死ねばいいのにのレビュー・感想・評価
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天使のような悪魔と、悪魔のような悪魔
結局は同じ属性なのだが、境地は別であったのだろうか、その幸せの儘にこの世から送り出した事に、果たして正しかったことなのだろうか?、欺瞞なのだろうか?
わざわざ映画にするよりも、演劇で表現した方が良かったのではと思ったのだが、屋上から見える何でもない東京の景色を観客に見せるにはやはりスクリーンでしか現わせなかったのだろう
何が"幸せ"なのだろうか、本当に分らない
一言言えることは、私に対しての題名なのは確かだ・・・
脚本の凄さには拍手。演出は低予算
この映画は一言テーマを挙げるなら「本音と建前から生じる思い込みや勘違い」と感じた。栄子と亜佐美の関わりの話でもあり、それの悲劇について描いたストーリーだが、考察がしがいのある人間模様とテーマ性に拍手を贈りたいと思った。
しかし本映画は変わり映えせず、会話劇がメインの低予算ではあるので美術や構成で目劣りすることがある。それを演技や脚本に振り切った作品と言えよう。
◆本作の脚本が何故素晴らしいのか?(難しいのか)
脚本やストーリー性は非常に高く。栄子、亜佐美周りの人物の関係がリアルでかつ複雑である。どうして素晴らしい(難しい)と感じたか?内容は3点ある。
①栄子は一貫して何故?を求めるから難しい
栄子は亜佐美を殺害した犯人である。栄子は殺人犯にも関わらず亜佐美の周囲に「亜佐美はどんな人でしたか?」と尋ね、何故を繰り返す人物であるが、ここに彼女の思考パターンの癖がある。
彼女は頭の中でロジックを組み立てるのが得意が故に他人への確認作業も多く、確証が取れたからこそロジカルに正論を相手お構いなしに言うキャラだが、この「自分の中でロジックが通れば、正しい」と言う軸がある故に決めつけをしやすい特性もあるのだ。栄子が亜佐美を殺害した理由は亜佐美が述べた「幸せ」に対して彼女は幸せなのは建前で行っているだけ本当は周囲に振り回されて不幸だと思っていると勘違いしてしまい、亜佐美が死を望んでいると咄嗟に絞首して殺害したという内容だ。
実は亜佐美の「幸せ」には「栄子と出会えたことが幸せ」と言う解釈があり、それに気づけなかった栄子が殺害を後悔し、涙を流す。
栄子の罪はロジックを自身の中でまかり通ると思い込んだが故に別の解釈の可能性を自ら閉ざしてしまったことである。
② 亜佐美が分かりにくすぎる
一方亜佐美は一言で「本音と建前の境界が曖昧」なところがある。それが故に部長にも部長が嬉しいならそれでいいと思っていても本望な場合でもあり、我慢している場合とも読み取れる。彼女はそれについて全く説明しない。
亜佐美の難しさは発言しているが、確信を話さない傾向が多く、栄子にきちんと言葉を話していればこんなことにはならないが、亜佐美自身の内面が整理できていないためコミュニケーションにズレを起こしやすい人柄である。
このようなキャラクター性は作中の人物も視聴者も置いてきぼりにするため難しいのである。
③死ねばいいのにには三重の意味がある
亜佐美の周り:お前が死ねば亜佐美が幸せに生きられる。
栄子が亜佐美:幸せなら幸せのまま死ねばいいのに
栄子自身に向けて: 亜佐美の幸せが「栄子と出会えたから幸せ」と言う解釈に気付けず殺害した自分自身に対して死ねばいいのに
◆背景美術構成
やはり低予算映画のため、芝生にテーブルや椅子を載せて見せる演出は飽きさせないためのシーン切り替えだと解釈した。
不器用な愛のお話、かも?
エイコの自閉っぽく相手を問い詰めていく前半の流れと煽りに易々と乗っかる登場人物に疲れかけたけど...
最後の最後に人の目を通していない(もしくはエイコ目線の?)アサミが流れた後、エイコとアサミの穏やかなベランダでのシーンの画が出たあたりがとてもよかった。ベランダの枠がいい感じに2人の境界線を作ってた(気がする)。
エイコは「幸せ」を受け入れられないし、アサミは自分の「不幸」だけは受け入れられなかった。そうしないと、生きていられないから。
アサミを殺した後、アサミの部屋の食器を洗い、ベランダを開け放った時、エイコはあの時の「幸せ」に気づいてしまったのかな?
