箱の中の羊のレビュー・感想・評価
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なるほど確かに、ラストは“想像を超えた未来”ではあった。
楽しみにしていた映画。人気の是枝監督の作品。
大好きな綾瀬はるかちゃんに、なんと千鳥の大悟さん出演というサプライズ!!
これはもう、鑑賞するしかない。
前半、うんうん、監督が大悟さんを選んだ理由がなんとなく理解できる。
綾瀬はるかちゃんとの夫婦役も、違和感なく自然でいい感じ。
長澤まさみちゃん主演の「ドールハウス」とは少し違うけれども、ヒューマノイド(AI)で喪失を埋める系の映画なのかな〜と、単純に予想して観ていた。
終始、翔に懐疑的な立場をとっている健介(大悟)と翔に希望を見出しつつも、
母親との確執から愛しきれずにいる音々(綾瀬はるか)の対比が面白いし見ごたえはあった。
ただ、中盤から後半にかけての展開は、少し唐突というか……正直、私には難しかった。
この映画を観て、
私の胸の中に何が残ったか?
ええっ?ええっ⁈ええっ???😳
そういう終わりなのーーー😱
まって~(素直な心の叫び)
なるほど確かに、
ラストは“想像を超えた未来”ではあった。
でも監督、すみません……。
私には、少し高尚すぎました。
まずは『星の王子さま』から読み直します🫡
追伸 ~見どころを添えて~
・「たまごっちかよ」「ルンバかよ」の大悟さんのセリフの切れ味⚔️神
・綾瀬はるかちゃん夢のひざ枕でヘッドシャンプーをしてもらう大悟さん👼役得
・綾瀬はるかちゃんの透明感よ✨永遠に😘
人間は結局、自分の見たいもので物事を見てしまう生き物なのかもしれない。
是枝監督がインタビューで、「中国で実際に存在する死者をAIで再現するサービス」を知ったことが、『箱の中の羊』の発想の出発点だったと語っていた。
生きている人間が、死者の存在を自分たちの都合で操作していいのか。
喪失を受け入れるとは何か。
その問いに対する監督なりの答えは、この作品に詰め込まれていると感じられた。
ヒューマノイドとして死者が蘇ったとしても、結局そこに投影して見ているのは、自分の中のその人であって、その人自身ではない。
少なくとも私には、それは現実を受け止めるのではなく、どこかその人の死から目を背けているようにも感じられた。
ただどうも直近で同じように、子供を失った両親の喪失を描いた『ハムネット』を観てしまったがために、比べてしまう。
個人的には『ハムネット』の方が、喪失の受け止め方から、再生への流れの説得力や、納得感が素晴らしいと感じた。
こちらはどうも全体的に薄味で、物語の展開も唐突だったり、説得力が物足りなく感じた。
一方で、今回大悟の演技を観たくて見に行ったところもあったのだが、その点に関しては大満足だった。
芸人さんが演技をすると、どうもバラエティで見せる姿が頭にちらついて集中できないことがある。
しかし本作では、是枝監督があえて大悟らしさを消さず、あの方言や話し方をそのまま作品に落とし込んでいた。
その自然さがむしろ役柄に説得力を与え、最後までノイズを感じることはなく観ることができた。
『箱の中の羊』はAIやヒューマノイドを描いた作品ではあるけれど、本質的には「人は喪失とどう向き合うのか」を問い続ける物語だと思う。
そして、その問いに対する答えは一つではない。
まるで、箱の中の羊の姿が人それぞれ違って見えるように、この作品もまた、観る人によって受け取り方が変わる作品なのだろう。
自我に目覚めれば目覚めるほど、息子からは遠ざかる
息子を誘拐事件で失った夫婦が、息子そっくりのヒューマノイドを向かい入れることで起きるざわめきを掬い取ろうとした作品。そのざわめきが多方面に渡っているので、主題が何かをつかみにくいのだが、今後社会で起きうる題材に挑んだ是枝監督の意欲はよくわかる。
