ランニング・マンのレビュー・感想・評価
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原作準拠のディストピアで展開する、現代にも通用する寓話
予習にとシュワちゃんの「バトルランナー」を観たのだが、設定も雰囲気も原作とはほぼ別ものだった。
本作の宣伝もよくあるアクション映画っぽくて、つまり最後に主人公が勝つことが確約されているようなある種ポジティブな、エンタメ色の強い雰囲気が漂っていて、あーこっちも色々アレンジするのかなと思っていたら。
蓋を開けてみたら驚くほど原作準拠で、陰鬱としたディストピアがちゃんと原作に近いイメージで描かれていて、ちょっと嬉しくなってしまった。
原作での時代設定は2025年、つまり去年の話だ。
スティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で本作を発表した1982年に彼が展望した2025年という未来は、コングロマリットであるネットワーク社によってフリーヴィーで洗脳され、持つ者と持たざる者とが完全に分断された社会。
このキングの予見は、当たらずとも遠からずという印象がある。SNSとそこで起こる炎上を連想した。生贄となる当事者のごく一面が切り取られ、あるいは言動が改変されて拡散される。傍観者は自身の抱える現実への鬱憤ばらしなのか、匿名をいいことに無責任に煽り、焚き付け、拡散する。それによってSNSの運営会社はビュー数を稼ぎ潤って、世論の動向を握る存在になってゆく。
原作でも、リチャーズの自撮りが勝手に加工される描写がある。近年ネットにはびこる、生成AIによるフェイク動画を彷彿とさせる。
フリーヴィーを消せという警告は、スマホを手放せなくなった現代の私たちにとっても、古さを感じさせないメッセージだ。キングの慧眼に改めて感服する。
原作通りに展開していくことを察した時点で、ラストをどうするのかが気になった。
(以下、原作の結末に触れます)
原作では、妻と娘はリチャーズの逃走中に「事故」で死に(思えば原作でもこのことはキリアンの台詞で言及されたのみなので、真偽不明という含みがあったのかもしれない)、リチャーズ自身は旅客機内でマッコーンを倒し大怪我を負った後、その旅客機ごとネットワーク社のビルに突っ込む。その瞬間で物語は終わり、映画のような種明かしはない。
911のことがあるから旅客機特攻描写は無理だろうし、グレン・パウエル主演のアクション映画にここまで救いのないラストは似合わない気がした。
だから、終盤からラストの種明かしまで、落とし所自体はちょうどいいと思えた。
ただ、種明かしに入った時のYouTuberみたいな説明動画は、直前までの高揚した気分が断ち切られてちょっとしらけてしまった。
その他気になった点としては、アメリアの変節があっさりしすぎに見えた。また、ケイティ・オブライアンの使い方がちょっと出演時間の長いモブみたいな扱いでもったいなかった。
ここからはさらに偏ったポイントでの感想になる。
以前観た「落下の王国」でリー・ペイスにはまってしまい、その後彼が出演している映画やドラマなどをちょいちょい漁っては崇めていたのだが、そこへ本作出演の一報。喜びましたよそりゃあ。
ところが、公式サイトを見たらなんとあの覆面姿。イケオジなのに何故!? もうがっかりですよ。原作のマッコーンは覆面なんか被ってないのに、妙なとこ改変すんじゃねー! と内心若干荒れていた。
でも、敵役のメインキャストだから覆面を取る時が来るかもしれない……でもオープニングのタイトルバックにも名前がない、その程度の扱いか……と、上映開始後も推しの去就に気持ちが揺れた(ちゃんと映画を見なさい)。序盤から結構登場してるのにずっと覆面……覆面をしていてもプロポーションが見事で華があるからいいけど。(パンフレットのスチール写真もほぼ覆面……泣)
そういうわけで、マッコーンが覆面を脱いだ時が個人的には一番アガった瞬間だった。肌荒れメイクみたいなのしてたけどそれでもイケオジ。しかもイケボ。
リー・ペイスの長身で完璧なバランスの肢体とご尊顔、グレン・パウエルの適度にパンプアップされてギラギラした肉体。これらを拝めたので大満足です。
スティーブン・キング原作作品をエドガー・ライト監督が映画化。終盤に展開が加速するが、実は良く出来ているノンストップアクション・エンタメ作品。
貧富の格差が広がるアメリカの近未来で、子供の正規の薬も買えない主人公が家族を守る最後の手段として「30日間逃げ切れば巨額のお金が得られるが、プロの殺人ハンターに捕まれば即死」という国民的人気のテレビ番組への出場を決めます。
設定が過酷なだけに、文字通りのサバイバルアクションがノンストップで展開されます。
本作の独自性は何と言ってもエッジの効いた演出で知られるエドガー・ライト監督作品という事でしょう。