アサミの関係者からアサミのことを知ることで「幸せ」をわかろうとするけど、やっぱりそれはエイコからすると不幸としか思えなくて、アサミの関係者に不幸の一端を担っていたことを意識させた上で「死ねばいいのに(死ぬもしくは殺す覚悟もないくせに)」とぶつけてアサミの不幸を確認していく。かつ、やっぱりあさみが大切にしてきた相手でもあるため都合の悪いデータは消去して警察から守ってあげる。アサミの幸せ(相手の生活)は守りつつ、不幸も証明しつつで、これはもうエイコがアサミの殺人を通して感じていることの落とし所探しというか、整理で、弁護士さんとのお話はまるで感情の言語化をしていくカウンセリングのよう。
エイコがアサミを殺した人殺しになることで、初めてアサミの不幸は(法的に?)証明されるし、アサミは好きな場所で親友に殺された幸せな人になれたのかな。
もうここまでくると愛のお話かもしれない。
幸せの尺度。
ビルの屋上で何者かに絞殺された鹿島亜佐美と、その亜佐美に関わった人物達へと話を聞きに行く渡来映子の話。
不倫関係にあった部長・山崎、高校時代の先輩で隣人の篠宮佳織、金絡みな恋人、訳あり母へと訪ねる映子と亜佐美の関係と映子の心情は…。
観進めて分かる2人の出会いと関係性、そして亜佐美を殺った犯人、夜の街中で男に暴力を振るわれる亜佐美を助けた映子、その暴力を振るう男は関係を持ってしまった隣人に住む先輩の彼。
理詰め気味で相手を論破してくと思えば結局アナタなの!?な展開、弁護士に語る体で真相は明らかになっていくけど、うんストーリーには惹かれず眠い。
生前の亜佐美と映子のやり取りを見てる映子と弁護士の件辺りから面白くなってきた印象だけど、う~んって感じ。伊東葵さんはどの作品観ても感じるけど彼女の画力は何なんでしょ!?
くそでか感情一緒に地獄に落ちましょう系が好きな人は見ていい。
原作既読済。で、もう観る前から原作と大分違うことは覚悟してたので、結構受け入れられたかな〜という感じ。映画オリジナルのシーンは私は結構好き♥️
原作と違くてゲンナリした部分と、でも一方で映画らしくて良かったんじゃない?という部分とに分けて書きます。
原作と大きく違うのは2点。
まず、言わずもがな主人公。誰だこいつは。本当に原作にいたあの得体の知れない怖さのあった超絶フラットマン渡来さんですか?ってくらい人間味がある。原作の肝である会話劇も大分感情が乗っていて嫌な女が相手を煽って自分の亜佐美の解釈を押し付けているようにも見えてしまい、ちょっと胃もたれ。まあ、あんな原作のような男がいても現実味が無いと思われたのかな…?とも。
次に、肝心の会話劇。決めゼリフが出るまでがアホほど早い。え、もう!?とちょっと笑ってしまったし、会話が進んでいくにつれ、徐々に相手が崩れていく過程がこの作品の良いところだと思ってたのでここは残念だった。ただ、映画の時間制限もあるだろうから、脚本家は苦心したんだろうな、母親シーンもバッツリカットして…でも、マンションの管理人のおっちゃんと先輩のエピソードは結構好きだったから入れて欲しかったよ…
良かったのは、冒頭でも挙げたがやはり亜佐美の追加シーン。亜佐美役の人めっちゃ良くなかったですか??現実にもギリギリいそうな、悪いやつじゃないけど好きにもなれない感じのヤバめの女の演技が上手い、惹き込まれる…亜佐美が幸せを噛み締めるシーンで泣いてしまった。で、亜佐美の方の解像度が爆上がりするが故に、主人公が亜佐美に何を感じていたのか、何故あの2人の結末がこんなことになったのかという、原作では最後までよく分からん(故に不気味で良い)部分が、なんとなく想像できるようになってる。ちょっと後味が爽やか?すっきり?という感じ。
最後に、主題歌良かったね!
ハッピー・マニア
奈緒の新鮮な役柄と尖ったタイトルに惹かれて。
冒頭、草っぱらの“席”に登場人物が座ってる演出は面白い。
これはそれぞれとの対話の際にも挿入されるのだが…
この演出にした最大の理由って、部長が公衆の面前で叫びまくるのを誤魔化すためでは?
それでなくても無闇に切り替えすぎていて、もっと“ここぞ”の時だけでいいのになぁ。
本サイトでは亜佐美について「尋ねる相手によって印象の異なる」とあるが、むしろ逆。
ずっと補強を繰り返されてるように見えた。
3人に話を聞いた後、警察署に乗り込んだところで何故か逮捕。(ホワイトボードにはいなかったよね)
そこからは映子が話を聞かれる立場になる。
主に映子と亜佐美の出会いが描かれ、亜佐美殺害の犯人が映子であることも判明する。
(回想の中にいたまま弁護士とも会話する演出が好きだったのに、最初だけだった)
だがここにも意外性はなく、やはり補強に終始。
弁護士の過去の話とかどーでもいいのだが。
最終的に、亜佐美を通して幸せとか生きる意味とかが描かれてたのかな?
だがそれ故に、個々のエピソードのデティールには特に意味を感じなかった。
後に回され満を持して出た母親はあれだけ?だし。
何より映子について何一つ語られないので、キャラとしての存在意義があまりに薄くて残念。
男性的な見た目や態度に口紅だけ赤く、そこに奈緒のイメージが合わさって魅力的な造形だったのに…
芝居はいいけど、何の話か分からなかった。
部長からのメールがPC宛てって不自然じゃない?
