「トロイの木馬の新解釈。オデュッセウスの罪とは」オデュッセイア rexさんの映画レビュー(感想・評価)
トロイの木馬の新解釈。オデュッセウスの罪とは
ホメロスの叙事詩『オデッセイア』そのものを読んだことは無いですが、まあまあ子供の頃からギリシャ神話と西洋絵画は好きです。
神話にありがちな、神々たちの理不尽さに疑問を持ち続けながらも、大人になってからは「ま、神話なんてそういうもんだろう」と、半ば強引に飲み下していたのだが、このノーラン版の解釈には、非常に自分の中で納得できるものがありました。
神への捧げ物を人殺しの道具(兵器)として使い穢したこと。それが禁忌を破ったことになり、これまでの世界の暗黙の了解や良識を覆してしまったという観点が、目からウロコというか、(既にそういう解釈があったとしても個人的には)オデュッセウスに降りかかる艱難辛苦の理由として、非常にすっきりした。
なぜ、ダンケルク、オッペンハイマーと並んで三部作として位置づけられているのかも、納得できました。
神がいる前提として、直接的な祈りの行為に水が差されることになるし、今後人間同士で神への供物を贈り合うことがなくなる。
オデュッセウスが行ったことは、ひいては神を無邪気に信じていた時代の終焉を匂わす行為でもあり、ローマ帝国が一神教にじわじわ侵食され終には滅んだように、神を軽んじるそのきっかけを作ってしまったということなのではないだろうか。
例えば戦国時代で茶室の中で武将の暗殺が大っぴらに行われたとしたら、不可侵の領域という茶室の設定が崩れるし、茶の湯そのもののあり方も変えてしまう。例えとしてベストではないかもしれないが。
また、オデュッセウスが精霊のカリプソの下で7年も過ごしてしまったことは、単なる記憶喪失ではなく、トロイの木馬と大虐殺、ひいては巫女殺しの良心の呵責から、こんな自分をペネロペは再び愛してくれるだろうかという恐怖があった、という設定も人間臭くてとても良い。
神話と現実世界の難しい加減を、格調高く重厚に描いたのも個人的には大満足で(ギリシャ神話は下手したらチープな怪獣映画になりがち)、ギリシャ側の総大将アガメムノンがずっと後頭部の映しだったことや、冥府の死者の描き方も神話性が保たれていて大好き。
西洋絵画でさんざん描かれてきた、セイレーン対策で船のマストにくくりつけられるオデュッセウスや、トロイの木馬、機を織るペネロペの姿が再現されていて感無量。特に主人の帰りを待ち続け天に召される犬アルゴスの場面では、自分の死んだ飼い犬を思い出して胸熱。
古代の楽器を、土器や絵画に描かれた物から再現したという、ゴランソンの作曲も興味深く拝聴。
ペネロペの元に帰ってきてからも長くてヤキモキしましたが、個人的には大満足のギリシャ神話、オデュッセウス譚でした。
ちなみに魔女キルケーは、エドワード・バーン・ジョーンズ、ウォーターハウス等、若い妖艶な女性で描かれてきたし、オデュッセウスも彼女のもとで一年過ごしてなんと男女の仲になってしまう。
オデュッセイアの後日譚『テーレゴネイア』では、なんとオデュッセウスはキルケーと自分の間にできた息子に殺されちゃうし、息子テレマコスはキルケーと結婚しちゃうんですよね。
キルケーとできちゃうところまで描くと、マジでなにこれB級メロドラマかよ、となってしまうので、ペネロペとの骨太な愛の物語にまとめてくれて良かったです。
ただ不満足なのは、やはりヘレネーとクリュタイムネストラは金髪碧眼の美女に演じてほしかった。
オデュッセウス側にもアジア人らしき兵士がいたし、神話として語られていることや、歴史的にありえない人種を配役するのは、ポリコレ以外の何物でもなく、そこは毅然とキャスティングしてほしかったです。
余談ですが、映画原題はザ・オデッセイ。邦題でそれをわざわざ言いにくい『オデッセイア』にしたのは、過去作にマット・デイモンの『オデッセイ』があるからでしょうか。
(ちなみに映画オデッセイの原題はThe Martian)
現在は長い冒険譚という意味でオデッセイという単語が使われているそうなので、地球に帰りたい男だからあてがったのかもしれませんが、まさかその後にリアルオデッセイが作られることになるとは、当時は思いも寄らなかったでしょうね。