遊び心に溢れたアクションシーンなど見応えが多くあります。
ただ、その一方で特に展開が加速する終盤は若干置いてけぼりのような感覚を持って、出来を判断しかねる状態でした。そこで改めて吹替版で見てみると意外と整理されていて良く出来た作品だと判断できました。
これは、間に登場するYouTuberの解説映像が、ややトリッキーに見えて混乱を与えるイメージでしたが、画面を突き破ったりする映像の演出が(無駄に?)凝っているだけで、内容自体は決してトリッキーではなく情報を上手く整理できていました。
映像や内容が凝っているぶん、より堪能するには吹替版で体感するのも良いのかもしれません。
エドガー・ライト監督らしい遊び心と疾走感が光る
かつて大雑把な脚色&シュワルツェネッガー主演で映画化されたキングのディストピア小説。これを改めて楽しむなら「今」だ。というのも原作の時代設定がまさに2025年だから。エドガー・ライトが装いも新たに描く本作は、いつもながら遊び心でいっぱい。その一方で、権力や富が独占され、人々がいとも簡単に騙され、なおかつ分断、衝突の一途をたどるストーリーは現代社会をピタリと言い当てていて、キングの鋭さに唖然とさせられる。主人公の置かれた境遇ややり場のない怒りもあって、序盤の薄暗く希望なき重苦しい描写はやや取っつきにくいかも。だが中盤以降、孤立無援と思われた彼に支援者が現れるにつれ、本作のワイルドなドライヴ感は増幅する。中でもビデオテープや冊子のアナログ・テイストやマイケル・セラが登場するあたりのニヤリとさせる逆襲や矢継ぎ早の趣向こそライト監督の真骨頂。主演のパウウェルも等身大の愛すべきキャラを好演している。
エンディングでやっとエドガーライトらしさが出た
リメイクされ続けている中で…
今回の『ランニング・マン』について考えていくと、最初は「情報に支配される社会」や「貧困が生み出す怒り」という、かなり現代的なテーマに見えていたものが、いつの間にかもっと古い、人間そのものの問題へとつながっていった。
人間は、なぜ物語を必要とするのだろう。
ランニング・マンが描いているのは、表面的にはテレビによって作られた善悪の物語だ。RM参加者は悪、彼らを追うハンターは正義。人気MCが語る言葉は情報となり、それを見た人々は、その情報をもとに世界を判断する。
しかし、本当に怖いのは、誰かに強制されて信じているわけではないことなのかもしれない。
人間は、世界をそのまま受け止めることが難しい。
貧困がある。仕事がない。低賃金で生活が苦しい。自由が奪われている。監視されている。なぜこんな社会になったのか。その理由がわからなければ、人間の中には怒りだけが残る。
そして、その怒りを整理してくれる誰かが現れる。
「あなたが苦しいのは、あいつらのせいだ」
この言葉を与えられた瞬間、怒りには方向が生まれる。
だから私は、この作品を考えていて、以前口にした言葉に戻ってきた。
人間は支配されるから怒るのではなく、怒りを処理できないから、誰かが用意した物語に支配されてしまう。
これは、かなり怖いことだと思う。
なぜなら、本人は「支配されている」と感じないからだ。
自分で考え、自分で怒り、自分で正義を選んでいると思っている。
けれど、その「正義」そのものが、誰かによって用意された物語だったとしたらどうだろう。
テレビは昔から、世界をわかりやすくしてきた。
善と悪を分け、正しい作法を教え、こうするのが常識だと伝えてきた。礼儀作法ひとつを考えても、それは本来、人間が決めたものにすぎない。流派によっても違う。それなのにテレビで紹介されたものが、いつの間にか「正しい作法」になる。
実に滑稽だが、それこそが情報の力なのだろう。
そして、これはテレビだけの話ではない。
昔から人間は物語を使って世界を整理してきた。
昔ばなしでは、善い人間は報われ、悪い人間は罰を受ける。
欲張れば失い、親切にすれば助けられる。
現実はそんなに単純ではない。
それでも、子どもたちはその物語を聞き、世界の形を覚えていく。
「世界とは、こういうものだ」
という原型が、物語によって作られていく。
考えてみれば、神話も同じだったのかもしれない。
世界はなぜ存在するのか。
人間はどこから来たのか。
なぜ昼と夜があるのか。
なぜ死があるのか。
そうした、答えのない問いに対して、人間は物語を与えた。
創世記第1章を思い浮かべると、その構造はとても鮮明になる。
最初には、まだ秩序のない世界がある。
そこから光と闇が分けられ、昼と夜が分けられ、天と地が分けられ、海と陸が分けられていく。
そして最後には、それぞれが「良し」とされる。
つまり、単に世界の成り立ちを説明しているだけではない。
「世界とは、このような秩序を持ったものであり、この秩序は良いものなのだ」
という物語になっている。
日本の神話にも、世界の始まりから神々が現れ、国土が生まれ、系譜がつながっていく。
人間は、世界を理解するために物語を必要とした。