言葉に埋め尽くされた世界の片隅で、私たちは「終わらない鬼ごっこ」を続けている――映画『死ねばいいのに』が突きつける、他者という名の深淵
鹿島亜佐美という一人の女性の死。その謎を追う渡来映子という女性が、生前彼女を取り巻いていた人々を訪ね歩くところから物語は動き出す。
関係者たちの証言から浮かび上がるのは、亜佐美が彼らから「物」同然に蔑まれていたという、あまりにも冷酷な事実だった。
しかし、当の亜佐美は最期まで「私は幸せだ」と笑顔で言い続けていたという。
誰もがスマートフォンを握りしめ、SNSによって個人の「考え」や「正義」が24時間可視化され、言葉で埋め尽くされているのが現代という時代だと感じる。
しかし皮肉なことに、言葉が増えれば増えるほど、私たちは「本当の相手の気持ち」を読み解けなくなっている側面がある。
本作は、そんな現代のコミュニケーションのバグを、生々しく抉り出していく。
【自分の物差しで測れない「幸福」の形】
「こんなにひどい扱いを受けても幸せと感じるなんて、そんなわけ無いだろ」と思わずにはいられない。
だが同時に、何に価値を置くかなど人それぞれなのだと思い知らされる。他人の幸福を、自分の物差しで「間違っている」と断じる行為は、結局のところ、自分がそう思いたいだけの傲慢に過ぎないのではないか。
劇中、映子が投げかける言葉は、関係者たちの自己保身の仮面を剥ぎ取るが、それは同時に観客である我々自身にもブーメランのように返ってくる。
それは、どんな背景があろうとも、起きてしまった事実を淡々と受け入れるしかない人間の弱さと正直になれなさが、スクリーンから痛いほど伝わってくるからだ。
【他者理解という名の「永遠の鬼ごっこ」】
本作を観て痛感するのは、「人間の気持ちは一生分からない」という諦念、そしてそれゆえの希望にある。
生きている限り、人の価値観や考えは姿かたちを変えていく。そして、一人ひとり価値観や物事の捉え方は違う。
それはまるで、空に浮かぶ雲を掴もうとするようなものだ。こちらが手を伸ばし、追いかければ追いかけるほど、その実体はするりと指をすり抜け、距離感が開いていく。
手を伸ばしても相手の肩に触れることは叶わない、それはまるで「永遠に続く鬼ごっこ」のようだ。
だからこそ、本作において重要となるのは「分かろうとし続けること」そのものなのではないか?
私たちは日々、言葉を交わす。しかし、伝えようとするなかで、要点よく話さなきゃと思い、自分の中で推敲し、削ぎ落として残ったわずかな言葉では、相手に100%の気持ちを伝えることはできない。
いや、むしろいつでも100%完全に相手に伝えられる人は希少だと思う。
世の中は、語られていることよりも、語られていないこと(余白)のほうが遥かに多い。
【結論:映画が残した「余白」が私たちに問いかけるもの】
この作品には絶えず「余白」がある。バックボーンを違う視点から見つめ直さなければ、真実の輪郭は見えてこない。
どれほど辛くても、死んでしまったらそこで思考も関係性も止まってしまう。いざ誰かが本当に「死んでしまったら」その事実を受け入れられずに立ち尽くすのは、残された生者だけだ。
100%は分かり合えない。それでも私たちは、対話を諦めてはならない。
映画『死ねばいいのに』が残した巨大な「余白」は、スクリーンが終わった後も「生きている限り他者に向き合い続けなければいけない」ことを気づかせてくれるような、静かな狂気に満ちている。
深淵級の深イイ噺。
【死ねばいいのに】と[死んだらいいのに]
どちらも大変イヤな願望ですが、お互い似て非なるものだと私は思います。
[死んだらいいのに]は…他者には明かさない秘めたる願望…みたいなニュアンス
【死ねばいいのに】は…願望の他に、相手に対する提案が含まれている様に思えて。
ある日…寂れたビルの屋上で若い女性の絞◯死体が見つかる。
被害者近辺の関係者はみな、被害者から体よく搾取するテイカーばかりながら、今ひとつ犯人である決め手が無い…
そんな頃…被害者の母、不倫相手、隣人(高校時代の部活の先輩)、恋人…に、被害者の事を聞いて廻る、知人を名乗る女が現れる。
被害者の事を聞いているのに、質問された側は…何故か彼女を通した自分自身の事しか言ってこないと憤るのだが…。
【袖振り合うも多生の縁】
【合縁奇縁】の【一期一会】
ひょんなことがキッカケで知り合った彼女は、、傍目からみれば絶望的に不幸な超絶ポジティブなギバー体質だった。
気味悪い程、自身の人生を【幸せだ!】と豪語する危うく妖しい雰囲気を醸す優し過ぎる彼女に、女は云った…
「そんなに“幸せ”なら、その“幸せ”が終わらない内に、“幸せ”な中で…死ねばいいのに」と。
