名無しのレビュー・感想・評価
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評価が低いことが評価されていると感じる作品
名前がついた途端、無機質な物体にも命が宿ったように感じたり、愛着や個としての存在感が増すのはなぜだろう。
名前は親から1番最初のもらう贈り物だという。
そう考えると「名前」とは単なる呼び名ではなく、その人の存在を認め、愛情を注ぐ行為そのものなのかもしれない。
名前をもらえず、名前を知った瞬間にその命を消せてしまう能力を持って生まれた佐藤二郎さん演じる山田太郎。
彼の孤独や絶望は、私には想像もできない。
この作品を観て、「名前」があるということは、この世界に存在を認めてもらえた証のひとつであり、とても特別なものなのだと改めて感じた。
主演・原作・脚本を務めたのは佐藤二郎さん。
昨年の爆弾での評価もあり、興味を惹かれる人も多いだろう。
確かに、無差別殺人の犯人役ということもあり『爆弾』との共通点も少なくない。
しかし、この山田太郎は『爆弾』のタゴサクとは全く異なる人物だ。
タゴサクが言葉で相手を追い詰める知性を持った存在だとすれば、山田太郎はどこか精神的に幼く、言葉よりも表情で感情を露わにする。理性ではなく怒りや衝動で動く人間だ。
番組のインタビューで、佐藤さんが「この作品でとことん絶望を描きたかった」と語っていた。
確かに絶望だ。
摩訶不思議な能力を得て生まれたことで、真っ当には生きられない主人公は、不幸なんだと思う。
知恵がないから短絡な思考になるし、人とのコミュニケーションもうまくとれない。
そして佐藤さん自身が強迫性障害を抱えながら生きていることを思うと、この作品には「普通」や「当たり前」を持てない人間の視点が重ねられているようにも感じた。
周囲と同じように生きられない苦しさ。
理解されない孤独。
存在そのものを否定される絶望。
山田太郎の行動を肯定することはできないが、その根底にある孤独だけは痛いほど伝わってくる。
しかし、だからと言って彼がしてきたことはクズであり、到底許容も同情もできない。
だから私は、この作品の評価が決して高くないことに少し安心した。
この作品は、評価が低いことが一周回って評価されているような、不思議な立ち位置にいる作品だと思う。
もしこの作品を観て、山田太郎に共感したり、彼の行動を肯定したりする人が大勢いたとしたら、それこそ恐ろしい。
孤独は理解できる。
絶望も伝わる。
けれど、受け入れてはいけないものまで受け入れてしまってはいけない。
だからこそ、この作品の低評価にはある種の健全さを感じた。
『名無し』は、犯人に共感するための映画ではない。
名前を持つことの意味。
この世界で存在を認められることの尊さ。
そして、人が抱えるどうしようもない絶望。
それらを静かに見つめるための作品だった。
黒沢清監督等の平成ホラーに似た懐かしさ。右手の設定は中途半端か
佐藤二朗が書いた脚本で、自ら映画化のため売り込むも難航するうち先に漫画化が決まり、遅れて映画化が実現したという経緯の作品。感情が見えにくいキャラクターが淡々と人を殺していく感じは、黒沢清監督の「CURE」(1997)や三池崇史監督の「殺し屋1」(2001)など、元号でいえば平成中期頃のJホラーに似た懐かしい趣を感じた。
佐藤演じる連続殺人犯の右手に特殊な能力があり、それがストーリーを牽引する。資料には「右手の三原則」と説明されていて、第1の触れたものが見えなくなる、第2の命あるものに触れると死ぬ、は本編を観ていれば容易にわかる。ただし第3の「名前を知らなければ効かない(助かりたければ決して名乗るな)」は、本編だけだとわかりづらいし、そもそも名前を知らない相手でも見えない凶器で殺すのだから、中途半端な設定に思える。終盤で第3の設定を知っていればなるほどと合点がいくシーンもあるが、気づかなくても特に問題ない。
佐藤二朗の怪演は見ものだが、主人公がやることは近くに居合わせた罪なき人々への無差別殺傷で、幼くして遺棄された過去や右手の特殊能力が効果的に活かされたとは言い難い。たとえばこれが、女性を食い物にする悪徳政治家だとか、身寄りのない子を人身売買する反社の幹部とか、貧困ビジネスを仕切る経営者といった連中を次々に抹殺していくダークヒーローの話だったら、社会悪にリベンジするカタルシスや共感度が加わったのではと想像する。
もっとも、そんな単純なリベンジではなく、理不尽で圧倒的な暴力そのものを描きたかったのかもしれないし、この寓話風のストーリーをどう受け止めるかは観る人にゆだねられているのだろう。
〜 こちらは残忍 〜
少し前に、爆弾の怪演が記憶に新しい佐藤二朗。この作品は観てから気がついたが、何と彼自身が原作者。もはやマルチな才能という言葉では説明できないような存在。
で、爆弾のようなサスペンス系の話かなって先入観で観たが、結構こちらは残忍。救いが感じられない。
残忍系がダメな方は、観るのはちょっと気をつけたほうがよいかも。面白いとか感動とかって路線にはまずない。ただ、常人には理解されない不可思議なギフトを持って生まれた者の苦悩、それに関わる人々の人間模様、巻き込まれた人達の不幸、何かほんとに救われない。因果応報的な展開はよくできてるなとは思ったが。かなり好みが分かれる。
謎が謎のまま話が展開していくところは気にしないほうがいいのかも。
いちおう観といて良かったかな、!??
