コラム:若林ゆり 舞台.com - 第134回

2026年5月9日更新

若林ゆり 舞台.com

「僕は『らくだ』だ」。ジャン・レノが日本で振り返る、俳優ではなく“ひとりの男”の物語

ジャン・レノ
ジャン・レノ

ジャン・レノが、日本でひとり舞台を創作・上演する。タイトルは「らくだ」。レノが自分自身の人生を台本として書き上げ、たったひとりで演じる自伝的な演劇だ。映画「グラン・ブルー」の陽気なイタリア男・エンゾ、「レオン」の寡黙な殺し屋など、映画ファンが大切に抱える記憶の中に、ジャン・レノはいる。深く低い声、抑えた表情、画面に立つだけで空気を変える存在感。だが、私たちが見てきたのは、彼自身だったのだろうか。

「僕はいままで俳優としてさまざまな役を演じてきたけれど、みなさんが見ていたのは僕が演じた役であって、僕自身ではない。他人なんだ。いままで僕自身について語ったり表現したことはなかった。でも僕は長い間、僕自身の人生について、歩んできた道について語りたい、という欲求を抱いていたんだ。子どもたちに伝えたかったということも大きい。僕自身の父親はものすごく寡黙な人だったから、僕は自分のルーツについてもまったく知らないできた。最近になって従兄弟を問い詰めて、祖父がアンダルシアで貴族の馬番をしていたということを知ったんだ」

自分は何者なのか。どこから来たのか。何を背負って、ここまで歩いてきたのか。その問いを、ずっと胸の奥に抱えてきた彼は、その答えをこの日本で出すことにした。レノとフランス演劇界で注目される演出家、ラディスラス・ショラー、作曲家にしてピアニストでもあるパブロ・ランティ、そして日本の制作チームが手を組んでつくりあげられた舞台は、東京を始めとして日本の12都市を巡演する。その初日に向け、日本での稽古を始めたレノが、インタビューに応じてくれた。

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「ポスターや映像の中にいる俳優としての僕ではなく、ある意味でみなさんととても近しい、人間としての僕を見てほしい。クリエーションの根底にあるのはこういう思いなんだ。なぜ日本でつくろうと思ったのか、なぜ日本が好きかっていうのは説明しがたいんだけど、とにかく僕はここにいて、日本にいると幸せなんだ」

この言葉に、「らくだ」という作品の肌ざわりがすでに表れている。論理ではなく、感覚。説明ではなく、記憶。名声や経歴を並べるのではなく、ひとりの人間がどこかに心を寄せる、その不可思議な親密さ。彼は日本という異国で、自分の最も内側にあるものを差し出そうとしている。「らくだ」は自叙伝的なソロパフォーマンスだが、いわゆるスターの回顧録ではない。そこにあるのは、出来事の年表ではなく、記憶との再会だ。

「人生を振り返り、語るべきことを取捨選択をするのは大変だったよ。なにしろ僕は、過ぎ去ったことはすぐに忘れてしまう人間だからさ。それはいいところでもあると思っている。なぜなら荷物を背負いすぎていると、そこに立っていることが難しくなるから。忘れた記憶を掘り起こして人生と向き合いながら書くのは、すごく時間がかかった。僕は歩みの遅い『らくだ』だからね(笑)。書きながら思った。人生は奇跡みたいなものだって。人生というのは、すべてのいろんなタイミングのランデブーなんだ。いろいろなこととの出会い。そこに向き合ったとき、記憶の中で僕が何と出会って、記憶と自分がどこで出会うか。痛みとどこで自分が出会うか。希望とどこで出会うか、離婚とどこで出会うか。すべて自分と自分の記憶の中のランデブーだ」

ランデブー。ロバート・デ・ニーロとの出会いもそうだった。「RONIN」のオファーを一度は断っていた彼のもとへ、電話がかかってくる。「やあジャン、デ・ニーロだよ」。その一声で、物事が動き出す。また、「レオン」の思い出を聞くと、ナタリー・ポートマンとの記憶が鮮やかに甦る。

「ナタリーに髪を切ってもらったよ。僕の髪に穴が開いてハゲができているのは、そのときのせいなんだ(笑)。出会ったとき、彼女は僕に『子供はいるの?』と尋ねた。11歳の子供にしては大人びた質問だよね。なぜそう聞いたのか。子供になりたかったのか。僕は『3人いるよ』と答えたんだけど、彼女は『自分がいちばんじゃない』と感じたみたいだ。そうして撮影が始まって1週間が経った頃、彼女は『これは遊びじゃない、職業なんだ』ということに気がついた。それからの彼女は、本当に素晴らしいプロフェッショナルになったよ。とても頭の回転が速くて、素早くいろいろなことを考えて答えを出せるんだ」

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映画や演技と出会う前、記憶の中で最も古い光のひとつが、台本づくりの礎となった。生まれ故郷であるカサブランカのバルコニーだ。

「バルコニーの思い出は、僕が7歳の頃、母とカサブランカでランチの後に過ごした時間だ。バルコニーから道行く人を眺めながら母が僕にこう聞くんだ。『あそこを歩いてる人、あの人の未来を言い当てることができる?』って。僕は一生懸命その人を観察して、推理しようとしたものさ。それが出発点だ。そこからその後に経験したアドベンチャー、思いもよらなかった冒険を語っていくわけなんだけど、年とともにこういろいろなことが起こる。演劇への情熱、家族のこと、ヨーロッパからアメリカへの旅。嘘はない、すべてが真実なんだ」

初めて人生とじっくり向き合うことで、自分自身について発見したことがいくつもあった。

「自分の思っていた以上に父と母を愛しているということは発見だった。それから、いろいろなことを振り返りながら『その瞬間瞬間をもっと楽しめばよかったな』と思ったりした。いろいろなところに行ったのに、『あの街は何も見てないな』とかね。僕はいつだって過去を脱ぎ捨てて、いまを生きるために前だけを見つめてきたんだ。そういう形でしか生きてこられなかったし、改めて自分が『らくだだなぁ』と思ったよ。僕はらくだだ。ゆっくりと人を運ぶ、荷物を担いで、歩んでいく。鷲のようにピューッと飛んで行くタイプじゃない。ゆっくり反芻する。ゆっくり観察する。家族だったり、妻だったり、本当にいろんなものを背負って、ゆっくり一歩ずつ歩いてきたな、と。それに、僕は内面的に考える人というよりは、外に気持ちを向ける、周りのことに目を向ける人間なんだと気づいた。外を見て、それで内面的なことに気づくんだ」

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筆者紹介

若林ゆりのコラム

若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。

Twitter:@qtyuriwaka

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