今作は、相当に私の琴線を掻き鳴らしては響かせる逸品でした。
彼女とその女は…ともすれば『急に具合が悪くなる』の2人の様なソウルメイト…唯一無二の真友になれただろうに。
私はなぜだか悔しくて哀しくて、今作が創り噺で本当に良かったと思えたくらい。
かつて『砂の器』の和賀英良が
「幸せなんてモノ、、本当に在るのかい?…無いから皆んな、そんな影みたいなモンを探してるんじゃないのかい」と云いました。
その台詞は、未だ私にとっては、心を離して止まない一つの真理です。
【幸せ】とは、人により十人十色、千変万化の定まらぬモノ。
それなのに…«不幸»だけは、いくつかの固定化されたパターンやデフォってモンが、確り存在している。
一体何んなのでしょうね…この皮肉。
地獄の底で煮え湯を呑まされる…他者から見れば不幸にしか思えない状況も、
本人が幸せと思えるなら…感じるなら、紛う事無き幸せ…。
凄い胆力と、凄味のある静かな気迫。
でも、、心から真顔でそう言い切ねば、やってられない人生だったなら?🤔
はぁ…(´Д`)どんなに何を言おうが、結局ソレは私の感想であり、押し付けでしか無く…
ソレが嘘でもホントでも、彼女にしか分かり得ない心の深淵…もしかしら、彼女本人にだってワカラナイモノなのかもしれない。
劇中のアサミさんみたいなヒトが本当に居たなら、
どうか私と手を取り合って一緒に生きていってくれませんか?私も頑張ってそう出来る様に努力します、だから…私に貴女と云う«幸せ»に寄り添わせて下さい😊って、
額の皮が擦り剥ける程、土下座🙇♂️するのになぁ。
18禁映画ならぬ、30禁映画かもしれない。
亜佐美(伊藤蒼さん)は、他人からみたら不幸だとしか思えない。だけど本人は、今も昔もずっと幸せだったと言う。
幸せというのは、一時的な感情にしろ持続的な感情にしろ、極めて主観的なものなのかもしれない。
映子(奈緒さん)は亜佐美に言う、(それなら不幸になる前に) 「死ねばいいのに」。
そして、亜佐美は不幸にならず、幸せなまま死んでしまう。
「幸せなので、死ぬ」という考え方に納得させられてしまう話。
10代、20代だと影響を受け過ぎる人が出てしまうような気がして、おすすめしたくない。もちろん多くの10代、20代は影響受けないと思うから、鑑賞しても、基本的に大丈夫だ。
よくアニメや小説で、「けがれた大人にな前に、キレイなまま死ぬ」みたいなセリフがあるけど、全員がこのセリフに共感するわけではないからね。
背景が変わる瞬間は「関係者が自己崩壊をしている瞬間」ということで良いのかなあ
2026.7.7 アップリンク京都
2026年の日本映画(95分、G)
原作は京極夏彦の同名小説
殺された女のことを関係者に聞きまくる謎の女を描いたミステリー映画
監督は金井純一
脚本は喜安浩平
物語の舞台は、東京の葛原市(架空)
ある雑居ビルの屋上にて、鹿島阿佐美(伊東蒼)という若い女性が絞殺された
警察は容疑者を選定するものの、手掛かりというものが少なく、捜査は暗礁に乗り上げようとしていた
そんな折、渡来映子(奈緒)という女性が、阿佐美と関わりのあった人々の元に現れては、「阿佐美はどんな人でしたか?」と聞き回っていた
映子が最初に訪れたのは、阿佐美が働いていた会社の上司・山崎寛之(前原滉)のところで、彼は妻子ある人間で、阿佐美とは不倫関係だった
山崎は二人の関係発覚を恐れていたが、二人の関係を示すSNSのやり取りは映子によって消去されていた
映子は山崎の本音を抉り出し、彼女が死んで良かったと思っているだろうと突きつける
そして、次の関係者・篠宮佳織(高橋ひかる)のもとへと向かった
篠宮は阿佐美の高校時代のテニス部の先輩であり、阿佐美をいじめから守ってもらったとされていた
だが、彼女の恋人である倉田(浅野竣哉)と関係を持っていたことが発覚し、それ以来「裏垢」を使って、阿佐美のことをバッシングしていたのである
映画は、関係者に阿佐美のことを尋ねても何もわからず、しまいには警察署に訪れる映子を描いていく
受付の警官(日高七海)は「個人情報だから教えられない」というものの、そこで映子は「ある真実」を彼女たちに告げた
映画は、この時点が転換点となり、弁護士・五條(平原テツ)とのやりとりの中で、残りの関係者と会った話が展開されていく
関係者との対話において、映子は「そこまで苦しいのなら、死ねばいいのに」と彼らに突きつけるという構図になっているのだが、本当の「死ねばいいのに」は別の意味で使われていたことが判明する
映画のキャストを調べる時に、「俳優名、タイトル」で検索をかけると、通常検索はヒットするけれど、「AI要約では弾かれる」という仕様になっていた
