。恐らく境界性知能であろうマカベーアがサンパウロという都会でほんの数ヶ月暮らすだけの映画である。
マカベーアはタイピストとして働く事務所の社長や上司によって立場を左右される弱い立場の人間で、その特性により更に弱い立場に立たされている。
夢はある。でもその夢はマカベーアが本当に夢見たことだろうか。たまたまテレビやラジオで触れたことかもしれない。なぜなら、彼女が話すことはラジオ時報で仕入れた話しばかりで、しでかす悪さも同僚であるグローリアの真似でしかないのだから。
彼女は空っぽだ。
マカベーアと良い仲になるオリンピコも同様だ。実際の自分とは違う肖像写真を撮り、政治家になることを夢見ながら工場で働く日々。しかし彼は社会的な問題についての知識すら持ち合わせていない。
グローリアは男を乗り換えることによってステップアップを狙う強かさがある。しかし、占いによって行動を決めるという点では同様だ。
この映画のメイン所の人物には社会的な存在としての力が無いしその自覚もない。
映画が公開された1985年前後は、ブラジルが長年続いた軍事独裁政権に別れを告げ民主政治に舵を切った時代だ。経済成長を遂げながらも記録的なインフレで生活は安定しない。
ラストシーンは資本主義社会に轢き殺される労働者の姿だ。そしてマカベーアが占い師に「あなたの人生は変わる」と告げられることによって、やはり彼女の中が空っぽであることを表す。
女性監督が描く、女性作家原作の、女性が主役の映画。
女性を描いた作品に見えるがそうではない。
大きな転換を迎えたサンパウロという街で、時報のように時を刻んでいく労働者の空虚な生活が描かれている。
芋ねえちゃんが、映画スターのように輝くとき
「おいおい、このまま終わったら承知しないぞ」と内心毒づいた。ところが、主人公が楽しそうに走ってくる場面で、映画はあっけなく終わった。期待していたものとはだいぶ違い、裏切られたような思いが残った。
しかし、調べてみると、『星の時』は1985年のブラジリア映画祭で作品賞、監督賞、主演女優賞など主要6部門を受賞している。翌年のベルリン国際映画祭では、マカベーアを演じたマルセリア・カルタッショが銀熊賞(女優賞)に輝いた。当時から高く評価された作品だと知り、もう一度、この映画について考えてみた。
一日、二日、三日と時間がたつにつれて、主人公マカベーアへの共感がわき上がってきた。同情ではない。
マカベーアは、一つの部屋を四人の女性で分け合いながら、タイピストとして働いている。職場では「もっときれいに打てないのか」と注意され、安い給料で働かされていても、黙々と仕事を続ける。
コーラが好きで、休日には地下鉄に乗ることを楽しみにしている。なぜかコーヒーショップでは、黒い眼鏡をかけた男性の視線を気にする。ところが、その男性は目が見えなかった、というオチまでつく。
やがて、オリンピコという恋人らしき男ができる。しかし、この男が見栄っ張りで、けちで、ちょっとした小悪党なのだ。しかも、マカベーアは職場の先輩に恋人を奪われ、あげくに「あんた、それで幸せ?」とまで言われてしまう。
ほんとうに、まったくいいところのない人生だった。それでも、マカベーアがだんだん愛おしく見えてくる。いや、愛おしく見えるようになったのは、やはり、あのラストがあったからなのだろう。
このあたりを書くとネタバレになるので、詳しくは書けない。それまで、どこにでもいるような芋ねえちゃんにしか見えなかったマカベーアが、最後には映画スターのように輝いて見えたのだから。(笑
ブラジル版「もう頬杖はつかない」
永らく幻の名作と言われていたが日本国内未公開だったということ。期待して観たが…はいダメです。
原作はクラリッセ・リスペクトールの同タイトルの小説。マカーベアと同じく、北東部(ノルデスチ)出身で、新興国ブラジルでの底辺の人々を題材にした。ラテンアメリカの女流では屈指の筆力を評価されていたけど惜しくも早逝。生きていたらガルシア=マルケスと前後してノーベル賞をもらっていただろう。
原作はかなり読みにくい。映画と一番異なっているのはロドリーゴという作家の視点と記述という体裁になっているところ。つまり、マカーベアの考えや行動はロドリーゴの認識の流れとして捉えられ、それを実際にはクラリッセ・リスペクトールが書くという複雑な構造になっている。文体は修飾が多く実に饒舌なものです。
