「完全なる蛇足」トイ・ストーリー5 Jongoさんの映画レビュー(感想・評価)
完全なる蛇足
これこそ蛇足では...?
毎回用済み問題を取り上げ、1,2では先送りしたものの3,4と明確な回答を出してきたシリーズがここにきてまた先送り...
デジタルが普及するとおもちゃの需要は減り、3で生み出した「不要になった人から必要な人へ」の円環が実現しづらくなる。となると残された道は自立or焼却炉だが、それでも子供と遊びたいおもちゃのための第3の道(つまりデジタル時代のおもちゃの役割)が本作で提示されることを個人的には期待していた。結果は非常に残念なものだった。
私たちは必要な時にそばに居れば十分?それは1,2からも汲み取れたし、それ込みでの3の焼却炉の絶望だったんじゃないの...
今までは「○○くん/ちゃんのおもちゃとしてもう用済み?」という話だったのに今回は「デジタル時代におもちゃはもう用済み?」という大きな話になっていた。3で生み出した「不要になった人から必要な人へ」の円環は通用しない。挑戦的なテーマ設定だが...
同じようなテーマを掲げた映画に『トップガン マーヴェリック』がある。有人機と無人機、実写とCG。変わりゆく時代への回答は「だが今じゃない」と先送り。だが、生身の役者のアクションによる圧倒的な説得力でその曖昧さをねじ伏せたことは、皆の知るところである。
だが先送りできるほどの余裕も説得力もおもちゃにはない。それは冒頭屋根の上からジェシーが見た景色が物語っている。デジタル時代におけるおもちゃの存在意義を何らか提示する必要がある。さもなくば自立or焼却炉だ。
ところが「デジタルは"ゲーム"であり、おもちゃこそが真の"遊び"である」とジェシーは言う。それは少々自分に都合の良すぎる主張ではないか?むしろその思考から抜け出して、デジタルとおもちゃが融合した新たな"遊び"を生み出すことに期待していたのに...
しかし、結局ボニーはおもちゃ遊びに帰ってくる。それはボニーがデジタルに上手く適合できなかった特殊な事例というだけで、最初に設定したテーマに何も答えてはいない。天才集団ピクサーがなぜこのような着地にしたのか?それはおそらく、これからも続編を作るためである。
デジタルとの融合に本気で向き合うと、おもちゃの限界は嫌でも見えてきてしまう。『トイ・ストーリー』が終わってしまう。ピクサーがそこまで考えなかったはずがない。だから着地点は曖昧にして、変わりに続編を作りやすくする布石をいくつか仕込んだのだ。
例えば、本作では同年代の他の子とボニーを引き合わせようとおもちゃたちは画策するが、これは人生への介入である。これまでも近しいことはあったが、人格形成にまで影響を及ぼすような介入は今回が初めてである。
これが許されるのであれば、今後も彼らはボニーの人生の障害をあの手この手で取り除こうとするだろう。4で今生の別れに思えたウッディも、いつ渡したか分からないトランシーバーで呼べばいつでも助けに来てくれる。彼らの冒険は無限に作ることが可能になった。