そして、その物語が正しいと信じられたとき、物語は世界そのものになった。
ここで、少し恐ろしいことに気づく。
物語とは、本来こうやって世界を整理してしまうものなのだ。
世界を整理すること自体は、悪いことではない。
むしろ、人間はそうしなければ生きていけないのかもしれない。
問題は、その整理された世界を「世界そのもの」だと思ってしまうことだ。
「これが正しい」
そう信じた瞬間、人間は問いをやめる。
そして、「なぜ?」と聞く人間のほうを間違っていると考え始める。
だから「正しさ」は、ときに恐ろしい。
正しくないものなら疑うことができる。
しかし、正しいと思っているものは疑いにくい。
ここで、人間の知の歴史は大きく変わったのではないかと思う。
科学とは、「物語を疑うこと」なのかもしれない。
昔、雷は神の怒りだった。
しかし、本当にそうなのかと疑った。
病気は悪霊の仕業だと考えられていた。
しかし、本当にそうなのかと疑った。
地球は宇宙の中心だと考えられていた。
しかし、本当にそうなのかと疑った。
科学は、新しい「正しい物語」を作ったというより、むしろ、それまで正しいとされていた物語を疑う仕組みを作ったのではないだろうか。
観察する。
実験する。
確かめる。
反証される可能性を残す。
そして、自分たちの説明よりも優れた説明が現れたなら、これまで信じていたものを捨てる。
そこに科学の強さがある。
科学とは「私は正しい」と言い張ることではなく、
「私は間違っているかもしれない」
という可能性を残し続けることなのかもしれない。
そう考えると、科学は人間の「物語を求める性質」に対する、非常に高度な自己批判にも見えてくる。
人間は世界を理解したい。
だから物語を作る。
しかし、その物語に支配されたくない。
だから疑う。
神話から科学へという流れを、単純な「進歩」と考える必要はないのかもしれない。
変わったのは、人間が世界を説明したいという欲望ではない。
その説明を、どこまで疑えるようになったか
なのではないだろうか。
そう考えると、『ランニング・マン』におけるアメリアの存在も見えてくる。
彼女は、誰かが作った映像ではなく、自分自身の体験によって善悪を判断した。
「テレビがこう言っているから」ではない。
「私はこう見た」
というところから判断している。
これは、とても小さなことに見えて、実は大きい。
誰かが作った物語と、自分が見た現実を照らし合わせる。
そこに初めて、
「本当にそうなのか?」
という問いが生まれるからだ。
そして最後に、映画そのものについて考えてみる。
映画もまた、物語である。
だから最後には、伏線が回収され、悪が暴かれ、主人公が生き残り、観客にカタルシスを与える。
人間は、それを求める。
「そうだったのか」
と納得して映画館を出る。
しかし人生は違う。
人生には、回収されない伏線がある。
あの出来事は何だったのか、最後までわからないことがある。
なぜ自分だけが、と思うこともある。
努力しても報われないことがある。
悪いことをした人間が、そのまま何事もなく生きていくこともある。
そして何より、人生は一つの問題が解決したら終わるわけではない。
一つ片付けば、また一つ現れる。
その出来事が、何十年も後になって初めて別の出来事につながっていたとわかることもある。
あるいは、最後までわからないこともある。
映画では、それを「伏線」と呼ぶ。
人生では、それを「意味」と呼ぶのかもしれない。
けれど、本当に回収される保証はない。
だからこそ人間は、物語を作るのだろう。
世界があまりにも複雑で、理不尽で、意味のない出来事に満ちているから、そこに意味を与えたくなる。
そして、そこから神話が生まれ、宗教が生まれ、哲学が生まれ、科学が生まれた。
人間は、世界を理解できる形にしたかった。
しかし、科学はそこで一歩進んだ。
「この物語は、本当に正しいのか」
と問い始めた。
『ランニング・マン』が描いたのは、情報によって人間が支配される世界だった。
けれど、その根底にあったのは、もっと古い人間の性質なのかもしれない。
人間は真実だけを求めているわけではない。
自分が生きている世界を理解できる形にしてくれる物語を求めている。
だからこそ、その物語が正しいと思った瞬間、安心する。
そして安心した瞬間、疑うことをやめる。
だから科学は必要なのだろう。
新しい真実を与えるためだけではなく、
自分が信じている物語を、もう一度疑うために。
そう考えると、私たちは今もなお、神話の中に生きているのかもしれない。
ただ、その神話がテレビになり、ニュースになり、SNSになり、数字になり、もっともらしい情報になっただけなのかもしれない。
そして本当に難しいのは、
「何が正しいのか」
を見つけることではなく、
「自分はいま、何を正しいと思い込んでいるのか」
に気づくことなのかもしれない。
何と捏造メディアの嘘を暴く作品だった!