マジックハンド
真昼間の喫茶店で連続殺人事件が発生した。防犯カメラには、犯人と思われる坊主頭の中年男が映っていたが、男の手には凶器はなかった。男が右手を動かしただけで人が血を吹き出して倒れるという異様な光景が記録されていた。捜査を進める中で、坊主頭の男が11年前に万引きの疑いで調書を取られた山田太郎と同一人物であることを突き止めた。山田の自宅に急行した捜査員が目にしたものは、腐敗した女性の遺体だった。さらに、連続殺人事件は続き・・・そんな話。
右手で触ると生きてる者は死に、物は消える、というファンタジーなのか?
中年男が、自分の子供を楽しみにしてたのに、花子にその楽しみを奪われて狂った、ということなのだろうが、非常にわかりにうい。
あの子供の山田太郎と大人の山田太郎(佐藤二郎)は同一人物だと思ってたが、ラストはどういうこと?
国枝は死んだ警官の子供という設定?
よくわからなかったが、そこそこ面白かった。
山田太郎役の佐藤二郎は歯並びの悪さが際立っていて、相変わらずの気持ち悪さだった。
悪いことなどない
「爆弾」以来軽く佐藤依存症。
まあ、ヤヴァイ方の佐藤演技ですね。あくまでも。
で、そのヤヴァイ方の映画がまたリリースされるという。
次の休みにでも行くか、レヴューなど眺めていたら賛否両論。
「マズイ」と急いでシネコンに向かった。
今日この頃、動員がちょっとでも微妙な作品は即終映になってしまい、見逃してしまうと配信を待たなくちゃいけないってことになるのだ。
のんびり出来ないなあ。
山田が、まあ殺しまくる。
右手が上下左右に振れる度に、ズバズバ血しぶきがあがって阿鼻叫喚。
女性だろうが子どもだろうが容赦なく、まして爺様になんて情けをかけてくれるわけもなく死体の山である。
血塗れの現場に仁王立ちした山田氏がニマッと笑う。
これ本当に演技?まじめに楽しんでない、とか思って佐藤二朗様のアップだけで90分見てしまった。
ただし映画とみると、物語として完成していないのではないかという点がままある。
子ども時代を省いて「キュア」風に正体不明の殺人鬼でいいんじゃないか、もっと刑事さん視点で「羊たちの沈黙」系に盛り上げてもよかったのではないか、社会の方に問題を押し込んだら「ジョーカー」や「アメリカンサイコ」行けたんじゃないか、殺しまくりじゃなく、ボディカウントをもっとしつこく描けばジェイソン行けたか、といろいろ考えたけど、これでいいやと思った。
フィクションの中の殺人と現実のそれは別物である。
もちろん殺される側の事情を描き込めば、本物の死に近づくが、「名無し」にはその意思はないようだ。シルベスタスローンのようにかっこよく殺人するわけでもない。
「名無し」の殺人は「禁忌」であり、やってはいけないことの象徴だろと勝手に解釈。
決まり事に囚われすぎる人が一定数世の中にいて、
そういう人には辛い時代かもしれない。
世の中、訳も分からず守らなきゃいけないルールが多くなりすぎたのだ。
私もその傾向ある人なので、やってはいけないことが淡々と果たされていくたび、不謹慎ながらホッとしたりする。ああ、これは現実ではないのだ。
佐藤二朗氏もそういう子供時代を送ったとどこかで語っていたそうだ。
となると、この映画で一番救われたのは脚本家兼主演男優かも知れない。
作家の苦悩を映像化したという意味でアートムービーといってもいい。
もう少しミステリー要素があるのかと思いきや、サイコ要素多めの血と死...