息子と同じ概観で反応も息子そのものAIに、息子同様の愛情を感じることはできるのか、という問いに半ばイエスで半ばノーという回答を示しつつ、ロボットの反乱というわけではないがGPSを自発的に外して、人間のいないところで暮らそうという自我に目覚めていく展開が深まるにつれ、夫婦はその自立を見送るという決断をくだす。子どもの親離れとは少し違う、AIが自我に目覚めれば目覚めるほどに、やっぱりこの子は息子とは違うという感覚になっていったのはわかる。
気になるのは、綾瀬はるか演じる妻の妹は養子を迎え入れたということ。このくだりとヒューマノイドを息子として迎え入れた夫婦を対比させて、どう受け止めればいいのか戸惑った。
実は猫の存在も気になった。近年、子どもを持たずにペットに愛情を注ぐ人は多くなっているが、愛玩動物もまた子どもの代替品であるというような部分もある。それと対比させるような描写は特にないのだが、どうして猫をある程度フィーチャーするような脚本にしたのかは気になる。
愛情とはそもそもなんだろうか。愛情に根拠も条件もなく、血がつながっていなくてもいいし、人間同士じゃなくてもいいとすればロボットが対象でもいいだろう。しかし、結局はヒューマノイドの両親には主人公たちはなれなかった。死んだ息子の代わりではなく、一人の自立した対象として愛情を注ぐ対象として見られる日はこないのだろうか。
“時代遅れ”か、“時を超える真理”か
是枝裕和監督(兼脚本)は「死者をAIとして蘇らせるビジネスが中国で人気という記事を目にしたこと」が本作を着想する大きなきっかけになったとし、また「もともと『フランケンシュタイン』が好きだった」とも語っている。死者をAIで蘇らせる話としては、平野啓一郎原作・石井裕也監督「本心」(2024)が記憶に新しく、あちらはVRゴーグル越しに見る仮想空間に故人を生成するという設定が2020年代の現状により近い印象を受けた。
一方で1818年に発表された「フランケンシュタイン」に端を発する主題は、人間そっくりの人工物を作れるほど科学技術が進歩したとき、それに魂を吹き込むことはできるのか、人と同じ心や自由意志まで宿すことはあるのかという問い。また、そうした思考実験を経て、そもそも人の心とは何か、人間を人間として定義する要件は何かという哲学的な思索を促す難題でもある。こうしたテーマはSF映画でもたびたび登場し、主だったところではリドリー・スコット監督「ブレード・ランナー」、スティーブン・スピルバーグ監督「A.I.」、コゴナダ監督「アフター・ヤン」などが挙げられる。
映画「箱の中の羊」ではほかに、サン=テグジュペリが1943年に発表した小説「星の王子さま」への言及がある。語り手が王子に箱の絵を描き、君の欲しい羊はこの箱の中にいると告げたら王子が喜んだというエピソードで、映画のタイトルもこれから取られている。映画の文脈においても複数の解釈が可能だが、喜びや幸せはその人の心のあり方次第、と考えるなら先述の人の心とは何かという問いとも関わってくる。
これらの問いが時代を超えてさまざまな作品で手を変え品を変え語られてきたのは、決して正解の出ない永遠の問いだからでもある。劇中の建築設計についてのエピソードで、デザインの試行錯誤を重ねる、その過程こそが大事という話もあった。ただこの手の話は、コスパ、タイパ、生産性が重視されるこのご時世、とくに若い世代には“時代遅れ”と受け止められるのかもしれない。
いやいや、そういう答えが簡単に出ない問題をじっくり考えること、向き合うことも人生には大切、それが普遍の真理なんだからと肯定的に思えるなら、映画の内容も腑に落ちるだろうか。
是枝監督作としては前作の「怪物」がすごく良かったので、期待値を上げすぎたかもしれない。原作漫画・アニメーション映画ともに最高だった「ルックバック」の実写映画化も今年公開予定だそうで、こちらも大いに期待。
不思議なタイトルが投げかけるもの