情報操作の真相はっきりしないのは残念だけど面白さはあった
Primeの方で観ました
シナリオ的には両者ともにクズっぽく感じましたが、個人的にはテレビ局側の方が嫌いでしたね
フェイクの部分をもっとしっかりと描いてほしかった
奥さんと娘が無事なのはよかったです
個人的には協力した緑の親父がかわいそうだった
格差社会が著しく拡大した近未来。貧困にあえぐベンは人気番組ランニン...
格差社会が著しく拡大した近未来。貧困にあえぐベンは人気番組ランニング・マンのオーディションを受け、30日生き残れば大金がもらえる死の鬼ごっこが始まる。
視聴者を支配した気になっている番組プロデューサーに対してベンが立ち向かっていく姿はスカッとするものがありました。
シュワちゃん版が好きな分、色々つまらなかった。 そもそも何の特徴も...
シュワちゃん版が好きな分、色々つまらなかった。
そもそも何の特徴もないそこそこの男の番組への選出のされ方(予選のアスレチック)の時点ですでに萎えてた。
★5.0 マイベストシネマ
好きな映画ベスト20以内に入る
★4.5 鑑賞して興奮・感動・スカッとした
時間も忘れ熱中した
★4.0 鑑賞して良かった
他人にお勧めしたい
★3.5 まぁまぁ良かった
好みもあるので他人には勧めない
★3.0 普通
映画として楽しめたボーダーライン
★2.5 あまり好みでなかった
心には響かなかった
★2.0 鑑賞しなくてよかった
退屈気味だった
★1.5 つまらなかった
途中で寝た
★1.0 鑑賞して損した
時間返して(笑)
★0.5 意味がわからなかった
う〜ん…エグ浅い。
「情報の偏り、貧富の拡大、モラルハザードといった問題を『エンタメとして』描き出しエモく観ていただけるために、ちょっとだけ過剰な状況をつくり出して、最後は皆さんがカタルシスを得られるよう仕上げてみました!」という、制作者の声が聞こえてきそう。
ただし、どんなにエグくしても、AIにプロットを考えさせたようなツルンとした手触りに感じてしまうのは何でだろう。
全然関係ないけど、ちょっと前にフジテレビでやった、久しぶりの「クイズ$ミリオネア」の出演者のラインナップを見て、次男が、「1,000万取ったとしても、別にどうってことなさそうな人ばっかだなぁ」とつぶやいているのを思い出し、トクリュウとか流行っている今の時代、そういう人しか出せなくなっているのかもと今作を観て思った。
車に乗ってた女性、誰だっけ?と思ったら、コーダ愛の歌に出てた彼女だった。
やっぱり目を惹くのはさすが。
エドガー・ライトはヴァーホーベンの夢をみるか
87年版『ランニングマン』といえば,監督:ポール・マイケル・グレイザー,主演:アーノルド・シュワルツェネッガー,女優:マリア・コンチータ・アロンゾと揃いも揃って名前が長ぇって事が一部界隈で話題になりました.ホントに極々一部界隈なんですけどね.こんばんわ.三遊亭呼延灼です.
で,原作小説の時代設定である2025年に製作されたのが本作.原作といえば,本作OPでは原作者がスティーブン・キング表記になっていましたが,そこはリチャード・バックマンにしてほしかったです.今更,別名義なんてあったの!なんてならないでしょう.