そりゃ、そうだよねと思いながら、キャッチーだけどネット検索に不向きなタイトルだなあと思った
こればかりは仕方のない話なのだが、意外とモブのキャラの登場は多かったので、市役所で怒鳴っている市民とかは誰が演じていたんだろうと思ってしまった
物語としては、阿佐美の過去が判明するたびに「不遇であり不幸だ」と映子は感じるのだが、それでも阿佐美は「幸せだ」という
そして、極め付けとして、映子に対して「私をこんなに理解してくれる人がいて、とても幸せ」と言い、「私を理解してくれる友だちに殺されるのは最高の幸せだ」と言ってしまうのである
阿佐美が実際に幸せだったのかはわからず、ある意味「こう言えば殺してくれる(不幸の連鎖から解放してくる)」という意味合いもあったように感じてしまう
弁護士はそれを念頭に置いて映子と話すのだが、それでも映子は「裁判の欺瞞」というものを突きつける
それは、阿佐美の願いを叶えたように見えて、実際には「阿佐美に対する感情」が映子に首を絞めさせてことに気づいていた
映子が阿佐美に嫉妬したのか、自分を肯定したことへの嫌悪感があったのかはわからない
だが、映子は明確な殺意を持って彼女を殺めており、その行為の代償は払うべきだと感じていた
それでも、彼女が殺人の罰を受けることよりも、弁護士の言葉「それはあなたが一番良くわかっていることではないですか」の方が、より彼女を断罪したように思えた
いずれにせよ、強烈なタイトルとヤバそうな主人公が関係者を煽り倒していく作品で、転換点から構図が変わっていくのも面白い
関係者を罵倒する「死ねばいいのに」と、阿佐美に告げる「死ねばいいのに」の質感は違うのだが、それは「絶望のまま死ね」ということと、「幸せの中で死のう」というニュアンスの違いを生んでいるのだろう
SNSでバズるにはタイトルがヤバすぎるのでアレだが、気になる人は早めに鑑賞した方が良いだろう
また、パンフレットには「ほぼ決定稿のシナリオ」が掲載されているので、細かなところを再確認したい人は購入しても良いのではないか、と思った
もう永遠にわからないということ
人は死ぬと、その人を理解する機会そのものが失われる。
何を考えていたのか。
何に傷ついていたのか。
何を言い聞かせていたのか。
何を処理していたのか。
なぜ「幸せ」と微笑んでいたのか。
その人だけが知っていた世界は、その人と共に閉じられる。
あとから知ろうとしても、もう届かない。永遠に。
弁護士は「あさみはどう見ても不幸だった」と言う。
けれど、あさみ自身は「幸せ」と言う。
映子は、その理由が分からなかったのだと思う。
だから母親や彼氏、不倫相手や先輩を訪ね歩く。
けれど返ってくるのは、「その人から見たあさみ」ばかり。
本当のあさみには、誰も届かない。
本人はもういないから。
映画の途中で、あさみはSNSのひどい言葉や、「飼い主」と呼ぶ彼氏の日記、不倫相手から届く都合のいいメールを微笑みながら見つめている。
その一方で、ほんのわずかだけ、
恨めしそうに。
憎々しそうに。
悲しそうに。
それらを見つめる表情も映し出される。
あの一瞬だけで十分だった。
あさみにも誰にも見せなかった心があったことだけが伝わる。
その先は描かれない。
だからこそ知りたくなる。
でも、もう知ることはできない。
映子は「気持ち悪い」と言った。
たぶん、本当に気持ち悪かったのだと思う。
そして彼女は最初から、
「じゃあ死ねばいいのに」
という思考をする人だったのではないか。
私も「死ねばいいのに」と思うことはある。
でも、本当に死んでほしいわけではない。
多分、「自分の世界から消えてほしい」という感覚なのだと思う。
映子もきっと、そうだった。
けれど、その思考を現実にしてしまった。
弁護士は過去の事件で、被告を救おうとした。
映子は「それはあなたの都合だ」と言う。
「本当に気に掛けられるべきだったのは、その子供たち。」
その言葉は、そのまま映子自身にも返ってくる。
本当に気に掛けるべきだったのは、あさみだった。
自分こそ、あさみという一人の人間を見ようとしていなかった。
だから殺せた。
そして殺してしまったあとになって、
「本当はどんな人だったのだろう。」
と思う。
でも、その問いだけは、永遠に答えが返ってこない。
この映画は、
「だから人を殺してはいけない。」
という映画ではない。
ただ、そうだった。
という事実だけが置かれている。
そこにあるのは答えではなく、余白だった。
とても残念
とても、いい女優さん、ふたりも使ってるのに、ストーリーがまるでだめ。
角度の違うメンヘラ女がふたりいて
死ねばいいのにという、言葉を何回も聞かされるという、とても不快な話。
学ぶことも、ハッとすることもなかった。