過去にも是枝作品は様々な形式で、誰かの不在や喪失を浮き彫りにしながら「家族とは何か」を問い続けてきた。そこに近未来要素を加えた本作は、少年の形をしたヒューマノイドが夫妻の心を埋め、ゆっくりと気づきをもたらす。非人間的な存在が核になる意味では『空気人形』(09)に通じるが、どこか謎めいた響きを併せ持つタイトルは、人であれ、技術であれ、外から窺い知れない部分にこそ本質があることを提示しているかのようだ。中は見えない。だからこそしっかりと想像し、心を重ねる。その意味でも「箱」は本作の象徴であり、荷物の運搬から、暮らしを包む建築設計という仕事、ヒューマノイド、そしてこの映画の存在もまた観客へ思いを届ける一番外枠の箱、なのだろう。決してすべてを詳らかにはしないし、要点がはっきりしないと感じる人もいるかも。しかし、世の中の価値観が変わりつつある時代、ふと立ち止まって足下を見つめさせてくれるのは確かだ。
おのぞみではない結末(★2.8)<追記あり>
◎内容は、ざっとこんな感じです。
・AI搭載のヒューマノイドは、亡くした家族の代わりになり得るのか
・異質なものへの不寛容さ。共存
・人は自分の見たいように見る
・自立すること。前に進むこと
綾瀬さんと大悟さんが、息子の記憶を持ったAIとの接し方に悩む両親を好演していました。
星の王子様が引用されていますが、私は自分で買って読んだ筈なのに、最初の”ぞうを飲み込んだうわばみの絵”の部分しか覚えていません。私にはよく理解できなかったんだと思います。
(7歳の子に読み聞かせるような本でしたっけ?)
◎設定が⁇
リ・バース社は、”事件や事故で大切な家族を亡くした方へ”限定で、本人そっくりなヒューマノイドを無償でレンタルすると言う。今や3000件の利用があるというので、もう実験段階ではなく、お試し期間が過ぎたら契約終了して返却か、有償でレンタル継続かを選ぶという契約なんだろうと思いました。その場合は、もし何らかの理由で返却できなかったら弁償するのかなと。
それなら、あの修復技師が、翔(かける)のGPSが取り出されていたのに気づいても黙っていたのは、会社に損害が出ないからかなとも思えます(会社として誠実とは言えませんが)
ところが、そんな展開にはならなかったので、どういう契約なんだろうと思いました。
会社の業務形態だけでなく、法整備がどうなっているのかも不明でした。
◎心の治療目的なのか、家族なのか
そもそも論でいうと、どんなに技術が進歩しても、ヒューマノイドが故人と全く変わらずに生活するのは不可能です。
一緒に食卓を囲むことも出来ない、歳もとらない、だから、新しい家族として受け入れるしかないと思います。その上で、ヒューマノイドとずっと暮らしていけるのか、というテーマを予想していたんです。
◎その他色々
人に優しくない、危険な家。
ヒューマノイドには厳しい環境と思われる、都市から隔離された湿気だらけの森の暮らし。
捨てたのか、捨てられたのか。
結局、ヒューマノイドには心が無いのか、それとも心を持つようになったのかが分かりませんでした。
子供の虐待の話はなぜ入れたんだろうと思います。
◎「箱の中の羊」の意味
テグジュペリの本の内容を覚えていないので、読み聞かせのシーンだけを観たら、箱の中は見えないのだから、自分の好きなように想像(創造)すればいいという風に前向きにとらえたんですが、映画の意図としては、皆自分の都合のいいように思い込んで現実を見ようとしない、と考えた方が良さそうです。更に後半になると、箱の中に閉じ込められた羊というニュアンスを感じました。
鑑賞後の印象は、解放感は感じなかったですし、前向きと捉えていいのか分かりませんでした。
◎6/13追記 <引用されている「星の王子さま」について思ったこと>
「星の王子さま」の中でも有名な言葉が、「本当に大切なものは目に見えない」だそうです。
素敵な言葉だけど、そう言い切ってしまうのはどうなんだろうと思いました。
これはあくまでもその人間が主体の考え方で、キリスト教的、西洋的に感じます。日本人の私は、「目には見えなくても大切なものはある」の方がしっくり来ます。
そこで、「星の王子さま」のあらすじと解説を読みました(本当は本を読むべきです、すみません)童話の形を取っていますが、実に示唆に富んだ物語です。
