劇場公開日 2026年5月22日

「黒沢清監督等の平成ホラーに似た懐かしさ。右手の設定は中途半端か」名無し 高森郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 黒沢清監督等の平成ホラーに似た懐かしさ。右手の設定は中途半端か

2026年5月24日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

怖い

佐藤二朗が書いた脚本で、自ら映画化のため売り込むも難航するうち先に漫画化が決まり、遅れて映画化が実現したという経緯の作品。感情が見えにくいキャラクターが淡々と人を殺していく感じは、黒沢清監督の「CURE」(1997)や三池崇史監督の「殺し屋1」(2001)など、元号でいえば平成中期頃のJホラーに似た懐かしい趣を感じた。

佐藤演じる連続殺人犯の右手に特殊な能力があり、それがストーリーを牽引する。資料には「右手の三原則」と説明されていて、第1の触れたものが見えなくなる、第2の命あるものに触れると死ぬ、は本編を観ていれば容易にわかる。ただし第3の「名前を知らなければ効かない(助かりたければ決して名乗るな)」は、本編だけだとわかりづらいし、そもそも名前を知らない相手でも見えない凶器で殺すのだから、中途半端な設定に思える。終盤で第3の設定を知っていればなるほどと合点がいくシーンもあるが、気づかなくても特に問題ない。

佐藤二朗の怪演は見ものだが、主人公がやることは近くに居合わせた罪なき人々への無差別殺傷で、幼くして遺棄された過去や右手の特殊能力が効果的に活かされたとは言い難い。たとえばこれが、女性を食い物にする悪徳政治家だとか、身寄りのない子を人身売買する反社の幹部とか、貧困ビジネスを仕切る経営者といった連中を次々に抹殺していくダークヒーローの話だったら、社会悪にリベンジするカタルシスや共感度が加わったのではと想像する。

もっとも、そんな単純なリベンジではなく、理不尽で圧倒的な暴力そのものを描きたかったのかもしれないし、この寓話風のストーリーをどう受け止めるかは観る人にゆだねられているのだろう。

高森郁哉