「変われない子はいない?」四月の余白 うすたらさんの映画レビュー(感想・評価)
変われない子はいない?
他人の痛みが理解できない子どもを、言葉だけで変えることは可能なのか。それが難しいときに、力づくで従わせることは許されるのか──その問いを真正面から扱った映画です。
予告編もやっていなかったし,どこの映画館にもフライヤーがおいていなかったので,観に行く気はなかったのですが,『キネマ旬報7月号』に記事が載っていて,また評論家からも評価され,映画.comでのレヴューも評価が4.1と高かったので,観ることにしました.
他人の痛みにまで気が回らない思春期の子供に対して,言葉によって理解させることが難しいとき,暴力を使うことは肯定されるのか?これは本当に難しい問題だと思います.
映画の中で,一ノ瀬ワタル演じる主人公の西健吾が更生施設「みらいの里」の方針について講演するシーンがありました.「ある程度の暴力は必要だ」とした西健吾に対して,「この人は教育について素人だから」と訳知り顔で話す教育関係者がいましたが,現場で子供と向き合っている人に理想論は通じないでしょう.ではどうすればよいとあなたは思うのですか?とその人に聞きたくなりました.
「ひとは誰もが変われる」という言明は,「すべてのひと」について確認できないので証明はできないし,「変われなかった」という事例が見つかっても、「環境が違えば変われたかもしれない」とか「教育方法が違えば変われたかもしれない」と言われれば、反証もできません。
映画の後半で,傷つけられたもの同士が,そして傷を負わせたもの同士が語り合う場面がありましたが,そこに至るまでの心理描写がすごくよかったです.篠原篤演じる澤洋平は,確実に変わろうとしていました.上坂隼人演じる澤海斗も,少し変わり始めていることが感じられました.この子,繊細な演技が素晴らしいです.
映画の中で,西健吾と澤海斗が,鶏小屋をつくるシーンがありました.これがヒントになるような気がします.時間をかけて,試行錯誤しながらモノを作ること.この場面こそが,この映画が提示する一つの答えなのかと思いました.試行錯誤しながら一つのものを作る営みでは,思い通りにならない状況を受け入れ,すぐには答えを出さずに考え続ける姿勢が求められます.その経験が,曖昧さや不確実さに耐える力,すなわちネガティヴ・ケイパビリティを育むのです.
ネガティヴ・ケイパビリティは,「共感力」を育む源になると言われています.ホモ・サピエンスの特徴は「他人と協働する能力だ」とユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』にも出ています.そのために欠かせないのが「共感」だと思っています.
この映画のパンフレットで,ヤンキー先生の義家弘介氏が,この20年の子供たちの中の「ある変化」について言及しています.「反社会性」ではなく,「非社会性」を感じるというのです.社会と対峙し,それに反抗するのではなく,社会そのものを自分とは関係のないものとして捉えているということを言っていると理解しました.
社会とのかかわりあいを拒否する現代のニヒリズム,テクノ資本主義,力の強いものが正義の風潮,それらはすべて繋がっているような気がしています.なんでもすぐに結果を求め,タイパを重視する風潮とも.
私にとって𠮷田恵輔監督の『四月の余白』は、「暴力は許されるのか」という問いから,「人はどうすれば他者の痛みを理解できるようになるのか」という問いにつながり,さらに「ひとに共感できるようになるにはどうすればよいか」を経て,ネガティヴ・ケイパビリティを育むものつくりにまでつながる,そんな作品でした.