もう少しミステリー要素があるのかと思いきや、サイコ要素多めの血と死体だらけの映画だった。佐々木蔵之介の役だけは過去との繋がりを見せるストーリーがあるけど、ほぼ無理な世界だった。
爆弾での佐藤二朗さんの演技が素晴らしかったからチト残念ではある。
名無しとは何者だったのか。
正直、一切の感情移入ができませんでした。
ただ「何を伝えたいのだろう」とひたすら考察をして鑑賞していました。
内容は楽しいものでは決してないし、心が温まる展開はまずないです。スプラッタが苦手なら見ないほうがいいです。
しかしながら、自分は自分なりに考えることができたし、感じることが多い映画でした。
冒頭のショッキングなシーンからはじまって、その動機や起因を過去と現代で追いかけていくような構成なんだろうと思いながら物語を消化していましたが、明確で具体的なセリフはほぼなく、ざっくりとした事象ばかり描写されていきます。
そもそも「名無し(山田太郎)」が主人公にも関わらず、大した個性らしい個性もなく、知的に遅れがあるが特異な能力を持っているという「設定」が歩いているだけの人物描写で、彼の背景がほとんど見えずかなり不気味です。
これについてはおそらく意図的に感情移入ができないようにしてあるんだと思いました。
なので、ただの猟奇的殺人鬼の一生にも見えるし、虐げられた社会的弱者の復讐のようにも見えたので、鑑賞途中で「なにが人間社会への絶望へのトリガーになったのか?」と展開を予想していたんですが、いよいよ、そこに至る動機や経緯が明かされると、劇中セリフにもある「ただの◯◯だ」と言わざるえない主人公に、当たり前に同情できず、挙げ句その動機すら主人公の先走りだったんじゃないか?と解釈できるオチが待っていて「さすがに救いがなさすぎる、これを観せてどういう感情を生み出したいんだろうか」と考えながらエンドロールの音楽を聴いていました。
私なりには、
昨今の「あまりに自分勝手で短絡的かつ非道で残虐な事件ばかりの現代社会への風刺」と捉えれば、山田太郎という匿名(=名無し)にも近い存在が、凶器が見えない狂気を繰り返してもいてもほとんど誰にも知られないままに、野放しされていたという、ある種のファンタジー的な展開にも意図があるように感じました。
名無しは無害でいようとしたけど無敵の人になってしまった哀れな人にも見えます。
自分の境遇を悲観するだけで、努力もせずに他責を繰り返す利己的なクズにも見えます。
同じ空を見ていても、そうならなかった人がいる以上、たとえケーキを切れない非行少年だろうが、やってはいけない行為に手を染めた時点で同情の余地はありません。
もしも山田太郎に共感できた人がいたなら、きっとお疲れなので、すぐに精神カウンセラーに相談をしたほうがいいです。
もしも名無しが掴んだのが救いの手だったとしたら、
人生甘えてんじゃねえと言いたくなる話でした。
出演者さんたちの演技がみどころ!!
誰にでも夢をもつ権利がある、その夢が知らぬ間に壊されていたら…
この映画では、右手の力になった理由は語られていない。
この映画は、シリアルキラーがテーマの本質ではない。
この映画は、犯人逮捕の刑事ドラマのはずがない。
この映画は、佐藤二郎の凶演を見るためのものだろう。
どう解釈するのか、は自由であるが。
無差別殺人をする現代と、幼い頃の時代が語られる。
幼い頃は自身の力は理解しているが、表に出ないように堪える。(本当は他人だが)妹がそばにいるから。それでもたまには出てしまう。知らなければ良いが、名前を知ると動物は白目になって死んでしまう。
それでも今まで二人は生きてきた。
でもなぜ、今サイコが目覚めてしまったのか。
他人に決して見せてはならない力、不自由な生活しかできない。(他人だが)妹との間に生まれた命。死産だったのか、もうすぐ10歳の誕生日。しかし知ったしまった事実。妹が隠していた事実。
唯一の夢だったものが、今が破れる。
しかし、さらに違う事実もあった。
児童養護施設。
ラストの担架に乗せれれた名無しと子供との握手。
右手に銃弾を受けていた。
助かった子も運命(さだめ)には逆らえないのだろう。
天使の悪魔
特殊な右手
佐藤二朗の右手の特殊能力触ると物が消えたり生き物は死んでしまったりが分かりずらかった。
最後までMEGUMIの立ち位置が分からなかったし能力あるのかと思いきや普通の人だった。
あんなにお腹膨らんでたら中絶は無理ですよ(>_<)
何処かで産んだのでしょうその子も特殊能力あるという設定。
子役達はミステリアスで良かった(^.^)
丸山隆平も助けてくれたけど事故で亡くなってしまうし残された子供可哀想。
佐々木蔵之介のキレてる演技も浮いてる感じがしたここまではいないでしょ。
佐藤二朗脚本見えない武器で殺していくのは武器を薄くして映すだったら分かりやすかったかな?