王子さまの星の3本のバオバブの木は、第1次大戦後の日、独、伊の3国で、その暴走を止められなかったヨーロッパ、不戦を誓ったのにまた戦争を始めてしまった母国フランスを批判しているのだとか、成る程と思いました。また、きつねとの友情、バラへの思いなどは、あらすじを読んだだけでも涙が出ます。
サン=テグジュペリは自然科学に興味を持ち、カトリックに批判的な面があったそうですが、利他的で、信仰心はある人物と思いました。お話の中に羊や蛇が出て来ますが、特に宗教色が強いわけでは無いようです。また、パイロットとして何度か危機に陥った時に、瞑想によって冷静に行動し、窮地を脱した事が著作に影響しているようです。それが、「大切なものは目に見えない」に繋がりました。
本作に絡めて考えると、確かに本物の翔は亡くなり、ヒューマノイドの翔も居なくって見えなくなります。でも、もし翔が亡くならず、一緒に暮らせていたら、目の前の我が子の笑顔より、我が子を想う自分の気持ちの方が大事なのだろうか、と引っ掛かります。それは親の思い込み、エゴのように感じます。それで、「大切なものは目に見えない」と言い切ることに抵抗を感じました。
「星の王子さま」自体は素晴らしい本だと思いますので、引用の問題なのでしょう。
サン=テグジュペリの言う箱の中の羊は、子供の素直な感性で自由に感じ取ることが大切、という事だと思います。
見る人によって受け止め方が違うのでしょうね
翔のお父さん役の人が、とっても評価が高いようですが、やっぱり綾瀬はるかさんあっての夫かなと思います。
綾瀬はるかさんの胸に手を当てて、見えないから考え(想像)してみたというヒューマノイド翔の言葉。
混沌として世界のあちらこちらで戦争が終わらない今、見えないことを想像する力があることは、大事なこと。相手を思いやることで、無駄な諍いも減るのかも。
ひょっとしたら監督の伝えたいことなのかなと思ったりする。
自分の考えをら回収するためにも、また観たいです。
( ´Д`)y━・~~ んんんん、中途ハンパでした。
人間はAIに癒されるのか?AIは個を確立できるのか?
昔スティルバーグのAIっていう映画見た時は、AIが捨てられちゃう時「捨てないで、捨てないで」って言って私はドン引きでした。AIってそんなに簡単に個を確立できるのかなぁ?って。感情や意志ってそもそも何であるのか?どこにどのように収められているかわからないのに、AIに意志を与えることはできず、それは情報の集積によるモノマネに過ぎないのでは?
AIが痛みを知らない限り人間に寄り添えないでしょう。人間との共存なんてできないと思いますよ。
あのAIロボットは痛覚がないって言ってたじゃないですか?そこがポイントだと思いますよ。痛覚がない以上分かり合えないんですよ。人間とAIは。
もし痛みが分かるなら、彼らは森に帰る必要はないんでしょうね。
この映画は解釈の仕方って沢山ありすぎるでしょう。かえってわかりづらかったような気がします。
脚本はいいのだろうが…
ヒューマノイドも人間も同じ
息子を事故で亡くした夫婦が、息子そっくりのヒューマノイドと暮らしながら、様々な葛藤を通して、息子の死を受け入れて、前に進んでいく話。
息子そっくりのヒューマノイドを徐々に受け入れていく2人。でも、私は、ヒューマノイドも人間も、死んだ誰かの代わりにしちゃいけないと思った。例えば、死んだ彼氏そっくりの人を彼氏の代わりに愛したって、その死を乗り越えることはできない。だって、別の人間だから。ヒューマノイドも同じ。
ヒューマノイドが、心を持つことは、ないかもしれないけど、ヒューマノイドにも個別の「人格」「人権」があるんじゃないかな。この先、ヒューマノイドを家族として暮らす未来が来るかもしれない。その時、人間とヒューマノイドは、どのような関係を築くのだろうか。カズオイシグロの「クララとお日様」を思い出した。
甲田夫婦が、ヒューマノイドの翔君を森へ送り出せたのは、翔君の死を受け入れて、心の中に翔君を宿すことができたからだね。大切な物は、目に見えないんだな。
箱の中身は見えない
音々は亡くなった子供に似たもの、建築や家の造り等、外側が大事だと思っていたんだと思います。