こんな奈緒さんが見たかった、もっと伊東蒼さんが見たかった
第一にタイトルが強烈。
読書や映画が好きな人なら、言葉の裏にある深い意味を掬い取るのが楽しみだ、と挑戦したくなるタイトルだと思うけど、中途半端に倫理や正義を振りまくタイプの人からは、相応の嫌悪感を抱かれるかもしれない。
「亜佐美のことを知りたい」
ただ、そう聞かれるだけなのに、渡来(奈緒…原作では渡来健也という男性)の第一印象(見かけやぞんざいなしゃべり方に対する)からすでに色眼鏡で、というより自分より下の人間だと決めつけて、まともに対応しようとしない。そして、それなりに渡来のいうことに耳を傾け始めても、亜佐美のことよりも自分のことばかり話す。自分に非はないといえばいうほど言い訳めいていたり、自分のほうが死んだ亜佐美よりも不幸で大変な現実をかかえているんだ、と。
そんなに大変でのっぴきならない状況に追い込まれているのなら、
死ねばいいのに。
でも、誰も死にたくないし、もっと楽に生きていきたい。
でも、周囲の状況や他人のせいにしてばかりで自分ではなにも変えようとしていない。
亜佐美が死んだことで、どこか自分の後ろめたさが軽くなったと思っていた時に、渡来からそんな暗くてドロドロした自分の内面を突き付けられる恐怖。そして、渡来が亜佐美について聞いて回れば回るほど、読者や鑑賞者の心にも黒い染みが広がっていくような錯覚に陥る。次にあの草っ原の椅子で渡来と正対し話をしなければいけないのは自分かもしれない。
もしかしたら、原作を読んでいないとわからない機微(亜佐美の情緒面)が映画では表現しきれていなかったような気もするので、以下補足。
*蛇足ながら、ヒントになりそうな渡来の言葉を原作から引用させていただきます。
もちろん、原作小説は亜佐美を通して浮かび上がる様々な立場の人間の心の闇(それも我々の誰もが他人ごとではないと震えがくるほどの心の揺らぎ)が見事に描かれており、超おススメです。
「アサミはさ、こんなヘンテコな人生だけど幸せだって、そう言ったんだって。彼氏はなんだか危ねえし、親も問題あるし、仕事も収入も不安定だけど、それでも不幸じゃないって言った。で、このままずっと幸せでいたいんだけど、どうしたらいいだろうって―そう尋いたんだよ。だから、俺(註:原作では男)はこう言った。そんなに幸せならさ、幸せでいるうちに」
―死ねばいいのに。
「不幸せになる前に、死ねばいいのに、って言ったんすよ、俺。そしたら、そうよね、死にたいわってそう答えたんだよアサミ。俺、一瞬解らなかったんすよ。死にたくねーって答えねえすか?幸せなら余計にさ。でもアサミ、真顔でさ」
ストーリーを追うのは難しくないが、登場人物たちの心理の多義的解釈が可能なので、観客に思索を促す作品
奈緒と伊東蒼という演技達者の俳優2人の共演ということで、普通の映画ではないだろうと思っていたが、案の定、一筋縄ではいかない作品だった。
鹿島亜佐美(伊東蒼)がとあるビルの屋上で絞殺されるが犯人は不明で、亜佐美と関係のあった数人が疑われる。
その容疑者たちを渡来映子(奈緒)が尋ね歩き、亜佐美の人物像を各人から問いただしていくというストーリー。
とはいえ、映子が亜佐美殺人事件の犯人を追うという展開にはならず、中盤で、映子こそが亜佐美を殺害した張本人であることが明かされる。
映子は激情に駆られて亜佐美を殺めたものの、亜佐美が結局はどのような心理状態に置かれていたのかが分からず、また、自分はなぜそのような行為に至ったのかという自分自身の心理すら推し量りかねて、事件の関係者につきまとっていたのである。
亜佐美は、周囲からみれば不幸のどん底にいた。
妻と別れる気のない職場の上司と不倫関係にあり、学生時代の先輩女性からはSNSを介して誹謗中傷を受け、恋人からはDV被害、子どものころから母親の虐待にもあっていたという絶望的な境遇。
だが、亜佐美は「わたしは幸せ」と楽しそうに映子に告げていた。
一体、亜佐美の真意はどこにあり、また映子は亜佐美の真意をどう読み取ったのか。
この点については作中で明示されず、読者の思索を促す仕組みになっている。
考えられる解釈としては、
①亜佐美は強じんな精神力の持ち主で、どんなに過酷な状況にあっても、生きていること自体に喜びを見いだせる人間で、心底から幸せを感じていた。
映子はそのように亜佐美の人物像をとらえ、無職で将来の見えない映子は亜佐美への嫉妬心から彼女を殺めた。
②亜佐美の「わたしは幸せ」という言葉は彼女の強がりにすぎず、亜佐美は自らの境遇に絶望していた。
映子はそのように亜佐美の人物像をとらえ、亜佐美を苦しみから解放するという慈悲心から彼女を殺めた。
