コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第375回
2026年8月18日更新

ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの最新情報をお届けします。
「オデュッセイア」はもっともノーランらしい映画だった

© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
クリストファー・ノーランは、ぼくが「メメント」で衝撃を受けて以来、ずっと追いかけてきた監督だ。「ダークナイト」シリーズでハリウッドの大物になり、そのあとも、大作を任されながら野心を捨てずにつくりつづけている。90年代のインディペンデント界からはさまざまな才能が出てきたけれど、いまハリウッドの中心にいるのは彼だろう。ヒットを飛ばすだけでなく、約2万人が所属する全米監督協会(DGA)の会長まで引き受けている。
ノーラン監督のすごさは、壮大なスケールもアクションも用意しながら、人間のモラルを問い、物語の構造そのものをいじってみせるところだ。おかげで難解と言われることもあるが、だからこそ何度観ても発見がある。
幸いなことに、彼はおよそ3年に1本のペースで新作を届けてくれる。自分で脚本も書く監督としては、かなり速いほうだ。
ただ、最近はちょっとずれを感じていた。「TENET テネット」は技巧に走りすぎたと思ったし、「オッペンハイマー」は重要な仕事だと理解しつつも、やはり伝記映画の枠に収まっていた。そして最新作の「オデュッセイア」は、3000年も前に書かれた冒険奇譚の映画化だという。リドリー・スコットやザック・スナイダーがやるならわかる。それを、あのノーランがどうしてだろうと思った。
ただ、結論から言えば、これほどノーランらしい映画はなかった。

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「オデュッセイア」を簡単に説明しておくと、ホメロスが残した古代ギリシャの叙事詩だ。トロイア戦争を勝利に導いた知将オデュッセウス(マット・デイモン)が、故郷イタケへ帰ろうとして10年も海をさまよう話だ。そのあいだ、妻のペネロペ(アン・ハサウェイ)は館に居座る求婚者たちに囲まれ、息子のテレマコス(トム・ホランド)は顔も知らない父を探して旅に出る。戦争に出てから数えれば、家を空けた歳月は20年におよぶ。
神々が人間の運命を左右する世界だけに、これまでのノーラン作品にはなかったものが出てくる。レイ・ハリーハウゼンを思わせる怪物が暴れるし、ボディホラー顔負けの場面まである。

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でも、驚いたのは彼の過去作との共通点の多さだった。
まず、主人公オデュッセウスは力よりも機知で生き抜くタイプだ。
振り返れば、ノーランはこういう男ばかり撮ってきた。デビュー作「フォロウィング」の尾行者も、「プレステージ」の奇術師たちも、「インセプション」でレオナルド・ディカプリオが演じた男も、みんな腕力ではなく知恵で勝負する。バットマンにいたっては、超能力をひとつも持たないことが売りのヒーローだ。そして「オッペンハイマー」は、頭脳そのものを主役に据えた映画だった。
次に「オデュッセイア」は、主人公が故郷を目指してから7年経過した場面で幕をあける。そこに至るまでの出来事は、あとからノンリニアに語られていく。これはノーランのお得意のパターンだ。デビュー作「フォロウィング」からそうだった。「メメント」では逆向きの物語と順向きの物語を交互に組み、「プレステージ」では二冊の日記を入れ子にした。「ダンケルク」では1週間と1日と1時間を並走させ、「TENET テネット」では時間そのものを逆行させている。

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最大の共通点は、家に帰る物語であることだ。オデュッセウスはトロイア戦争から帰り、妻と子のいる場所に戻ろうとする。「インターステラー」も同じで、人類を救うために宇宙へ出た男を動かしているのは、娘のもとへ帰るという一点だった。「インセプション」の主人公も、子どもたちの顔をもう一度見るために危険な仕事を引き受ける。「ダンケルク」となると、帰ることそのものが映画の目的だった。
もちろん、行って帰ってくるというパターンは、物語の定番である。「オズの魔法使」から「スター・ウォーズ」、「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」までそこは同じで、旅のあいだに主人公は成長する。
ただし、ノーラン作品の場合は、ちょっと違っている。帰り着いた場所が、出ていったときの場所ではないのだ。
「バットマン ビギンズ」のブルース・ウェインが7年ぶりにゴッサムへ戻ると、街は腐敗し、父の会社は他人の手に渡っている。「インターステラー」の父がようやく娘に会えたときには、娘は自分よりずっと年上の老人になっていた。「インセプション」では、帰り着いた家が現実なのかどうかさえ示されない。
元いた場所に戻ってハッピーエンド、とはならない。帰ってはきたけれど、なにか取り返しのつかない変化が起きている。それがノーラン作品の特徴だ。
つまるところ「オデュッセイア」には、ノーラン作品のトレードマークが3つとも詰まっている。そう思いながらIMAXの劇場を出た。

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ところが、遅ればせながら原作にあたってみて、驚いた。いま挙げた3つは、もともとホメロスの側にあったのだ。
オデュッセウスは、原作でも知略の人として繰り返し呼ばれる。物語は帰路の途中から幕をあけ、冒険の大半は本人が異国の宮廷で語る回想として差し出される。そして20年ぶりに帰り着いたイタケーでは、館は求婚者たちに食い荒らされ、赤ん坊だった息子は成人していた。変わり果てた姿の彼を最初に見抜いたのは、老いた飼い犬だった。
ノーランはいつものパターンをこの映画化に当てはめたのではない。ホメロスにあったものを、そのまま活かしていたのだ。
ここからはぼくの想像になるが、「オデュッセイア」はノーランが好むストーリーの典型だったのだろう。だからこそ、元ネタそのものに正々堂々と挑もうとした。「オッペンハイマー」が興行でも批評でも成功したことで、ようやくその機会がめぐってきたのではないだろうか。
ただ、原作をなぞっているだけではない。ノーランはここに、贖罪というもうひとつの主題を持ちこんでいる。この映画のオデュッセウスは、自分の知恵が招いたものを背負ったまま海をさまよっている。その姿は、ロバート・オッペンハイマーに重なる。

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そもそもノーランの主人公は、いつも何かを償おうとしてきた。「メメント」の男が追いつづけているのは、妻を殺した犯人であると同時に、自分自身の罪でもある。「インセプション」の主人公は、妻の死に自分がかかわったという意識から逃れられない。そして「オッペンハイマー」は、つくってしまった者の後ろめたさを3時間かけて描いた映画だった。
ホメロスのオデュッセウスは、自分のしてきたことをここまで省みたりしない。ほかのどの監督が撮っても、こうはならないだろう。
「オデュッセイア」は、ノーランが自分のルーツと向き合った作品なのだと思う。3000年前の物語をたまたま選んだのではない。自分がずっと語ってきたものの出どころに、あらためて手をつけたのだ。
ルーツにたどり着いてしまった彼が、つぎにどこへ向かうのか。次作が楽しみでしかたがない。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi









