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主演2人の演技は見応えあるし、1960年代のファッションはとにかくおしゃれだし退屈はしない。ただ、見ている間ずっとモヤモヤしながら気分が沈んでいくような展開、最後に救われるのではなくとどめを食らうようなラストで、ちょっと胃が重くなる感じがした。
アリスとセリーヌはお隣さんで家族ぐるみのお付き合いをしているが、まずその距離感の近さに、微笑ましさより危うさを感じた。
家族構成が同じ、子どもの年齢も近くて仲がいい、経済的レベルも多分近いということで話が合うのだろうが、合鍵を渡して互いの家を勝手に出入りするのは間合いを詰めすぎである。アメリカ人にとってはこれが割と当たり前のノリなのか?
その距離感の中で、実はもう子どもが産めない体のセリーヌを前に、次の子どもがほしいみたいな会話をしてしまうアリス夫婦。息子の事故が起こる前から、実はセリーヌはアリスに対して、好感だけではない複雑な感情を持っていたのではと疑いたくなる。
マックスの事故死の後、アリスとセリーヌの間に不穏な出来事が次々と起こる。
アリスの息子テオのぬいぐるみを無断で息子の棺に入れたり、自宅に預かったテオを、マックスが落ちたベランダで遊ばせたりするセリーヌ。ぎょっとするが、彼女の「マックスが寂しいと思ったから。ごめんなさい」「私は(ベランダで遊ぶテオの)そばにいた」という説明に不自然さはなく、アリスは受け入れるしかない。
ところが、テオの誕生日会でセリーヌのテオに対する過剰な親密さを指摘したアリスの義母が心臓発作で死亡。アリスは祖母とセリーヌのやり取りは聞いていなかったように見えたがセリーヌを疑い、現場で拾った義母のピルケースをサイドテーブルの引き出しに隠す。ところが、いつの間にかそのピルケースは夫のサイモンの手元にあった(ここは、どういう流れでそうなったのかよくわからなかった)。
最初はセリーヌだけが異常に見えたのだが、アリスの神経症的な側面と、過去に親の事故死でメンタルを病んだという経歴がだんだん効いてきて、ん? 実はアリスの思い込みなのか? どっちなんだい? という気分になってくる。セリーヌの距離感がおかしいのは間違いないが、もしかして悪気はないのか?
ところが、そんなモヤモヤがいい感じに溜まってきたところで、セリーヌが手慣れた様子で夫のダミアンを殺してしまう。
ということは。これまで妄想かとも思われたセリーヌの行動についてのアリスの解釈は、全て正しかったのでは? 映画の中で答え合わせはされないが、セリーヌは子のいるアリスへの嫉妬や悪意でぬいぐるみを棺に入れ、マックスが死んだベランダでテオを遊ばせ、テオへの接近を牽制したアリスの義母の薬を偽薬にすり替えたということか。
その後セリーヌはテオとの関係の障害になりそうな夫を殺し、アリスたちが転居すればテオと会えなくなるのでアリス夫婦も殺害した。
最後はアリスとセリーヌの乱闘になって、アリスが勝つんだろうと思っていたらセリーヌが勝ったので、暗い気分になった。スカッとしない方のオチかあ…… セリーヌの周りで短期間にめちゃくちゃ人死んでるんだけど、怪しまれないのかな?
本作の原題は「Mothers’ Instinct」。子を失ったセリーヌ、子を奪われることを恐れたアリス、2人の母性本能が凶行と妄想へ迷い込んでいく様を描いたということだろう。
だが、そうなった原因は、彼女たちの本能や性格の問題だけなのだろうか。
当時のアメリカでは、妻が専業主婦、という家庭がまだ主流だった。1950年代以降持て囃された「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」では、夫が働き妻が家庭を守るというあり方が理想であり、共働きだと子どもへの悪影響がある、夫の稼ぎが少ないとみなされて世間体が悪い、といった偏見があったようだ。
1963年に出版されたベティ・フリーダンの「女らしさの神話」をきっかけとして、60年代後半からウーマンリブ運動が広がった。高等教育を受けながらも自分の能力を活かせないまま、社会の風潮に押されて家庭に収まるしかなかった女性たちの抱える虚しさや孤独感が「名前のない問題」として可視化され、彼女たちの自立と自己実現が肯定されていくのだが、本作の時代設定はそうした流れの過渡期に当たる。
アリスとセリーヌは、そんな時代で旧来の価値観を生きていた。もちろん、専業主婦という役割自体を一概に否定するべきものだとは思わない。ただ彼女たちの場合、自己のアイデンティティを母親という役割のみに負わせていたために、おかしくなってしまったのではないだろうか。
アリスは元記者で、復職を希望していたが、2人目の子どもがほしい夫にそれを止められていた。もし彼女が希望通り復職し、「母親」以外のアイデンティティを持てていたら。セリーヌが、「母親」という役割から離れた所で社会と関わり、居場所を持てていたら。2人は妄想や狂気のみに心を支配されることはなかったのかもしれない。