といったところだが、他にも解釈の余地は残されているだろう。
このように明確な回答は示されないのであるが、脚本が練られているため、リドルストーリー的な結末が作品世界に奥行きをもたらしているように思えて、とても見ごたえがあり、一見の価値ある作品です。
なぜ何を問う
主人公は誰とも話が通じない。なぜそんな問いをするのか、わからないからという。わからせてもいないし、わかろうともしていない。自分の体験では大体途中でどちらかがもういいや、となる。本作の主人公に対しての感覚はそんな感じ。
それまでそんな考えを思いついてもいなかった彼女に、タイトルの言葉を投げかけたのは主人公だ。なぜあれだけの関係なのにそんな言葉を投げたのか。それは主人公の中から出た考えだ。主人公は、不幸であるべきなのに幸福だと言う彼女にいらだっていたのか?絶望なのか希望がないことなのか。ラストの涙は、何に気づいたからなのか。
出だしからの音楽と映像、舞台劇を思わせる河原のセット、地方都市の風景、奈緒の顔、いつもながら感心させる伊東蒼の演技、これらは素晴らしかったが、主人公への嫌悪感が先に立ってしまった。
追記
本作鑑賞後、池袋に移動して舞台「成瀬は天下を取りにいく」を鑑賞。こちらの舞台でも本作に続いて田畑智子が母親役。こちらではいいお母さんでした。
奈緒が演じた役柄をもっと深堀して描いてくれないと分からないよ。。
金髪ショートの奈緒主演。
彼女の映画を見た事がないなーと思って見にいってみた。
冒頭で殺された女の子の関係者に尋ね歩き聞き取りをする主人公の奈緒。
まぁ、聞き取りする人達は自分勝手な酷い人達ばかりなんだけど、聞き取りの最後に『死ねばいいのに』という言葉を言い放つ。
途中までは、てっきり、殺された女の子の別人格とかなのかと思ったら現実の人間だった。
終盤に犯人は分かるのだが、私はあまり納得は出来なかったかな。。
殺された女の子は酷い事をされているんだけど、超ポジティブで生きてる事に幸せを感じてる。
殺害の動機が、このメンタルに嫉妬したという事なんだろうけど。。
衝動殺人だとしても、奈緒が演じた役柄をもっと深堀して描いてくれないと、うまく飲み込めない。
笑顔がめっちゃ可愛い奈緒が、その笑顔をほぼ封印しての演技。
熱演だったんだろうけど、基本暗い内容だったし、奈緒を活かしきれてなかった印象。
変わった構成の映画でもあった。
草原の中に椅子があって、現実世界での話が突然に妄想の世界へ飛ぶ。
こういう演出って嫌いじゃないんですけど、やっぱり難しいんですね。
見ていて違和感を感じてしまった。
チャレンジは評価したいので、この監督さんには今後も頑張ってほしいと思った次第でした。
死ねばいいのに
なお自分で殺っちゃうもよう
序盤からああ言えばこう言う状態で相手にしなければいいのに
挑発に乗ってボロが出てつけ込まれる
見ててイライラ
途中から見るのも嫌で目をつむって聞いてたんだけど
それでもイライラ
犯人が分かってからマシになる
他人から見てしょうもない人生でも自分が幸せなら良くね
幸せなら死ねばいいのにってどゆこと
幸せを維持するためにがんばるんでしょ
家族のために生きてる人もいるしね
こんなしょうもない映画を見られてるだけで余裕があるという事です
弁護士はいい勝負したけど言い負かすほどじゃなかったな
誰かあの女を論破してほしい
伊東蒼素晴らしい。
映子(=A子 と (観客の目を)映す子 のダブルミーニング 演:奈緒)が周囲へのインタビュアー&亜佐美殺しの犯人 として活躍(?)する物語。
殺される亜佐美は私がひいきの、伊東蒼が演ってる。
インタビューで、亜佐美に関係していた人はみんな自分勝手なことを言い、
各々映子に「死ねばいいのに」と言われる。
亜佐美さんは本当に幸せだったのだろう。そして映子に殺してもらった。
実は自分も今幸せで満ち足りているから、今のうちに「死んだらいいのにな」と願うこともある。
自分の場合は糖尿病であることを知っていながら、20年放置しておいてやりたい放題やって、脳梗塞を起こし、仕事もセミリタイアした。
脳梗塞は幸い後遺症を残さなかったが、目がやばい。糖尿病性網膜症になってレーザー手術をもう30回以上受け、そろそろ硝子体もやばくなってる。失明して周りに多大な迷惑をかける前に、今もう死んだらいいのにな、と本当に時々思う(でも自殺する勇気はない)。
インタビューの中で核心に触れたときは、草原にトリップする様子が面白かった。
最後の、
伊東蒼の笑顔と
涙を浮かべた奈緒の
顔のアップが素晴らしかった。
あと、This is Last
の歌うエンディング曲
「アイリス」も映画で言いたいことをズバリ伝えてて
良かった!!!