佐藤二朗のアップがやたら多くて江面的に汚い(失礼)爆弾の時より数倍多かった。
爆弾も犯人役だったけど←の方が面白かった
ハリネズミのジレンマ
先に鑑賞した知人の低評価を聞いて、さほど期待せずに鑑賞。
もしこういう特殊能力を持って生まれたら、確かに悲惨だろう。
古典的なハリネズミのジレンマ。
その主人公の苦しみ→ささやかな希望→絶望→救済という流れは話として成立している。
なので、決してつまらない映画ではなかった。
ただこの脚本、現実に存在する何がしかのテーマを表現するためのメタファーとしての悲劇ではなく、ただ悲劇的なキャラを作るための悲劇に感じられてしまった。
その点がやや浅い。
悲劇から無差別大量殺人に向かうのも、やや飛躍しすぎに感じられる。
あの子供が大人になったのがこの人物って設定も、もしかして?って気になるほどには伏線が足りず、うん、あーやっぱりね、止まり。
例えば過去シーンはよく見ると数十年前と分かる小道具を配置するとか、もう少しディテールに細かい気配りがあると、話が全て繋がったときのカタルシスがもっと大きくなったと思う。
色々と惜しい。
神の左手悪魔の右手
その男が右手で触れたものは見えなくなる。ものならそれだけだが、命あるものは、触れたものの名を知っていると殺してしまう。
人は、親しくなると名前を知りたくなる、あるいはつけたくなる。そして触れ合いたくなる。普通の人間は名を知らない者、親しくない者は殺せるが、名を知っていたり親しいと殺しにくくなる。その意味で、この男は普通の人間とは真逆の運命を押し付けられている。親しくなると名を知ってしまい、触れると殺してしまうので、親しくなることも触れることもできない。親しくなればなるほど、決して触れられない。常に相手の名を知ることに怯え続けなければならない。生涯の孤独を宿命づけられた男である。
どこからきたかもわからず、誰から生まれたかもわからず、名もない。仮に太郎と言う名をもらうが、それが彼の名であったことはない。なぜか、「きょうだいのような、きょうだいでないような」花子(これも便宜上つけられた名前)と一緒にいるが、花子はたぶん、彼の最も親しい理解者だっただろう。だが、花子に名が与えられたときから、彼は花子に一生、本当に触れる事ができないことを宿命づけられた。
「いつか、誰かと繋がれる。本当に触れ合うことができる」という希望を信じ、男は羊のようにおとなしく生きていた。だが、あることをきっかけに、彼は絶望する。絶望したあとは、神を憎む言葉を吐き、通り魔となって人を殺し続ける。ほとんどセリフを発さない、話すことができないのではないかと思うほどの男だから、このセリフは重い。(ただし、ある理由から子どもに強い愛着を持つ彼は、子どもだけは劇中で一人も殺していない。最後のシーンで、最初は狙っていたであろう人物を殺さなかったのは、周りに子どもがたくさんいて弾が当たりそうだったからだろう)
だが、たったひとつ、彼を救う方法があった。ラストはその現れだろう。彼は救われたが、物語は終わらない。
この男の右手は明らかに才能であり、たぶん、上手く使えば世界で指折りの殺し屋になれるし、運び屋になれる。見つからずにどこへでも凶器を持ち込めて、名前を調べて触れるだけで誰でも殺す事ができ、しかも原因がわからないのだから、殺し屋にぴったりだ。どこへでもものを持ち込めることは、運び屋にもぴったり。むろん、万引のシーンでも分かるように、持ち出したものが消えるのだから、何なら大泥棒にもなれる。それだけの凄い才能なのだが、彼は利用しようとしない。彼生来の性格のためか、この宿命の意味を理解していたからか。
通り魔をどんどんするところに、意味のわからなさを感じる人も多いかもしれない。しかし、孤独で孤独でさみしくて苦しみ抜くことが何年も続くと、人はそうなることもあると思う。世界のすべてが敵になってしまうのだ。
でも、あの殺人や傷害の数々は、彼が世界、そして神様に向かって「俺を見つけてくれ、そして本当に殺してくれ」と叫んでいるように見えた。
いろいろと思うところのある作品で良かったと思う。「爆弾」とは無関係である。
B26022 あーっと馬場の顔面にフリッツフォンエリックの鉄の爪が迫る!喰らえば最後だ!
2026年公開
「爆弾」でも述べましたが
佐藤二郎だとそらこれくらいいくやろ、という感が先に立って
映画の出来に高い点付けられないんだよな。
それでもやっぱり凄い!
超能力者がサイコだとこんな感じになるのね。
佐々木蔵之介いい感じ
マルちゃん、主役でもないけど平凡感素晴らしい
ただ90分に満たない上映時間なのだから
もう少し超能力を身につけた経緯とか
みなしごになるまでの物語とか足せなかったのかね
脚本をもう少し膨らましてほしかったけど
これはこれで中身が詰まって良かったのかな
70点
鑑賞 2026年6月9日 ユナイテッドシネマ大津
パンフ購入 ¥990
配給 キノフイルム
我思う、しかし我無し
不気味
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