でもアンドロイドの翔と暮らしていく中で、動画や写真の情報を詰め込んで出来た息子に似ている子供は機械で、亡くなった息子の代わりにはならないと気付いたんだと思います。
結局、星の王子さまを読み聞かせているときの、この羊嫌だと言っていたのは音々自身だったのではないでしょうか。
大事なのは目に見えない亡くなった翔の心だし、家の中で暮らす家族なんだと。
音々は嫌っていた母親と同じ事をアンドロイドの翔に言ってしまったり、結局は嫌いな母親に似ているように思います。
それが人間だし、家族ということ。
(母親はきっと、あまり食事していない娘のために作り置きのおかずを作ったりして、実は優しい人です)
一方、健介は音々と逆で始めはアンドロイドと思っていたのに、だんだん息子のように思い始めていたように見えました。
それもまた人間の感情の複雑なところ。
最後は音々と健介がアンドロイドの息子と暮らす中で翔の死と向き合い、乗り越えようと決意し、アンドロイドの翔を手放したんだと思います。
アンドロイドの子供達も捨てられるのではなく、新しい家族を作っていくところが、是枝監督の優しさだと思います。
にしても、人間の子供だったらどんなに厄介でも育てあげなくてはいけないし、さようならは出来ませんよね。
懺悔室で待っているのは神父ではなく私自身でした。
・・・
大事なのは目に見えないところ─誰もが他者の「箱の中」を想像している
観終わった後、すぐには言葉にできなかった。
社会倫理やロボット倫理的な解釈は、ひとまず置いておいて、
胸に残ったのは「痛み」と「違和感」。
自分の倫理観と喪失感と悲しみ。
折り合いの付け方は、父と母で対照的だった。
ヒューマノイドを受け入れるきっかけは、「自分を癒すため」か「妻を癒すため」か。
「おかえり」と、「いらっしゃい」。
「ママ」と「おじさん」。
「機械、機械、ルンバ、ルンバ」と自分に言い聞かせていた父も、
時間とともに、もう線引きが機能しなくなっていた。
それは、愛着や依存が、どれほど理性を脆くしてしまうかを如実に物語っていた。
『箱の中の羊』を完成させるのは、観る側の想いで、
その箱の中にいるのは、「楽しい過去」だけをインストールしたヒューマノイドなのか、
「苦しい過去」を消し去ろうとした母なのか。
「肝心なことは目に見えない」から、勝手な想像で補うのは、人間同士も同じなのだと思う。
ある意味、人間同士の関係も常に「箱の中」を想像する営みなのだろう。
誰もが「箱の中」に存在している世の中で、
「箱の中の他者」からひどい言動や、信じがたい事実を受け取ったとき、
その真意が明示されなければ、
受けた側が、その理由を想像で作りし出してしまうのかもしれない。
それは自己防衛か、被害妄想か。
でも、自分で自分の箱にしまい込んだ、黒いモヤモヤは、どんどん増幅して大きくなっていく。
どこかで外に出してあげないと、それは留まることを知らない。
父と母は、ヒューマノイドにそれができたのだろうとも感じた。
「悩みたい。悩むということは生きるということ。」
そのセリフが、妙に重く伸し掛かってくる。
死を受け入れることも、悲しみ、後悔、何かへの怒り、自分への怒り、さまざまな感情を
他者に向けるではなく、自分で抱え、向き合い、悩み、
どう折り合いをつけるかなのかもしれない。
失ったものを失ったまま、
悲しみも後悔も、 自分への怒りも含めて、それらと共に生きていく方法を探し続けること。
決して簡単なことではないけれど、グリーフワークという過程が示すように、
悲しみがあっても破綻しない日常の作り方を考え、実践しなければ時間は止まってしまう。
人間でいることは難しい。
note(YouKhy)ではもう少し詳しく書いています。
悲しみを乗り越えて生きていく過程は人それぞれ
スピルバーグの「AI」を思い出した。あれが2001年の作品だったとは、スピルバーグはやはりすごい。あの作品は役目を果たしたA.Iの心のケアのような事が描かれていた。最初からAIが主人公だった。