(亜沙美は、原型もなくなるほど刺されて死んだわけでなく、微笑みながら首を絞められて静かに死んでいたが)
【”そんなに不幸せなら死ねばいいのに・・。そんなに幸せなら死ねばいいのに・・。”今作は人間の心の中に潜む闇と、不可思議な人間の心模様の変遷をアーティスティックに描いたサスペンスミステリーである。】
ー 今作の原作は、ご存じの通り京極夏彦氏である。
人間の心の闇を描いた「姑獲鳥の夏」で衝撃のデビューをし、その後も軽く1000ページを超える「魍魎の匣」「絡新婦の理」比較的薄い「嗤う伊右衛門」で大ヒットを飛ばし続ける、手には皮手袋、イケメン長髪の異色の小説家である。
私は、ハッキリ言ってファンであるが、あんなに長い小説はもう読めないなあ・・。
今作品も、インパクトあり過ぎなタイトルである。(原作も。)-
■粗筋(原作とは、設定が少し違うが。)
或る日、ビルの屋上で派遣社員の女(伊東蒼)の絞殺死体が見つかる。
そこへ、謎の金髪女(奈緒)が現れ、妻子がいながら女と関係した上司の部長(前原滉)を問い詰め、女の高校の女性先輩で彼女の隣の部屋に住んでいたSNSで派遣社員の女の誹謗中傷を書き込んでいた女を問い詰め、彼女に暴力を振るっていた恋人を問い詰めていくのである。
そして、話を聞き終わった後に、そいつらの顔をじっと見つめ、氷の様に冷たく”そんなに不幸せなら死ねばいいのに・・。”と言い放つのである。
◆感想<caution!内容に触れています。>
・作品の作りがアーティスティックである。意図的であろう。
女が愚かしき人間達を問い詰めるシーンは街中から、暗い草叢に移ったりしながら、展開していくのである。
そして、女は彼らを問い詰めながら、最後に相手の眼をじっと見て””そんなに不幸せなら死ねばいいのに・・。”と言い放つのである。
この女が3人を問い詰めるシーンからは
1.上司の部長・・・”警察に色々と取り調べられ、その為に仕事もたまり大変なんだ。”と言いつつ、女が言うようにこの男は、派遣の女のことなど全く気にかけていないのである・
2.女の高校の女性先輩・・・派遣の女の過去のまともに映っていない写真を態々、ネットに上げ、罵詈雑言を書き込んでいる。世の中に対する屈託の塊である。
3.女の恋人・・・恋人でありながら、平気で暴力を振るいつつ、こいつも自分の事しか考えていないのである。
・・・という事が分かるのである。
・だが、その後、物語はもっと嫌な展開になっていくのである。
女は派遣社員の女と生前に知り合いになっており、派遣社員の女は酷い境遇にありながらも、笑顔で”幸せなの。”と言うのである。母親(田畑智子)からも捨てられているのに・・。
それを聞いた女は、派遣社員の女を見つめ、ビルの屋上で彼女を絞殺するのである。
その後、女は派遣社員の女のパソコンの中の日記や、高校の先輩の誹謗中傷のコメントを削除していくのである。まるで、彼女自身が存在しなかったように。
■途中から分かって来るのであるが、金髪の女には友人らしい人物は誰一人いないのである。彼女を弁護する弁護士も、彼女の犯行動機は分からないのである。
だが、収監された金髪の女は、面会した弁護士に対し、笑いながらも、涙を流しながら”死刑にしてください。”と言うのである。
<今作は人間の心の闇の中に居る、魑魅魍魎が跋扈する様をアーティスティックに描いたサスペンスミステリーなのである。>
本人が幸せって言ってんだからそれでいいじゃん
とにかく主人公を含めた全ての登場人物に感情移入ができない映画でした
主人公(奈緒)は自分が殺した亜佐美を不幸に陥れてた連中にひたすら詰め寄るけど、なぜそんな事をするのか、理由がよく分からない。「死ねばいいのに」連発もシンプルにひどくない?って思ってしまう…
まずあのやり取りでなぜ首を絞めた?屋上の会話であまり感情が大きく動くようなやり取りなかったし…亜佐美宅で聞いた話が相当ショッキングだったのに幸せ宣言したからだと思うけど、彼女の不幸描写が少ないので観客に伝わってこない。。。
あと定期的に出てくる草原がなんなのかよく分からず、特に説明がないのでゆかりの地なのかどうかも不明…
弁護士の人は過去の経験から本件に思い入れがあるん(加害者も被害者なんだ!的な思想強め)だけど、トラックの死亡事故と本件あんまりリンクしなくない?こっちは割と猟奇的な殺人事件では??
斬新な作りにしたかったのは分かるけど、亜佐美主軸でもっと深掘りすれば感情移入できたのでは?
役者さん達の演技がいいだけに残念…
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