バックマンといえば,その名義で出版された『死のロングウォーク』の公開はまだですか?いい加減にしてください.なんだったら,本作と二本立てでも良かったんじゃないですか.ちょっとは真面目に洋画の事を考えてもらいたいものです.
それはともかく,本作を観て『スターシップ・トゥルーパーズ』を思い出した方とは旨い羊羹が食べれそうです.拙僧はフルーツパフェもいける口ですぞ.
皮肉が効きすぎですって.誰もが気づく札の肖像画から始まって,処刑人の小学生,そして最後の「テレビを見るな」.うん,そうですよ.テレビなんか観ちゃ駄目です.そんな暇があるんだったら,生の寄席に来たほうがよほど人生が豊かになります.そういやぁ,この前電車乗ってたら,20代後半とおぼしき男性が,無表情にアクアリウムのシミュレーターを眺めているのを目撃してちょっと怖かったです.「スマホを見るな,顔を上げて正面見ろ」と老害説教の一つもしたくなります.えっなんです?私がこないだ上げた創作落語が,1万回再生で落語協会の動画ではトップになったんですか?そうですか.やはりこれからは動画の時代ですな.寄席でチマチマと口座してる場合じゃございません・・・
皮肉といえば,ものすごく苛つかせた番組『アメリカーノズ』ですが,あれは『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』のパロディだそうですね.カーダシアン家自体が日本では馴染みがないのでわかりにくいネタですが.私もIMDBのトリビア読んで初めて知りました.
トリビアネタでもう一つ.ネットワーク本部の建物の巨大な「N」のロゴがネトフリのロゴを連想するようになってますが,エドガー・ライト監督さん曰く,ネトフリが『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』のネタバレ予告編を流しちゃった事への意趣返しだそうです.さすが英国人.性格悪うございますなぁ.
アングリー・ランナー
スティーヴン・キングがキャリア初期の頃別名義(リチャード・バックマン)で発表し、1987年に映画化。
その『バトルランナー』は昔見たっきりで今やほとんど忘却の彼方。その時主演を務めたシュワちゃんがユニークな形で顔出し。
今回の再映画化は邦題も原題通りに戻しただけじゃなく、見る前にWikipediaで原作と87年映画版をさらりと調べたが、より原作に近い内容になっている。即ち、
貧困の差激しい近未来のアメリカ。原作の舞台も本作の製作年も同じ2025年。
どん底の暮らしを強いられるベン・リチャーズは幼い娘の医療費を稼ぐ為、一攫千金のゲームに挑戦する。
“ランニング・マン”。全米視聴者が熱狂するTV番組。
ざっくり言うと、大スケールの鬼ごっこ。舞台はアメリカ全土。何処に逃げ、何処に隠れてもいい。
30日間逃げ切れたら10億ドル…!
が、全国民が協力者であり、密告者。報奨金狙いの通報や裏切りは当たり前。
凄腕のハンターが追う。ハンターに捕まったら、脱落の模様は生中継。ただの確保ではなく、公開処刑。つまり、死…。
生きるか死ぬか。究極のサバイバル・デス・ゲーム…!
今となっちゃあこういうジャンルは目新しくはない。『ハンガー・ゲーム』『カイジ』『イカゲーム』…。そうそう、『逃走中』も忘れちゃいけない。
それを刊行されたのは82年だが、執筆したのは駆け出しの頃の72年で、半世紀以上も前に創造したキングがやはり天才的。
ただの見世物的ユニーク題材だけではなく、当時極貧生活だった自身の投影、暗い未来予想図、メディアやショービジネスの闇を織り込んで。
サバイバル・デス・ゲームの原点にして頂点。今旬監督と今旬男が初タッグで面白味しっかり活写。
エドガー・ライトにとってキャリア最大の大作。インディーズ作品で才気を魅せてきた彼の初のハリウッド大作と言っていい。
エドガー・ライトの作風と言えば、テンポの良さ×ユーモア×楽曲センスの三位一体。今回既存曲の使用は抑え気味だが、逃走劇のスリル、所々のユーモアは『ベイビー・ドライバー』以来となる本格アクション。
身を隠していたホテルが突き止められ、決死の脱出。クライマックス、操縦不能となった飛行機内での無重力バトル…。見せ場をそつなく。
合間合間のユーモア。その立役者であり、シュワちゃんより主人公の人間味が増したのもグレン・パウエルの魅力の賜物。
ちょいちょいキレがちだが、虐げられる下層階級の怒りの体現。何より家族の為。“走る男”は“怒れる男”であり“熱い男”でもある。
変装、身体を張ったアクション、肉体美も披露。グレン・パウエル・ショーでもあったりする。
キャストで圧倒的存在放つは、ジョシュ・ブローリン。人の生死すら食い物にし、視聴率主義の番組プロデューサー。“宇宙の支配者”から“メディアの支配者”へ。非道っぷりはサノス以上…?!