で、映画の方はというと、そういった原作の仕掛けというか味わいはほぼ表現されていない。単純にインシデントを映像化しているだけで伝わってくるものがない。原作がある映画というものは「忠実な」映画化というだけではダメで何らかの戦略性というものが必要なのだけど(「急に具合が悪くなる」を思い出してもらえれば良い)これって二次元を三次元に置き換えただけだよね。何故か「もう頬杖はつかない」を思い出してしまった。(すいません。何か恨みがあるわけではなく、同じころの映画で原作ありってところだけなんですが。東陽一監督は今年亡くなりました。ご冥福をお祈りします)
それとマカーベアを演じた女優さんなんですが、映画の中では不美人だ可愛くないとさんざんけなされているものの結構、可愛いんですね。これが映画の説得性をうんと低下させてしまっている。ところで彼女の脇毛ですがあれを剃らせなかったのは演出ですかね。いくら田舎出身とはいえ1985年ですからね。口紅塗るくらいの娘さんは手入れするでしょう。シルヴァーナ・マンガーノじゃないんだから。
ブラジルの「みいちゃん」
ブラジリアン柔術帰りに観るブラジル映画。日本未公開、4Kリマスター。ブラジル国内の映画祭で9部門くらい?これは名作の予感。
両親に先立たれ、育ての親のおばさんも亡くなり、シェアハウスで暮らす、地味な女の子が主人公。
冒頭のラジオ時計は、貧しく時計もない家庭が多いからのサービスか。雑学というか教養番組として何の役に立つかわからない情報を伝える。
序盤はタイプライター打ちの社員として、書類は汚いし、タイプの打ち間違えも多く会社で疎まれるところからスタート。鼻水を洋服のエリで拭う、手も洗わず不潔なんですね。
冒頭から音楽が不穏でなんかホラーはじまりそうな描写もあり油断できないなあと思いつつ、意識を失った。
気がつくと少女がベッドで自慰行為。彼氏らしき男ができてからおもしろくなる。おもしろいとかいうのは適当ではないかな。いわゆる他人の不幸を笑う感じのブラックなテイスト。
だから、唐突に訪れるラストにも納得。ブラジルの「みいちゃん」、見つけた。
女の子の魂
ブラジル映画「アイム・スティル・ヒア」(2024)の主人公エウニセ(強く明るい母で妻)役のフェルナンダ・トーレスの実の母でやはり女優のフェルナンダ・モンテネグロ(上述の映画でエウニセの老年期を演じている)が出ているからこの映画を見た。
主人公マカーベア、19才、タイプをまともに打てない見習いタイピスト、両親も叔母も亡くし天涯孤独、貧しい、教養も知識もない。そんなマカーベアにどんなとっかかりをもって接していいのか困惑する。ラジオ時計がとても印象的。時刻は「○○時○○分」とだけ言えば済むのに、更にいつも「0秒」まで言うラジオに笑ってしまう。その後に雑学、トリビア的な小さなお話が流れてきて奇妙で可笑しい。その小さな話がマカーベアが喋るとしたらテーマになる、ハエの話とか。他人に手を洗えとか臭いよとか美しくないと言われてもさして気にしないマカーベアは、お礼とごめんなさいは言う。ホットドッグとコカ・コーラが好きでよく食べる。ある時は食べ慣れないデザートを食べ過ぎて吐く。髪の毛はなんか変だし着ているものもパッとしないし鼻の頭がいつも赤い。短くてちっこい爪に赤いマニキュアを塗っていてところどころ剥げている。手も汚い。マカーベアの体液、尿、涙が生き生きなのか生々しいのか、いずれにしても匂うように身近に感じる。
「あの男の人、私のことを見ている?」と思っていたら・・・地下鉄駅員はホームから落ちそうな程に端にいる自分を業務上注意しただけ、バールの向かい側から自分を見ているサングラス男性は、実は目が見えない人だってことを白杖で知る。なーんだ。不思議な音楽の使い方。「美しく青きドナウ」はマカーベアにも彼女がいる環境にも合わない。ドニゼッティの「人知れぬ涙」はマカーベアに縁がなさそうと思ったのに彼女はその音楽を聞いて激しく泣く。
フェルナンダ・モンテネグロは妖しげで胡散臭い占い師の役。その占い師から、素敵な出会いがあるよ、お金持ちの外国人男性が高級な車に乗ってあなたを迎えにくると言われたマカーベアは、魔法をかけられたように可愛らしいヘアスタイルになり、美しい水色のドレスを身にまとい、鼻の頭はもはや赤くない。彼女の顔は笑顔が眩しく光り輝いて天使のように美しい。シンデレラだ。マカーベアは、私は、その時、最高の幸せに包まれた。
この映画は、溝口健二やファスビンダーの映画と一瞬似ているが異なる。主人公マカーベアには這い上がろうという野心はないし、男や社会に対する怒りも批判もない。音楽を聞いて感動して泣くが、自らが置かれた環境を恨んで泣くことはない。そして白馬に乗った王様なんかいないことをマカーベアは知らずに済んだ。
不思議と郷愁に満ちた不可解な日常が織りなす独特の世界
全12件を表示