この作品では亡くした我が子のコピーのようなヒューマノイドと暮らし始める夫婦が主人公で、知識データは我が子のようでもやはり心はコピー出来ないということを、少しづつ生じていく違和感で表現されている。それでも心の整理がつかずにいた事がその存在によって昇華され前向きに変わっていく。我が子はもういないのだという現実をしっかりと受け入れる機会になったかのようだった。
ただそこからAI達が自我によって行動していくことで、話が当初のイメージと変わって行く。建築家の夫婦に当たっていたフォーカスがAIの方に移動して行った。このストーリー展開はどうなのか。SF的な話は嫌いではないが、個人的にその後のヒューマノイド達がどう過ごしていくのか…イメージは前向きかもしれないが、現実的には違和感。
近未来のお話だが、角田と野呂の夫婦、大悟の会社の同僚達そして熟練職人田中泯、音々の母と妹、隅々まで理想的な役者の存在感が温かく、そこはさすが是枝監督。だがヒューマノイドの存在、開発提供している会社のシーンだけいかにも近未来な雰囲気をまとっていて無機質、他とは同じ映画のシーンと思えないような不思議な違和感があった。それは敢えてなのか? だからこそ、とても人間くさい大悟はとても良かったと感じた。
前半部を掘り下げて欲しかった
本作は前半と後半で印象が大きく変わる作品といえる。
前半のストーリー展開は興味深い内容。亡くなった息子・翔に似せて作られたヒューマノイドを迎え入れた夫婦を通して「家族とは何か」「喪失をどう受け入れるのか」という普遍的なテーマが描かれる。
当初、母はヒューマノイドの中に翔を見続け、父はそれを機械として扱おうとする。しかし物語が進むにつれ、二人は少しずつ「翔はもう戻らない」という現実と向き合っていく。この過程が丁寧に描かれており、ヒューマノイドは亡き子どもの代用品ではなく、夫婦が悲しみと向き合うための存在として機能しているように見えた。
興味深いのは終盤、夫婦がヒューマノイドを「翔」としてではなく、一つの独立した存在として受け入れ始めることだ。息子の喪失を忘れるのではなく、痛みを抱えたまま前へ進もうとする姿がよい。二人で困難を乗り越え、次の新しい命を迎える準備が整っていくようにも感じられた。翔の代わりを探すのではなく、ヒューマノイドはヒューマノイド、新しい命は新しい命、として受け止めようとしているようにも見えた。
その一方で、後半、捨てられたヒューマノイドたちが共同体を作り、ユートピアを目指す展開には強い違和感を感じた。そもそも不要になったヒューマノイドが大量に放置されている設定に納得しづらい。現実的に考えれば返却や回収が行われるはずであり、野良ヒューマノイドの存在そのものが不自然に映る。さらに、夫婦が彼らの独立を支援する流れも、それまで描かれてきた物語の延長線上には見えなかった。
特に、翔の行動が最後まで腑に落ちない。彼は愛されなかった存在ではない。むしろ夫婦から深い愛情を受けていた。それにもかかわらず、捨てられたヒューマノイドたちの思想に共鳴していく姿には説得力が不足しているように感じた。
タイトルの「箱の中の羊」も考えさせられる。最初は「箱=ヒューマノイド」「羊=翔」と考えていた。しかし後半で翔が自らの意思で行動し始めると、その図式は崩れる。むしろ箱の中の羊とは、見る側がそこに投影する大切な存在なのかもしれない。夫婦は箱の中に亡き翔を見ていたが、やがてヒューマノイド自身を見つめるようになる。そして最後には未来への希望(新しい生命)を見る。羊は固定された存在ではなく、見る人の心の変化とともに姿を変えていくと考えれば面白い。
前半で描かれた「亡くなった子どもを模したヒューマノイドを家族は受け入れられるのか」という問いだけでも十分に見応えがあった。後半のAI共同体の話よりも、夫婦が喪失と向き合い、新しい生命とヒューマノイドが共存する未来へ歩み出す姿を見てみたかった。
本作は喪失と再生を描いた人間ドラマとして面白い内容だっただけに、後半の余計な尾びれが評価を落とす要因になったことは否めない。
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