番組ホスト役のコールマン・ドミンゴのショーマンぶり、ほとんど覆面姿の最強ハンター、助ける側のマイケル・セラや真実暴露YouTuberのキャラはユニーク。
が、ウィリアム・H・メイシーやエミリア・ジョーンズはちと勿体なかったかな。
1987年からすると2025年は“未来”。なので『バトルランナー』はもっと近未来感あったが、本作では同じ時代となり、現実世界とは違う近未来要素もありつつも、よりリアルな世界観になっている。
ドローン風カメラや監視体制など今や現実。
格差、情報操作、熱狂する世の中…。果たしてこれはディストピア作品の中だけの事か…?
世の中には番組プロデューサーや一部の富裕層寄りもいるだろう。が、ほとんどがベン側。
確かに挑発的で、すぐキレる性格でもある。終盤にかけて暴走し、命懸かっているとは言えハンターを殺す。クリーンな人間ではないかもしれない。ついでに、作品もツッコミ所やご都合主義もあり。気楽に見れる娯楽作ではあるが、最上級ほどではなく、ちと物足りなさもある。
しかし、誰かが訴えなくてはならない体制や世の傲慢。
ラストの下層階級の反撃の狼煙。番組プロデューサーにスカッと制裁。
ベンの怒りは私たち一人一人の怒りでもあるのだ。
サバイバルアクション映画なんだけど…
この映画、格差社会のなか子どもに十分な薬をあげたいとの思いで、30日間逃げきれたら大金を手にできるが、捕まれば殺されるという命がけの鬼ごっこ(ランニング・マン)に参加するというもの。
逃走範囲は無制限なんだけど、殺人スキルをもったハンターや視聴者も賞金目当てにランニングマンを追いかけるという、かなり不利な状況での逃走を余儀なくされる。
さらにやっかいなのが、毎日決まった時刻にビデオの自撮りをしてポストに投函しないといけないというルールもあり、それが狙われるキッカケにもなるのでやっかいだった。
物語の前半は、主人公がハンターや視聴者から逃げるハラハラドキドキな展開だったけど、物語が終盤に近付くにつれて逃走劇から、富裕層vs貧困層という雰囲気になっていく。
そして、TV番組の主催者は、番組を盛り上げるため自撮りしたビデオとは全く違うフェイク動画を流すなど、視聴者も番組に踊らされ主人公がどんどん悪者になっていく様子が描かれていて、まさに今社会が抱えているフェイク動画の問題も上手く取り込んでいると感じた。
リアリティーショーのランニング・マンは、最終的に主人公が革命を起こす起爆剤になったのかという、曖昧な感じの終わり方だったので自分としては少し消化不良を起こしてしまったのが正直な感想かな。
この映画、原作もあるようだし原作の内容と映画の内容が違う面もあるようなので、一度原作も読んでみようかなと、この映画を鑑賞して思った次第です。
走る男は怒れる男!
U-NEXTで鑑賞(字幕)。
原作は未読。
捕まれば即・即死、国民全員が注目するデスゲーム番組「ランニング・マン」に参加することになった男が、次第に富裕層が支配するディストピアを覆す革命の原動力に変貌していく様が描かれる。
個人VS国家の構図で、どこへ逃げても監視の目があり賞金に目のくらんだ国民が暴徒と化して主人公に襲い掛かる。味方はいないのか。
否、そうではない。体制に不満と疑問を持つ良心ある人たちの力を借りて、主人公は壮絶なサバイバルを生き残っていくのである。人情に感動した。
フジテレビのバラエティ番組「逃走中」は本作の原作が発想元なのだろうか。こちらにはあからさまな作為は無いと思いたいが、ランニング・マンには主催者側の黒い思惑が蠢く。
国民を熱狂させるため、富裕層による支配を強固なものにするため、捏造されていく事実やすり替えられていく言葉は、現代社会を彷彿とさせるリアリティで、原作者の先見の明に唸る。
途中までは…
グレン・パウェルがぴったりの反骨精神あふれるアクションが良かった! ケイティ・オブライアンのキャラクターもいい。原作は2025年が舞台。
全373件中、1~20件目を表示















